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あかね雲

□ 黄金の王子と闇の悪魔 番外編短編集 □

魔法使いの手紙 4


 旅は順調に進んだ。
 目的地の最寄りの街で隊商と別れ、後は道なき道をただ歩いた。

 こういう時、ジョカがいるのは本当に助かる。
 道も目印もない土地を、目的地に向けてまっすぐ直進できる人間がどれだけいることか。

 かれは、世界中の地を廻った魔術師だ。この辺の地理もおぼろではあるが、見知っている。
 また、昼は太陽の方向を見て計算し、夜になれば星を用い、自分たちの方向を間違いなく見極める事ができた。
 ……と、言うと簡単そうだが、道もない場所で自分の体の向きを正確に見定めるというのは、「簡単そうで難しい」の最たるものではなかろうか。

 ほんとうに、ジョカは有用な人間なのだ。
 本人の自己評価の低さが不思議でならない。
 リオンが寝所で毎晩「あなたは価値あるひとなんだ」と囁いているにもかかわらずなのだから、ある意味頑固だ。

 辿り着いた場所は、黄色く焼けた土地だった。
 右手の遥か遠くには緑の山が見え、前方は荒野の丘陵が隆起して視界を遮る。そして左手には、どこまでも続くかと錯覚するような荒れた大地が広がっていた。
 人の住む町から徒歩で数日離れたその荒野は、黄の乾いた土の表面をまばらに生命力の強い雑草が覆っていた。不規則な色のコントラストは、染みだらけの老人の肌のようだ。
 雑草が覆っていない場所は、剥き出しの乾いた黄茶色の土が露出し、見るからに土地が痩せている。

 ジョカはその光景を目に、ぽつりとつぶやいた。
「痩せたな……」
「前は違ったのか?」
「ああ。ここに繋がる水脈を街の人間が生活用水として使う様になったから、この土地に来る水が少なくなって乾燥が広がったんだ」

 ――水の確保は生きる上での最重要課題だ。
 為政者だったリオンとしても耳が痛い。
 ルイジアナの場合、水は豊富にあって、逆に豊富過ぎて水害が怖い土地柄だったのでその手の悩みはしていないが、水が足りない地域であったらリオンだってそうしただろう。
 こんな遠隔地が不毛の土地になろうが、気にもせずに。

 ジョカは周りを見回し、しばらく何かを探すように歩き回ったが、やがて足を止めた。
「リオン、これ持って」
 と、ジョカが取り出したのはロープだ。
 あらかじめ目盛りを打ってあるものだ。長い距離を測る時の、物差しがわりである。

 そして、ジョカはしばらく行ったり来たりして、一点で足を止める。
 靴で地面にバツ印を書いた。
「リオン、ここに立って、絶対動かないでくれ。俺の頭の上から、あっちの山が今見えているな?」
「ああ」
 リオンの位置からジョカを見ると、ジョカの背後に山が見える。
「少しずつ近づくから、その山が見えなくなった時点で声をかけてくれ」
「わかった」

 ジョカの頭と山の高さが重なったところで、リオンは声をかけた。
 ジョカはその場所に印をつけ、距離を測ると、計算を始めた。
 紙を取り出し、そこにがりがりと計算式を書いて計算しはじめたのだ。

「高さを割りだしているのか?」
「ああ。数百年単位で時間が経っていると、地面の高さも高低する。特にこの土地は乾燥したから、水分のぶん、土地が低くなったとみるべきなんだ」

 リオンは三角測量を習ったのでうっすらとジョカが何をしているのかわかるが、そうでなかったらちんぷんかんぷんだろう。

 リオンが見つめる中、ジョカの計算は進む。
 一応習ったとはいえ、さすがにこのレベルになるとリオンの付け焼刃では歯が立たないので、ただ黙って言われた通りにするだけだ。

 リオンはジョカに言われるまま、移動したり二点の距離を測ってその数値を伝えたりという事を繰り返した。
 だだっ広い土地なので、移動にも時間がかかる。
 あちらへ行って計測、こちらへ行って計測を繰り返した。
 昼休憩を挟んで半日以上つづき、ようやく計算が一段落したようで、ジョカがペンを置いた。

