宝石は、極めて換金に困る種類の財物だ。
それも、高価な宝石であればあるほど困ると言っていい。
多くの人間に価値を認められ、資産価値のあるとされてる財物は貴金属をはじめ、いくつかあるが、宝石はその一つだ。だが、換金の難しさではピカ一だろう。
なんせ、一律に重さと純度という素人でも判りやすい基準で取引される貴金属や塩とはちがい、宝石は、種類、色、形、大きさ、傷などでころころと値段が変わる。
つまり、価値がわかりにくいのだ。
一見たいへんな逸品に見えても屑石かもしれないし、その逆かもしれない。専門家以外は手を出したくもなくなるだろう。
更に宝石の場合、上限があってないようなものだ。上物の宝石はそれこそ天井知らずの値段がつく。
王侯貴族が所有するような宝石ともなれば、ひとつで豪邸が買えるような値になる。
しかしだ、考えてみてほしい。
さほど規模の大きくない単なる街道の宿場町。そんな規模の街にある宝石店など、あっても一軒かそこらだろう。店構えも小さく、みすぼらしい。そんな店に、そんな豪邸にも匹敵する宝石を購入する資金があるだろうか?
あるわけがない。
かくて、宝石は買い叩かれるのがオチとなる。
その宝石の正当な値段で買ってほしい、買い叩かれまいとするのなら、それこそ大きな国の都にいき、そこの国一番の豪商に面会をする。それぐらいのことをして、更に買い叩かれないようそれなりの身なりをし、それなりの後ろ盾を得てからでなければならない。
「――というわけだから、買い叩かれるのは覚悟しておけ。ま、その宝石の二十分の一ぐらいにはなるんじゃないか?」
ジョカに滔々と説明され、リオンはがっくりと肩を落とした。
二人の話題の中心は、魔術師からもらった宝石をいかに換金するかだ。
彼らの家がある町までは徒歩で一か月ほどかかる。
その間にもむろん町はあり、そこで換金するつもりでリオンはいたのだが、待ったをかけたのがジョカだ。
その説明が、先ほどの話である。
宝石は見る者の値付けによって、値段がいかようにも変化するので、換金するときも難儀する。
「……二十分の一はさすがに……。はったりをきかせるのは得意なんだが、駄目か?」
リオンは生まれ持った気品もあるし、傲慢な態度も板についている。辺りを払う威厳ある態度だってとれる。
普通なら、「高貴なお方のお忍び」に見せることは造作もない、はずなのだが……。
「やめとけ。無理無理。どこぞのお偉いさんのお偉いご子息、で通そうとしても、お前の顔が顔だ。異邦人の顔じゃ、はったりは通用しないさ」
顔立ちの特徴がちがうので、リオンは異人種だと一目でわかってしまうのだ。
どれほどリオンに『エライ人』の身振りが上手くとも、地位がない単なる庶民だと一目でわかってしまう人間に、人は権威を感じたりしない。
「お前がその顔でなければはったりも通用しただろうけど、ちょっと無理」
「…………まあ、そうだろうな」
一目でわかる異人種が『私は偉いんだぞへへん』とやったところで、この辺りでは「あ、そう。で、どこの誰?」でおしまいだ。
町の領主や地主、庶民にとって身近な権力者たちはすべてこの地域の人間で、リオンのような異人種は圧倒的少数派なのだ。
リオンは偉そうに振舞うことに慣れているので、無言の威圧をきかせるのも得意だが、さすがに条件が悪すぎる。
あっさり嘘を見抜かれておしまいだ。
また、顔を隠したとしても、目元まわりの肌の色や言葉のアクセントだけで、異人種だという事はすぐにバレてしまうだろう。
「あとな、絶対に、一つだけ売れよ? 他のものを見せたりも絶対するな」
「え……なぜ?」
ジョカは危機感のないリオンに不安を抱きつつ、真剣に脅し付けた。
「殺されるぞ。冗談抜きで」
リオンは押し黙った。
「普通、それだけの宝石がそれだけまとまって出ることなんてない。そして、価値のわかる人間が見れば、一生かかっても稼げないような金になるとわかる。殺してでも奪い取ろう、そう思われるぞ」
