ジョカが黙った。
静かで結構。
リオンは匙が止まっていた食事を再開する。
リオンが皿を九割がた空にしたころ、静かだったジョカは恐る恐る聞いてきた。
「俺を愛しているから頑張ってくれた、と?」
「……あなたは、私を何だと思っているんだ?」
こう言っては何だが、リオンは自分をそこまで忍耐強い人間とは思っていない。
苦痛で苦痛で苦痛で仕方がないようなことをやるには、相当強い理由が必要だ。
リオンは深い深いため息をついた。
なんだか、基本中の基本のところで、認識に誤解があったのを今ようやく気がついたような気がした。
リオンはやさしーく、ジョカに話しかけた。
「ジョカ……私はな、我が儘なんだ」
しかし言われた方のジョカは戸惑い顔になった。
恋人関係になってかなりたつが、ジョカはリオンの我が儘に振り回された経験というのがほとんどない。皆無とは言わないが。
「え? そうか? お前がそういう人間だとは思わないけど……」
「我慢強いとも言い難いんだ」
ジョカはひらひらと手を振って否定する。
「いや、それは絶対ない。お前はすごく我慢強いって。俺が驚いたくらい色んなことに我慢してくれてる」
「贅沢好きで、身勝手で、自分が良ければいいっていう人間なんだ」
「……リオンって、自分を知らない?」
非常に疑わしげに、ジョカが呟いた。
ジョカの知るリオンというのは、贅沢好きなところだけは当たっているが、自らを義務感でしばりつけ、自分で自分を出口のない迷宮へと入り込ませてしまうほどに、責任感から逃げられない人間だった。
「ちがう。そういう人間であるところの私がだ、まるで違う振る舞いができているのは、あなたを愛しているからだ。私が我(が)のままに振舞ったら、あなたが困る。そしてあなたが困ると、廻りまわって私も困る。あなたが私への愛を薄れさせると、私は個人的に非常に困るから、頑張っているわけだ。わからないのか?」
いくら恋人が魔術師で無茶な願いを叶えられる奇跡の力を持つとはいっても、我が儘を言って愛想尽かされたらと思えば、そうそう無体な事は言えなくなるものだ。
また、ジョカが黙ったのでリオンはせっせと目の前の残飯もとい食事を胃袋に納める作業に戻った。
やがて、ぽつりと。
「……俺のため?」
「それ以外に、どんな理由があるというんだ?」
さすがに声に呆れが混じった。
ジョカが焦って言う。
「あ、いや、リオンが俺を愛してくれているのは知っている。ただ……ちょっと、その……そこまでとは思ってなくて」
ジョカは自分の感情をどう表現していいものかもたついたあと、笑顔を見せた。
自分の感情を端的な言葉で表現する。
「嬉しい」
その笑顔を見れば、リオンの心も温かくなる。
その当時の心情を見つめなおし、どこかしんみりと言った。
「……愛とは偉大だなと、私は自分を顧みて思うぞ。私は、私のためでは努力できなかっただろう。あなたを愛しているから我慢できたんだ」
リオンは変わった。
だが、変わることは尋常でない苦痛をともなった。
それでもできたのは、ジョカを愛しているからだ。
自分のためにはできなくても、誰かのためなら努力できる。それを為さしめる感情を、愛というのだろう。
そこで、リオンは皮肉げに唇を吊り上げた。
「あの砂糖菓子でできた物語に触発されたご令嬢がたはな、シャボン玉のような恋はしていても相手を本気で愛してはいなかったんだよ。本気で愛していれば、私のように相手の場所まで降りていくことができたはずだ。私は、あなたを愛しているからあなたのために変わろうという努力ができた。それが、答えだ」
自分が懸命に努力して慣れただけに、慣れずに逃げ出した令嬢へのリオンの評価は辛辣を極めた。
リオンは苦行に等しい食事を終えると、匙をそっと置いた。
「――愛していなければ誰がやるかこんなこと」
リオンは、ジョカの側にいるためにその他のすべてを切り捨てた。
その先の苦労も覚悟の上でだ。
実際に苦労したが、今となってはその苦労も笑って思い出せるたぐいのものに変わっている。
ジョカはまっすぐリオンを見た。
「リオン。ありがとう。ほんとうに嬉しい」
「……まさか本当にわかってなかったのか? 一つ聞きたいが、なんで私があそこまで頑張っていると思っていた?」
「お前、プライドの高さは天下一品だから。自分が決めて自分が言い出したことなんだから違えられない、って思っているのかと」
「その部分もあることは否定はしないが……」
リオンはまんざら演技でもなく嘆息する。
白い肌に髪が落ち、端正で優美な横顔が憂愁をおびて、見慣れたはずのジョカでさえ一瞬どきりとさせられる色気があった。
ジョカは諭すようにリオンに語り掛ける。
「でもな、そこまで頑張らなくてもいいんだぞ?