 巻尺代わりのロープを持ち、リオンに片側の先端を持たせて慎重に歩みを進める。ロープがたるまないよう、常にぴんと張った状態でジョカは足を進め、一点で止まった。

「ここだ。じゃ、掘るか」

 荷物からスコップを取り出し、二人で掘りはじめる。
 スコップと言っても携帯できる子ども用の大きさのものなので、そのスピードは遅い。

 リオンはざくざくと地面を掘りながらたずねた。
「……その魔術師は、どうしてこんなややこしい方法で隠したんだ? しかもこんな何もない土地のど真ん中で」

 周囲に街や建物、人の文明があったような痕跡はない。あったなら土台くらいは残っていそうなものだ。
 ほんとうにここは何もない土地だったのだ。
 確かに見つかりにくくはあるが、逆に目印が無さ過ぎて、掘りだす方も困る。
 計算しなければ位置もわからない。

「もっとわかりやすい目印のある場所に隠せばいいのに」
「――で、その目印が数百年経っても変わらない保証は?」
 リオンは言葉に詰まった。

「数百年の時の重みに耐えられるような目印は、そうそうない。大洪水、津波、人間の開墾、土木工事、土地の造成……。数百年、下手したら数千年見つからないことを前提としたものは、隠し場所を指定するのもたいへんだ」

「たしかに」
 リオンは納得して頷く。
「それに……それだけ見つかってほしくなかったんじゃないか?」
「……増々興味を惹かれるな。何が埋まっているのやら……」

 雑談をしながら掘り進めると、さほどの深さも掘らないうちに、固いものにスコップの先端が触れた。
「何かある」
「ああ。慎重にな」

 固いものの周囲から掘っていき、そっと取り上げた。
 掌の長さの三倍ほどの深さに埋まっていたのは、武骨な石の箱だった。土にまみれたそれをざっと払い、まずは箱を開ける。
 目に入ったのは、煌びやかな宝石群だった。

 箱の中には台座があり、台にはたくさんの親指の爪ほどの穴が開いていた。その穴に、宝石が嵌め込まれていたのだ。
 親指の爪ほどもある美しい宝石がずらりと並ぶさまは確かに壮観だったが、富貴の国の王族だったリオンにしてみれば美しい以上の感慨はない。

 リオンは予想していたものとは明らかに違ったそれに拍子抜けする。
 魔術師が作り上げ、隠した宝ということで想像していたものとはまるでちがう、世俗的な『宝』だった。

 しかし、宝石の「原石」ではなく、研磨済みの「宝石」で、この大きさだ。
 一つ一つがたとえ王族であっても容易に持てないレベルの宝石であることは明らかだった。
 王冠の中央に嵌め込まれてもおかしくないものである。

 だが、逆に言えばそれだけだ。
 魔術師が作った宝ということで魔術的な何かだと思っていたのだが、どうにも拍子抜けする。
 リオンは背後を振り返ったが、ジョカも戸惑いの顔だ。

 ジョカはリオンの手から小箱を受け取り、何気なく土埃のついたままの箱の表面を手で払い――不意に動きが止まった。
「え……」
「なんだ?」
「あ……ああ、ああ! ああ、なるほど。そういう、そういうことか……! なるほどね……ロゼッタストーンか!」

 ジョカの意味不明語はいつものことなので聞き流す。
「どうしたんだ?」
「箱の中身は単なるダミー。いや、褒賞のつもりかな。箱の方が本命だ。この箱が、魔術師の作った宝だ」

 そう言われ、リオンは慌てて灰色の石の箱の方に目を移した。
 模様としか見えなかった彫刻が、見つめるうちに「文字」へと変化する。
 それは、あの手紙に書かれていた文字だった。

「この宝石より箱の方が貴重なのか?」
「段違い。それこそ、比べものにならないほど貴重だ。――ただし、わかる人間にとっては」
「私にはさっぱりわからないが」

 ジョカは苦笑した。
「人が、生きることに死に物狂いにならなくとも生きることができるようになると、古の歴史を知りたいと思う欲求が生まれる。それは考古学という学問になり、リオンに見せたあの文字を読みたいという強い欲求になる。それを叶えるのが、この石だ」

 蓋の表と裏。
 箱の外周すべてにびっしりと彫刻が彫られている。

 そこには二種類の文字が刻まれていた。
 一つはあの、古代文字。
 もう一つは、リオンも使っているこの地域の言語だ。ただし、リオンには読めない。古いためと、リオンは口語はできるが文盲であるためである。

