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あかね雲

□ 黄金の王子と闇の悪魔 番外編短編集 □

理想と現実のはざま 2



 食事するリオンをジョカはやや目を丸くして見ていたが、自分も配膳された食事に手を付けた。
 一口食べて顔をしかめる。
「ああ……リオンが作った料理が食べたい……」

「そうだな。早く家に帰りたい」
 リオンも同意する。
 まずいものはまずい。
 こんな食事より、自分で作った方がずっと美味だ。
 リオンの当初のもくろみ通り、リオンは自分が作った物なら失敗作でも口にすることができた。今ではそれなりの腕になった自信がある。

 ただ問題は、家に帰りつくまで一か月以上はかかるということだ。
 リオンは同行できる隊商を探しているが、上手く道すじが一致する隊商がないのだ。もう少し探して見つからなければ、二人で帰路につくことになる。危険度は上がるが、仕方がない。
 行きに同行した隊商では、食事係が全員ぶんの食事を作っていた。
 過酷な旅暮らしでの唯一の楽しみは食事なので、隊員のモチベーションのために、どの隊商の料理番もなかなかに腕がよかったものだ。

 とそこでジョカは真顔になった。
 居住まいを正し、向き直る。
「――リオン、いつもありがとうな。まさか、お前がここまで変わってくれるとは思ってなかった」
 唐突な言葉に、リオンは目を瞬いた。
「なに? どういうことだ?」

「ん……王族として、骨の髄まで贅沢が染みついていたお前が、よくここまで庶民の生活に慣れてくれた。ありがとう」
「そんなの、私がこの道を選んだんだから当たり前だろう?」
「そうだけど……、俺はいちおう、逆の意味で覚悟していたんだよ。リオンに苦労させちゃいけないから、同じとはいかないまでも、近い生活を保てるようにしなくちゃと」

 ジョカの立場としては、それは当然の懸念だっただろう。
 贅沢をほしいままにして育ち、それが贅沢だという自覚さえもなかった傲慢で尊大な王族を地べたに引きずり落とし、庶民の生活をさせるのだ。
 リオンは自分が傲慢である自覚ぐらいはある。
 自分で自覚しているくらいなのだから、ジョカにはもっと尊大に見えているだろう。
 そんな王族の若者に庶民とおなじ生活をさせるのだから、考えて当然、考えなければおかしいくらいだ。

 だが、リオンの方にも言い分はある。
 そこまで彼は頭が悪くはない。
 リオンはむっとして言い返した。
「どこぞの空想小説の頭空っぽの馬鹿女と馬鹿男の恋愛と一緒にするな」

 リオンも煌びやかな宮廷を泳いできた者として、そういう小説が流布していることを知らないわけではない。

「貴族の令嬢と粗野な庶民とが身分違いの恋愛して駆け落ちしてそこでめでたしめでたしで終わる物語じゃないんだ。その後の生活ってものを考えたことがないのか、あの手の物語の作者は?」

 理想と現実。
 生活の苦労はそれを当事者に思い知らせる最たるものだ。

 理想は人は愛する人と一緒に暮らせるのなら貧しい暮らしなんて何でもないわ、だが、現実は違う。
 人は生きるためには食わなければならないし、食料を得るために金を稼がなければならない。
 恋で腹はふくらまないし、贅沢な暮らしをするための財貨も妄想では得られないのだ。

 ジョカはくすりと笑う。
「ごもっとも」
「宮廷であの手の恋愛小説がはやった時、それに触発されて、いくつもの駆け落ち事件が起きて騒動になったんだぞ? みんな数日で帰ったがな」

 王族にして世継ぎの君であるリオンに迷惑がかかるような種類のものではなかったが、その小説を取り締まるべきではないか――などという馬鹿げているにもほどがある議案が提出されたことには呆れた。
 政策を決める議会で討論されるようなことか。

 未婚の貴族の女性とその家にとって、駆け落ちほど重大な不名誉はあるまい。
 数日で家に戻ったとしてもだ。
 当然ながら『身分違いの恋』に浮かされて駆け落ちした令嬢の家はその事実をひた隠しにした。
 だが、そういう話はどこからか伝わるものだ。
 一生『駆け落ちした女』の不名誉がついて回る。一時の気の迷いが、高くついたものである。

 貴族社会の常識は駆け落ち自体がけしからん、というものだが、リオンの意見は、少しちがう。
 駆け落ち自体はいいとしよう。
 だが、駆け落ちするのならどうしてそれを貫かなかったのか。
 一度でもその後の生活の事を考えなかったのか。
 想像もしていなかった、というのなら頭に脳味噌ではなく空気が詰まっている輩だが、その苦労をわかっていたけど実際やってみて駄目だった、というのなら――それは単純に愛が足りなかったのだ。

「あなたといないでする贅沢三昧な生活と、一緒にいてする苦労を天秤にかけて、私はあなたと一緒にいる方を選んだんだ。だったら当然、努力すべきだろう?」

 人によっては笑止の限り、そんなの努力じゃない、と言うだろう。
 それも当然だ。庶民からすれば、その生活こそが「普通」なのだから、それに適応すべくリオンが払った苦労や努力など、努力のうちにも入らないにちがいない。