リオンはどうにもこうにも生まれが生まれで、育ちも育ちなので、庶民の金への執着心に想像力が働かないところがある。
育ちがいいので、悪事への警戒がどうしても薄いのだ。
いい機会だと、ジョカはリオンにとくと言い含めておくことにした。
「いいか、お前が思うよりずっと簡単に、人は人を殺すんだ。あと、お前がどうしてもここで売りたいと思うのなら、値段交渉でさほど釣り上げるな。それで契約成立したところで、金を受け取る前に金を惜しんだ相手に殺されることになる。そして、俺たちを殺したところで誰も犯人を探してなどくれない」
「そんな……!」
リオンは言いかけ、口をつぐみ、頷いた。
「そう、だな。……私たちは流民の旅人だ。宿場町で流民の死体が出てきたところで、穴を掘って埋めて終わりだろう」
「そういうことだ。放置すると腐って疫病を撒き散らすから穴を掘って埋めることはするが、それは疫病が怖いからであって、それ以外はされない。よそ者で、更に流民の扱いなんて、そんなものだ」
その町の住民ならともかく、また、その町に住んでいなくともその町まで来て抗議する親族がいればともかく、流民の扱いなんてそんなものである。
そして、リオンはその外見から、一目でよそ者であるとわかる。
流民かどうかはともかく、よそ者かどうかは一目でわかってしまうのだ。それだけ殺されやすい。
「リオン……だからな、お前の意見もわかるが、街に戻ってから換金するっていうのもいいと思うぞ?」
ジョカが診療所を開いている彼らの本拠地の街であれば、流民であっても一定の信頼と尊敬と認知を勝ち得ている。
宝石商もよそ者だからと笠に着て買い叩いたりしないだろうし、殺される危険もぐっと少ない。ただしそれにも問題があった。
リオンが家のある街まで戻る途中の小さな宿場町で売ろうとしたのにも、理由があるのだ。
リオンは形のいい眉をひそめて言った。
「そうなると、私たちが資産家だということが、ばれてしまうだろう?」
そういうことなのだ。
今のところ、彼らの生活はジョカの治療師の稼ぎからくる収入のみで支えられている。
ジョカは腕利きの治療師のため、それなりに儲けは大きいが、なんせ一回の診察料を安く抑えているので、資産家という印象はない。
彼ら自身の生活も、質素なものだ。
この辺りでは少しでも裕福な人間は小間使いを雇って料理や洗濯をさせるのが普通だが、それもしていないほどだ。
だから彼らを見て、金持ちと思う人間はそういない。
しかし、あんな宝石を手放せば、すぐに噂は広まるだろう。
そしてさらに、他にも同じような宝石を持っているんじゃないか、という憶測も広まるだろう。大当たりだ。
あの家は裕福だ、などという噂が広まることは安全上、害ばかりだ。盗賊が民家に押し込み、住民全てを殺害して逃げる、ということが日常的にあるのだから。
「そのくらいなら、ここで換金したい。顔を隠していくから、どこの誰とはわからないだろう。その分買い叩かれるだろうが。多少安くなっても、安全にはかえられない」
しかし、ジョカは一つの意見を示す。
「だってお前、前からやりたがっていたことを始めるんだろう? あんなことをするのは金にゆとりのある篤志家だけだ。その時点で資産があるってことがばれるじゃないか。ならその少し前に分かったところで同じだろう?」
これもまた、その通りと頷ける一面がある。
リオンは言葉に詰まった。
「リオン。いいか、お前のやりたいようなことは、利益しか追いかけない市井の商人はまずやらん。金と気持ちにゆとりのある人間しか、やらんのだ。誰だって自分が飢えて死ぬかもしれない時に、他人に手を差し伸べられやしない。自分の腹を満たし、かつ、他人の腹を満たしてもなお明日の自分の腹を満たせると思う人間が、やるんだ」
暮らしにゆとりがなければ、人はリオンがやろうとしていることになど手を出さない。