 けれど、リオンは知っている。これは。
 一つの板に、二つの文字。こうしたやり方をするときを、リオンは知っている。
 ――異言語を、翻訳するときだ。

 食い入るように見入るリオンの耳に、ジョカのことばが流れこんできた。
「言語の翻訳は、どんなものでも一番最初が最も難しい。何の情報もなく無から言葉を推理することは不可能だ。一部でも言語がわかれば、それによって推理で空いた情報を埋めることができるようになる。その最初の一ピースが、これだ。同一の内容を、二つの言語で併記している」

「さっき言ったロゼッタストーンとは?」
「似たような言語翻訳書だよ。こことは違う世界の話だけどな」
 一度頷いたリオンだったが、すぐにおかしな点に気がついた。
「え? ……その魔術師の恋人は、これを作ってほしいと言ったのか? 魔術師に聞けば、造作なく翻訳できるのに?」

 しばらく、ジョカは答えなかった。
 沈黙にリオンが振り返ると、その視線を受けてジョカは儚い微笑みを浮かべ、天を仰いで言った。

「『答えだけを教えてはならない』。あの手紙には、そう書かれていた。あの手紙を読んだ魔術師(おれ)への警句として。その時は意味がよくわからなかったけど、今ならわかる。それを見て、わかった。
考古学志望の人間が、長年研究してそれでも読めない文字を、自由自在に読めて操れる人間がいるとしたら……どう思うだろうな?」
「どう、って……。必死に付きまとって、その知識を根堀り葉掘り聞くんじゃないか?」

「そうだな。そうして、自分が人生のほとんどの時間を費やして探求してきたものの答え、知識の果実が呆気なく手に入ったとしたら……ひとは、どう思うんだろう?」

 ――リオンは、口を閉ざした。
 ジョカはリオンを見て、やるせなく笑う。

「俺が特別じゃない。魔術師なら誰でも、俺と同じようにその言葉を自在に操れる。読むことも書くこともできる。
 ――そのことが、人の努力を踏みにじる時が、あるんだ」

 リオンは想像してみて、架空の痛みに目を細める。
 愚かな魔術師の恋人は、絶望してしまったのだろう。
 人生のすべてをかけて熱望していた、求めていたものの答えを、乞食に恵む銅貨のようにかんたんに投げ与えられて。
 その人間は、歓喜ではなく、絶望した。

 ジョカは、自分に言い聞かせるように、俯き加減で言う。
「人は、答えを見出す過程で試行錯誤しながら成長していく生き物だから、答えだけを与えてはいけない。ましてや未知への探求が生きる目的だったなら、目的そのものを失わせてしまう……」

 即物的で答えを早く知った方がいいじゃないか、と思ってしまうリオンには、理解は難しい心境だ。
 だが、想像はできる。

 どういう経緯でその人間が死を選んだかは知らないが、絶望が死の原因だろう。
 投げやりになり、自死を選んだのかもしれない。
 魔術師と不和になり、殺されたのかもしれない。
 それはわからない。
 『答えだけ』を与えられた人間の、末路だ。

「だから魔術師とその恋人は、その箱を作ったんだ。いずれ、同じようにその文字を解読しようとする人間の助けになるように、でも絶望までは招かないように」

 リオンは為政者であって学者ではない。
 為政者になるよう育てられ、学者になりたいと思ったことはこれまでに一度もなかった。
 そんなリオンにとってジョカは、非常に有用な知識をたくさんもつ、物知りな人で、……それだけだ。
 だが、学者にとっての彼は、ちがうのだろう。

「……そうか……。ジョカは、これをどうする?」
「決まっている。偶然見る目のある人間の目にふれるかもしれない可能性のある場所へ、移動させて放っておくさ。こんな場所、百年経っても埋もれたままだ。もうじき砂漠化するだろうし」
「……あなたのもうじきってどのくらいだ?」
「水資源を使いまくる人間の数によるけど……あと数十年のうちには」

 うなずいて、リオンは煌びやかな宝石を見て、みすぼらしい石の箱を見た。
 ジョカ曰く、価値が段違いで比べることもできない、だそうだが、リオンにはその価値がさっぱりわからない。
 リオンにとって価値あるのは、宝石のほうだ。