 だが。
 ――リオンにとってそれは、並大抵の苦痛ではなかった。

 上質で清潔な衣類から、何十人もの人間が着倒した垢じみた衣服へ。
 常に清潔で常に良い匂いのする寝具から、重く湿って微小昆虫が生息している寝具へ。
 食事も、贅を尽くしたものから、嫌な匂いのする残飯へ。

 嫌だと悲鳴を上げる心をねじ伏せ、逃げ出そうとする体を意思の力で縛り付けて、リオンはその生活に自分を馴らしていったのだ。

 ジョカも同意する。
「空想物語が駆け落ちしたところでエンドになってるのって、その後の生活を書いたらめでたしめでたしで無くなるからだよな。普通のご令嬢なら、悲鳴あげて逃げ出すよなあ……。俺も、お前の我慢が尽きてお前が俺に三下り半を突き付ける前に、生活基盤を整えなかったら愛想尽かされると思ってた」

 そこでリオンは首を傾げた。
「三下り半って?」
「離縁状のこと」
「ああ……。貧しい暮らしをする覚悟も度胸もないのに駆け落ちする馬鹿どもと一緒にするな」

 憮然としてリオンが言うと、ジョカは柔らかく笑って、
「ごめん」
 と謝った。

「私がその手の事を覚悟してないとでも思ったのか? 考える時間だけはたっぷりあったからな、考えたさ。そして、どんなにつらくても我慢できると思った」

 王侯貴族のような、ではない。
 王侯貴族の生活をしていたリオンだが、そこまで世間知らずではない。自分がジョカを選んだ場合、どういう生活をすることになるのか、それが想像つかないほど彼は愚かではなかった。

 それでも、ジョカと一緒にいられないくらいなら、こちらを選んだ方がいいと決めたのだ。
 そしていったん決めた以上、翻したらそれこそリオンのプライドが許さない。
 何よりも……生活のつらさ以上に、ジョカといられる幸せが手元にあった。

「家事までやってくれるとは思ってなかった。……いつも、ほんとうにありがとうな」
 真正面から心のこもった感謝を捧げられ、リオンもこそばゆい。
「ああ、あれな。やってみれば何とかなるものだな」

 料理を手始めに、汚い部屋が大嫌いなリオンは掃除をした。
 汚した覚えもないのに何で汚れるんだろう、と考えたことは秘密である。
 人間が生活するだけでああも部屋に人毛が散らばり、埃がたまるものだとは思わなかった。
 もちろんこれは、日常使用人にすべてをまかせきりにしていた人間の世迷言である。

 次に汚い服も大嫌いなリオンは見よう見真似で洗濯も始めた。
 なお、この時代の洗剤は尿なのだが、ジョカが石鹸を作って差し入れたので、リオンはそれを使っている。
 ただ、あれが洗濯といっていいのかどうか。
 リオンはジョカがつくった「洗濯機」なるものに洗濯物を放り込み、ペダルを踏むだけなのだから。
 重労働の洗濯に従事している女性から見れば、盛大な反発が返るだろうことは間違いなかった。

 生まれ落ちてこの方、正真正銘一度もやったことのない行為。
 そもそも自分がそういう雑事をやる日が来ようとは、リオンは思ってもみなかった。
 が、やってみればできるものである。

 歯に物が挟まったように、ジョカはつっかえつっかえ言う。
「その……な。その……リオンのそういう姿勢はとても嬉しいし、有難いんだが……」
 要領を得ない物言いは、聡明な彼らしからぬものだ。
「なんだ?」

 リオンが水を向けると、ジョカは神妙な表情で口を開いた。
「……あの貴族の令嬢たちは、駆け落ちなんてしても、みんな庶民の生活に適応できずに逃げ出した」
 ジョカも、あの騒動を知っているらしい。
 いや、リオンなどよりよほど微に入り細に入り詳細を知っているにちがいない。彼の耳目は、ルイジアナ中に広がっているのだから。

「俺は彼女たちを知っている。彼女たちはそれぞれ彼女なりに真剣だった。家を捨てていいかと悩み、それでもいいと恋に殉じて――あっという間に心が折れたわけだが。リオンはどうしてそこまで変わった……変わる努力をしてくれた?」

 リオンはまじまじとジョカを見つめた。
「本当にわからないのか?」

 リオンはジョカを聡明なひとだと思っているが、時々、ひょっとしてジョカは阿呆なんじゃなかろうかと思うことがある。ちなみにそう思う時というのはリオンに関わる事柄であることが十割だが。

「……プライドとか意地とか、もう後戻りができないとか?」
 どうやらはっきり言わないとわからないらしい。
 リオンはアイスブルーの眼を光らせ、ジョカと目を合わせると、一語一語はっきりと、釘を打ちつけるように、言った。

「いいか、空想でできた下らない駆け落ち恋物語に触発された頭カラッポの令嬢との差異はな、私が、あなたを、愛しているということだ」

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Date:2015/11/30
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