リオン自身、そうだ。
ジョカが治療師として確かな評価を得ていて、安定した収入があり、その日の生活に困らないからこそ、やろうと思うのだから。
「それにだ。資産家だっていう噂が立つことは、確かに身の危険を考えれば害ばかりだ。でも、お前のやろうとしていることには、役に立つことだってあるぞ?」
「役に立つこと?」
「俺たちは、流民だ。普通なら建物を借りる事さえ難しい」
差別とはそういうものだ。
「だけど、金を持っているという噂があるのなら、借りることだって難しくない」
街に住んでいれば借りられる、そう思うのは浅慮に過ぎる。
信用の問題だ。
家賃を滞納した場合、流民はいざとなったら滞納したまま逃亡してしまえる。町に住む住民なら、そこら中に親類がいるので評判を気にして逃亡はできず、結局はその親戚が立て替えてくれるなどして払ってくれるものだが、流民はない。
だから、建物の所有者の方も流民には貸したがらないのだ。
ジョカの意見を聞き、リオンは呟いた。
「一長一短か……」
本拠地の街に戻って換金したときは、さほど買い叩かれないだろうが、資産家という噂が立つのは避けられない。
一方で、この町で換金すると、恐ろしく買い叩かれるだろう。だが、噂は立たない。
宝石の換金とは、かくも面倒なものなのだ。
目の肥えたリオンが見てもこの宝石は素晴らしい。
だが、そんな素晴らしい宝石をまっとうな値段で買えるような人間は、それほど金を持っている人間は、ほとんどいない。
国内でも指折りの豪商や貴族、王族くらいだ。こんなちっぽけな石に莫大な金を支払えるのは。
こんな小さな町の小さな宝石商には相場の値段などまず払えず、宝石商に言われるがまま安値で買いたたかれる運命なのである。
宝石商が持っている資金の量の話でもあるので、本拠地に戻ってもかなり買い叩かれるのは覚悟しなければならないだろう。
ここで売るよりはまし、という話だ。
ジョカ相手に無理な買い叩きをして、それでジョカが臍を曲げたら宝石商の一家が病気になった時に診察してもらえないかもしれない。
それが抑止力になる。
かといって、正規の値段は到底払えない。また、金銀なら小分けにもできるが、宝石でそれは無理だ。
リオンは思い悩み、提案した。
「一つだけ、試しにどれくらいの値段で売れるのか、この町で持ち込んでみたい……んだが。それで高い値をつけたら売ればいいし、買い叩かれるようなら売らなければいい」
「その宝石を見せたら最後、売らない限り殺されるぞ? いいのか?」
当然のように言われて、リオンは肩を落とす。
力なく一つぶの宝石を持ち上げて、たずねた。
「……これ、どれくらいの値段のものなんだ?」
「俺は鉱物の種類はわかるが、宝石の相場はわからん。それは人間の商取引で決まるものだろう? リオンの方が詳しいくらいだぞ」
それでも参考に、と見てもらった。
リオンが手にしているのは宝石箱にあった赤い宝石だ。
ジョカ曰く、
「血赤色の鋼玉石だな。色がいい。鮮血のように赤いし、透明度も高い。それこそ出すところに出せばとんでもない値段になると思うぞ?」
リオンも口を添える。
「これ、物凄く丁寧に滑らかに研磨されてるな。少しもゆがみのない楕円形だ。ここまで精度が高いのは私も初めて見たぞ。こんな研磨技術どこで……」
と、そこでリオンはこれの持ち主に思い至って言葉を切った。
――そうだ、魔術師なのだ。魔法でやったに決まっている。
ジョカの魔法は石だろうが何だろうが貫きとおす。地上で最も硬い宝石だろうと同じなのだろう。
リオンは軽い頭痛とともに、思う。
この手の頭痛は何度目だろうか。
「この宝石ぜんぶ、鋼玉石なのか?」
「貸してみろ」
ジョカは一つ一つ宝石を手に取り、鑑定していく。
並べられた宝石は多種多様な色合いだった。
白から赤、赤から黄、黄から緑、緑から青、青から黒と様々な色合いがずらりと並んでいる。