 それは、リオンの側にジョカがいることと無関係ではないだろう。
 息をするようにこの文字が読めて書ける人が身近にいて、頼めばいつでもそれをしてくれる人間には、この石の価値など絶対にわからない。

 それを思えば、学者と魔術師は、最悪の組み合わせだろう。
 何を聞いても魔術師が教えてくれる。
 何を調べようとしても、聞くだけで何でも教えてくれるのだ。
 学問への情熱を保てず、虚しくなって投げ出しても無理はない。

「ジョカ。宝石を貰ってもいいか?」
「ああ。リオンが自由に使っていいぞ。当然の権利だ」

 宝石は十数個ある。そのうち一つだけでも、一か月の旅にかかった経費および一か月無収入状態の家計の補填には十分すぎるほどだ。

 二人は町につくと、箱を古物商に持っていった。
 材質はただの石で何の価値もないが、模様のような細工が細かかったため、子どもの小遣い銭程度にはなった。

 古物商を出たところで、リオンはひとことだけたずねた。
「いいのか? あれで」
「ああ。あの手紙の主も、これ以上のことは望んでいやしないだろう。いつか遠い日に、この箱の価値がわかる人間がこれを手にする時が来るかもしれない。それで、いいんだ」

 極めてゼロに近い可能性だが、それでも可能性はあった。
 ジョカが頼まれたのはここまでで、これ以上はする気もないししてもいけない。
 誰か、価値のわかる人間をさがす? とんでもない。
 学問に携わる人間にとって、魔術師ほど憎むべき存在はいないのだから。

 そしてジョカがいいというのなら、リオンが言う言葉はなかった。
 宝石はすべてリオンの懐だ。家計は同一なのでジョカの懐でもあるが、ジョカは太っ腹にすべてリオンのものにしていいと言ってくれたので、そのつもりだ。

 リオンは贅沢には興味がないが、金銭には興味があった。
 かれは金がなければ事業をやりたくともできないということを、正当に理解していた。
 金は汚い、などという誤解があるが、それこそ大いなる誤解だ。

 先立つものという表現の通り、金がなければ何もできない。
 善行も、何も。
 金を汚いものとして蔑む風潮こそがおかしい。

 リオンには自分の能力への正当な評価がある。
 リオンは前々からやりたい事があり、その開業資金および運転資金に、これをあてるつもりだった。

 帰る道すがら宝石を少しずつ売り払って金に換え、それを元手に事業を起こす……その想像だけで心が踊る。

 だが、その前に、どうしても許しを得ておかなければならない相手がいる。
 雑踏の中、リオンは最愛の人に向き直り、改めて、念押しした。
「ジョカ。――ほんとうに、いいんだな? これを貰っても?」

 リオンがやろうとしていることを、ジョカは知っている。
 実のところ、それに必要な資金も手元にあった。だが、それは二人がどうしようもないほど困窮したときの最後の命綱として考えていたものだったので、リオンとしても使うことに抵抗があった。

 事業には失敗がつきものだ。まして、リオンがやろうとしている事業というのは金を海に投げ込むようなものなのだから。
 だがこの宝石は、消えてなくなっても困らない種類のものだ。
 なら、やってみたい。
 リオンはそう思っている。が、ジョカがそれを望んでいないということもまた、リオンは知っていたのだ。

 ジョカは複雑そうな顔でリオンを見ていた。
 長い付き合いだ、何を考えているのか、だいたいわかってしまう。
 どうせまた、ぐだぐだと葛藤しているのだろう。
「どうする? 止めるか?」

 ジョカはリオンに念押しされ、体全体を使って重い息をついた。
 止めたいのは山々だが……。
「……いいや。止めない」
「――そうか」
「わかってはいるんだ。俺が全部教えて何もかもから庇っていたら、それってあいつと同じ、答えだけを教えているのと何も変わらないと」

 そう語るジョカの脳裏には、道中で会った人間の姿がある。
 話したこともない人間の不幸を願う男と、
 愛しい人の不幸を願う男。
 どちらの性根がより腐っているかと言えば、ジョカの方が罪が重い。

