美味しいご飯が食べたい……。
リオンは緊急性は低いが切実な願いに直面していた。
リオンは意外でも何でもないが、口が肥えている。
リオンは元々、王位継承権第一位の王室正嫡の長子である。
そういう生まれが生まれで、手の込んだ美味な食事以外は出されたこともない上に、どこぞの激甘魔術師がリオンをさんざん甘やかし、美味しい出来立てお菓子やら美味しい出来立て熱々料理やらを振舞っていたせいだ。
なお、魔術師の甘やかしはそれにとどまらず、時々は彼の知識にある珍奇な珍味まで手作りしてくれたものだ。
奇抜な料理の数々だったがどれも美味だった。
おかげでリオンは見たこともない料理だから拒絶反応が出る、ということがない。異邦の料理もよほどのゲテモノでなければ食べることができるのは、ジョカも予想していなかった副産物だろう。
だがしかし、おおむね料理というものは手間と値段が味に直結している。
旅のあいだじゅう、リオンとジョカが泊まった宿は安宿である。
当然、出てくる料理は、手抜きの粗雑な料理ばかりで、まずい。
そう、まずいのだ。
リオンは悲しい顔で手元の料理を見下ろした。
……残飯、に見えるがれっきとした料理である。
ただし、残飯というのも間違いではない。
他の客の食べ残しを数種類かき集めて一つの皿に載せたもの――この地域ではごく普通に食べられているものである。
残飯を捨てずにこうして再利用する文化のある地域は少なくない。
食事を無駄にしない、という観点からは素晴らしい。
無駄に殺される獣も野菜もないわけだ。実に環境にも財布にも優しいやり方である。
だが、リオンにとっては食べることさえつらい。
悲しげに残飯、もとい他人の食べ残し、もとい宿に提供された無料の食事を見下ろすリオンに、ジョカが気遣わしげに声をかけた。
「リオン、嫌なら……」
リオンはかぶりを振る。
「……いや。大丈夫、食べる」
安宿の宿泊費についてくる無料の食事だから残飯だが、ちゃんと別料金を払えば食べ残しではない料理が出てくる。
あくまでこういったものは、金を惜しむ人間が食べるものなのだ。
そう、リオンのような。
リオンは匙を運び、もそもそとゆっくりとした動きであるが食べ始めた。
気分的な吐き気をこらえ、飲み下す。
これが残飯だとか、他人の食べ残しだとかはできる限り考えないようにした。機械的にただその動きを繰り返す。
ジョカは心配そうだった。
「無理しなくていいのに……」
懐にはそれぐらいのゆとりはある。
だが、リオンは頭を振って否定した。
「今の私には、これぐらいが分相応だ。以前のような暮らしが望むべくもないのだから、努力は、すべきだろう?」
一に努力、二に努力。
リオンはずっと、努力してきた。生活水準を下げることに。
贅沢に慣れていることは、長所ではなく欠点に他ならない。
リオンは口が肥えているが、まさにそのことが、この食事を摂る壁となっているように。
家ではリオンが料理を作っているのも、もともとはそれが原因だ。
無駄に口が肥えてしまっているリオンも、自分が試行錯誤して自分が作った自分の料理ならば、何とか我慢して食べられるだろうと考えたためだ。
かつてそのことで、ラゼルムに嫌味を言われたものだ。――あなたに、庶民の暮らしができるはずがない、と。
ふと蘇った思い出の懐かしさにリオンの口元が緩んだ。
ラゼルムのあの口に衣着せぬ言葉を懐かしく思い出す。
あのとき、何一つとして言い返せなかった言葉が、今なら言える。
――私は、できているぞ。
それは、ジョカの側にいるために、リオンが乗り越えなければならなかったことだった。
一つ一つをこなし、いつしか慣れた。そんな自分をリオンは誇りに思う。
粗末な衣服、粗末な食事、不衛生な生活。
王侯貴族の生活に慣れきっていたリオンにとってそれは決して楽なことではなかったが、どんなことでも目の前にある一つを解決していくことだけを考えて積み重ねていけば、ある日自分の成長を実感できるものだ。
リオンもそうだった。
目の前にある一つ一つの課題をこなしていき、そしてふと数年たって自分を振り返れば、あれほど苦痛だった生活水準を下げた生活が、当たり前のこととしてできるようになっていた。
今のリオンはもう、こうした食事をとることもできるし、粗末な寝台に寝ることだってできる。庶民のごわごわする嫌なにおいのする衣服を着て、家事だってやってみればできた。
一つ一つの課題をこなすことは苦痛だったが、リオンは心がちぎれるような思いを経験している。あの時の苦痛を思えば、大したことはなかった。
リオンは一口一口咀嚼し、飲み下す。他人の残飯を。
――本来、ぜんぜん苦痛でも何でもないのだ、こんなことは。
毒でもないし、量が足りないわけでもない、至ってまっとうな食事を食べるだけのことだ。
リオンは、もっとずっと心を縛る痛みを知っている。
こんなことは、愛しい人に会いたくても会えないあの日々の苦痛を思えば、何でもなかった。
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