すべての宝石を鑑定し終えて、ジョカは顔を上げる。
「全部そうだな。これだけ色違いが揃うと壮観だ。ま、保存性を考えたらそうなるか……」
「保存性?」
「地中に長い間保存されて、しかも密閉もされてなかったわけだから、脆い宝石だと崩壊する。しかも熱くなったり水が流れ込んだりする可能性を考えるとな」
リオンは聞き咎めて聞き直した。
「宝石が、崩壊するのか?」
「んん? 宝石は脆いものも多いぞ?」
「私が知っている宝石というと、どれも頑丈なイメージがあるんだが」
リオンは男なので、特に宝石に関心はない。
女性のように宝石に情熱を燃やしていないので、必然的に詳しくないのだ。
リオンの返答で、ジョカもそれを察した。
「ああ……、たぶん、リオンと俺の『宝石』の知っている量がちがうんだろう。真珠だって、宝石だろう?」
「ん? ああ……ああ、そうか。真珠も宝石だな、たしかに」
真珠は極めてデリケートな宝石として有名だ。リオンでさえも知っているほどに。
とにかく熱にも水にも汗にも衝撃にも弱い。ありとあらゆるものに弱いと言っていい。それでもなお真珠の虹色の淡い輝きは貴婦人の心をとらえて離さず、その扱いの難しささえも人気に拍車をかける一因となっている。
「蛋白石(オパール)なんかも熱に脆いし、緑柱石(エメラルド)なんかも衝撃で割れるぞ、あれ。他にも衝撃で割れる宝石って山ほどあるな」
「鋼玉石は違うんだな」
「ああ。金剛石も衝撃で割れるしなあ」
「金剛石? あれって宝石か?」
「……そういや研磨技術がまだなかったな」
ジョカは思い至る。この時代、ダイヤモンドはまだ宝石ではなく単なる石、単なる鉱物でしかない。
「あれは宝石なのか?」
「ああ。あれは世界で一番硬い鉱物で、金剛石でしか磨けないんだが、磨いたら見違えるほど美しくなる」
「金剛石を金剛石で磨くのか?」
「そう。世界で一番硬い鉱物だからな、それ以外で磨けない」
「……世界で一番硬いのか、あれ」
「そうだ」
「でも衝撃で割れるのか?」
「そうだ」
「鋼玉石が世界で一番硬い、と私は習ったんだが」
「この時代ではそれが正しいんだろうな」
ジョカは頷いていう。偉ぶったりするところのない自然体で。
ジョカは自分の知識をリオンに教えるとき、決してリオンを馬鹿にすることはない。
ごく普通に教えてくれる。
おかげで質問がしやすい。
リオンも社会に出て知ったのだが、こういう平易な態度――得意げでも不愉快そうでもないごく普通の雑談のように人に教授できる人間というのは、実はかなり少ない。
いくら質問してもいいと口では言っていても、苛立たれたり、舌打ちされたりすると、人は萎縮してしまうものだ。
質問がしにくくなると、わからないところがあっても聞くことができず、放置してしまう。そして、増々わからなくなるのだ。
ジョカのそういう自然な態度を、リオンは彼の美点の一つだと思っている。
「あなたが見ても、この石は素晴らしいのか。値段にしてどのくらい……?」
「だーかーら、わからないって。宝石の相場なんて、流行やら希少性やらに左右されていくらでも上下するだろう? 商取引で決まる相場なんてわからんて。そもそも、この国ってこの石に人気があるのかって辺りも不明だ」
「……さすがのあなたも、流行までは知らないか……。そうだろうな。どれくらいの値段になるかもわからない、と。専門家に聞こうにも、見せたら邪心を抱かれて殺される危険があるから、見せたら最後どんな安値をつけられても売らざるを得ないか……」
リオンは嘆息する。
魔術師からの贈り物。その換金にこれほど困ることになろうとは。
たかだか換金する、それだけのことにこんなに悩む羽目になろうとは、リオンは思ってもみなかった。
現実でも、売買歴を辿れる著名な宝石の元の買値は恐ろしく安いです。
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