「リオンは、大人しく籠の鳥をやってくれるような人間じゃないし。お前がもっと、依存心が強くて怠け者でぐーたらな人間ならよかったのにな」
「――そうだったら、そもそもあなたは今頃まだあの檻の中だったんじゃないか?」

 リオンが冷静に突っ込むと、ジョカは頭をかきむしって嘆息した。
 ジョカとしても、そんなことはとっくにわかっているのだ。
 かくして思考は見事に堂々巡りになる。

 リオンがこういう性格でなければ、そもそもジョカを助けようなどと考えたかどうか、非常にあやしい。
 ジョカの経験上、他人に対して守ってもらうことを当然とする性格の人間は、他人を助けることを考えないものだ。
 そして、リオンがこういう自立心の強い性格だと、ジョカは必然的に囲い込みができなくなる。

 解決策はいたって簡単で、一つしかない。
 ジョカが我慢すればいいのだ。それで万事解決、世界は平和である。
 だからジョカはそうした。

 知識を求める学徒に惜しみなく知を与え、そして絶望へと導いた魔法使い。それは他人事ではない。
 リオンに良かれと思ってであれ、何もさせずにただ与えることは、リオンの幸せを意味しないのだ。

 そう思ってしまったら、ジョカに他の結論はなかった。
 結局のところ、リオンの幸せこそがジョカにとっての最優先事項なのだから。

 一方、リオンの方はジョカに我慢させて自分の意見を貫き通して心が咎めないのか、というと、そんな事はない。
 そんな事はないが、かといって意見を翻す気もさらさらなかった。

 リオンとしては、他の事なら何でも協力するが、いくら何でもジョカの希望は論外なのである。
 それこそ一生家の中に閉じこもり、三食昼寝付きのぐーたら生活だけしていればいい、なんていう生活は嫌だ。
 家に閉じ込めて誰にも見せたくない、というジョカの独占欲が嬉しくないとは言わないが、だからといって一生幽閉同然の生活というのは許容限度を超える。
 どれだけそれが安楽で安泰であろうとだ。御免なのである。

 ここの部分でジョカとリオンの希望は決定的に割れる。

 こういうときこそ話し合いをしてお互いの希望のすり合わせをするべきなのだが……話し合いも何も、ジョカはすぐさま全面譲歩をしてしまったので、リオンとしては嬉しいけど困ってしまう。

 リオンにも、ジョカが徹底して自分に甘いということは良く分かっている。これまでも、ジョカは常にリオンに譲ってきた。
 そして今回も、話し合いをして妥協点を見出す前に、ジョカは退いてしまった。

 ジョカはいつも、リオンのために負けてくれる。
 けれどそれは、負けることを常に強いているのと、どうちがうのか。

 ジョカにばかり譲歩させていることにリオンとしても心が痛むのだが……、希望を丸呑みしてもらった側としては何をどう言っていいものか、わからない。

 リオンの中の「交渉」というのはお互いに自分の要求を認めさせるために争うものであって、話し合い以前に自分の要求が全部認められてしまい、相手の要求が認められないのがおかしいと訴えるものではないのだ。

 ふつうとは逆の意味で、話し合いにならない。
 ジョカは、リオンのためになら何であろうと譲ってしまうから。

 リオンは、心にしこりを感じながらジョカを見つめた。
 なんだ、と見返す黒い瞳に、屈託の影はない。ジョカはもう、「決めて」しまったのだ。

 ――なら、リオンにできることは、何だろう?
 リオンは考えてみて、一つの結論に達した。

 外へ出る事は駄目だ、譲れない。たとえジョカの望みでも。
 だったら、今回もまたジョカに借りを作ったことを忘れずに、長い人生これからの折々で少しずつ返していくしかないだろう。

 ジョカの愛情を、決して過信しないように。
 水も肥料もやらなければ、枯れるしかないのだから。

 ジョカは、今回もリオンに譲ってくれた。
 けれどもそれが、そうとう無理しての結論だということはリオンにもわかっていたので、リオンはジョカの肩に手を置いた。
「ジョカ……ありがとう」




ロゼッタストーン。
価値のわかる人には黄金よりも尊く、判らない人には建設用石材であったもの。
ロゼッタストーンが発見される前、研究者がヒエログリフをやっきになって解読しようとしていた時代にそれをすらすらと読める人がいたら……? という想像からできました。

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Date:2015/11/28
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