切実に金に困っているわけじゃないんだから、ちゃんとした食事を頼めばよかった。リオンが頑張っていることはわかる。すごく努力してくれていることは伝わってくる。だけど、張りつめた糸はいずれは切れる。少しは緩めることを考えよう?」
宝石の換金は難航している。
だが、元々彼らはそれほど懐が厳しいわけではない。
リオンはジョカの言葉を考え、首肯した。
「あなたの言いたい事はわかる。……そうだな、私は少々無理している。少しでも自分に甘くして、際限なく甘くなってしまうのが怖かった。飯はまずいし、腹の中はむかむかする。次からは、もう少し自分に優しくしよう」
「聞き入れてくれてありがとう。それより――」
ジョカが一瞬、周囲に目をやり、すぐに戻した。
リオンもさりげなく周囲に目線を配る。
安宿の食事処には他にも数人の客がいて、注目を浴びている。
それは慣れているが、どうも嫌な様子でリオンを見ている気配がする。
「何だか、見られているな」
「おまえ、綺麗だし」
「……人攫いか?」
古今東西、子どもを襲う人攫いは多いが、大人を襲う人攫いはそう多くない。
小さな子どもなら大人一人でも抱えて逃げられるが、頑健で、子どもに比べれば大柄な大人を攫うには、数人の人手がいるからだ。……が、無くなることもない。
これも古今東西で共通する傾向で、人攫いが攫う大人は、主に女性だ。世界最古の職業をはじめとして、需要はいくらでもあるからだ。
女性ではないリオンが見られているということは、ジョカの言う通りリオンの容姿が優れているせいだろうか。
「西方人だと一目でわかるのに?」
基本的に、人間は同種を好む。
東方人は東方人を好む。西方人は西方人を。
リオンもまた、その差異を実感していた。
東方の女性は、リオンを見て綺麗だともてはやしはするが、どこか壁を感じているようで、言いよりはしないのだ。もちろん、リオンが男色家だという風評もあるだろうが。
同レベルの美女なら、人は自分と同人種を選ぶ。
人間の本能的な部分で、他人種を拒絶しているのだろう。
ましてやこの時代、異人種はそれだけで拒絶されるのだ。
ジョカはふっと笑う。
「お前が俺を選んだように、どこにでも一般の嗜好とは違う連中はいるさ。西方人が好き、なんていう人間も中にはいるだろう」
「……それは要約すると、私を物好き、と言っているのか?」
軽く睨むと、ジョカは真顔で言った。
「え? 俺がお前を選んだことは我ながら趣味がすごくいいって思っているけど、逆は物好きだと思うぞ」
「……後でゆっくりと話をしような? ジョカ」
軽くじゃれあって話を元に戻す。
「で、正直な話、何だと思う、あれ」
「一つ、人攫い。二つ、俺に用があるどなたか。三つめ、それ以外の何か。四つめ、最悪お前の素性を知ったどこぞの誰か」
リオンはげんなりとして、天井に目をやる。
「四つ目の可能性があると思うか?」
「ないと思うね……たぶん。でも、ときどき偶然ってやつは信じられない確率を成立させるからな」
リオンは少し考えてみた。
リオンの素性が知られたら――それは当然、ジョカの素性暴露とセットなわけだ。
リオンの素性が知られようが実害は少ない。
リオンのはったりが通用しないのと同じ理由だ。リオンがこの国のほとんどの人間が生涯一度も足を踏み入れない遥か遠国の王族だからといって、ここでは何の意味もないからだ。
だが、ジョカの素性が知られたら、実害は大きいだろう。なんせ、ジョカは魔法使い、なのだ。
魔法使いの力を目の当たりにして、目の色変えない人間の方が少ないほどだ。
面倒なことになりそうだと思いつつ、二人は食事を終えた。
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