「あなたの連れは、治療師なのですか!?」
いかにも今はじめて聞きました、という勢いでリオンに詰め寄っているインホウだが……ジョカの目から見ると、実に白々しい。
感情を隠すことと感情を演技すること、両方に長けている人間だ。敏腕の商売人とはそういうものなのだろうが。
そんな人間が、何を目的に二人に接触してきたか。
しかも――まずいことに、二三年前にルイジアナにいたかもしれない。
東西貿易をしていた、という言葉が本当だとしたら、交易が終わって今休暇中ということは、二三年前にはルイジアナにいたということだ。
まずい。
非常にまずい。
リオンの名前は、ルイジアナではそれこそいくらでもいる名前だ。
元々人気ある名前だったが、第一王子の名前ということで、あやかって子どもに付ける親が沢山いたのだ。
だが、ジョカの方は珍しい。
なんせ、元々が人名ではなくリオンが語呂合わせで付けた名前だ。人名としてありふれているとは到底言えない。
そして二三年前にルイジアナにいた人間が、リオンとジョカという名前を聞いた事がないということは、それが情報が生死を分ける商人ならなおさらありえない。
リオンとジョカ。
この二つの名前を持つ人物が、ここにいる。
それを偶然ととらえてくれるだろうか。
移住した当初、偽名を使うことも考えたが、ジョカとしてはリオンに貰った名前に愛着があった。それに、実害があるとは考えにくいほどルイジアナは遠かったのだ。
だが、この二つの名前は、知っている者に一つの発想を促す。
偶然の一致と思ってくれればいいのだが。
ジョカはそこでリオンの代わりに会話に割って入った。
にこやかに、話しかける。
「ええ、私は治療師です。どなたか、治療を望んでいらっしゃるのですか?」
「ええ。私が所属する隊商の、長がですね。少々体調を崩しておりまして……。できれば、一度治療をお願いしたいのです」
「どちらの町にお住まいですか?」
インホウは、この町から徒歩で十日はかかる大きな町の名前を挙げた。
「お断りします」
ジョカははっきり言い放つ。
リオンは驚きの顔になったが、すぐにその顔を隠した。
ジョカは、患者の治療を断らない。
金が足りない患者であろうと、出世払いでいいといって診療しているのを、リオンは知っている。
インホウは固い表情で問いかけた。
「どうして……ですか?」
ジョカはやんわりと苦笑した。
「私どもは家に帰る途中の者ですよ? この町に住んでいるというのならともかく、往復で二十日もかかる場所まで行くのはとてもとても……。それに、それほど大きな町でしたら治療師は他にもいるでしょう。隊商の長というのでしたら治療を頼む金にも不足はしないでしょう。治療を果たせる自信がありません」
もっともな言い分に、インホウはぐっとつまるがそこで怯まず、更に踏み込んできた。
「ですが! ですがあなたでしたら長の治療も叶うでしょう!」
「さて、私の腕を買い被っていただけるのは光栄ですが……おかしな話ですね。あなたは私のことを今しがた知ったばかりでは? 見ず知らずの、たった今出会ったばかりの人間の治療の腕前を、そこまで信頼されると?」
ここで肯定は無意味。否定するしかない。
インホウは渋々と、それを認めた。
「ええ……すみません、私は嘘をつきました。あなたの噂を、聞いた事がありました。隊商のあいだで、話を聞いたことがあったのです。隊商と同行を望んだ腕利きの治療師がいた、と」
嘘を認めるしかないが、嘘を認めたこと。それ自体が彼の弱みになる。
ジョカは、こういうからだ。
「なるほど、嘘をおっしゃられていた、と。増々こわいですね。私としては、安易にあなたの言葉を信じてついていったら最後、山賊の巣へと案内されて身ぐるみ剥がされた挙句に殺されるかもしれません。わたくしは、あなたの言葉をやすやすと信じるわけにはいかなくなりました」
人に虚偽を話し、騙そうとした。
そんな人間についていくわけにはいかない。
実にもっともな話である。だれもが同意してくれるだろう。
インホウは痛いところを突かれたが、それでもしぶとく粘った。
「……黙っていたことは謝罪いたします。ですが、長が病に侵されているのは事実なのです。どうか、ご助力いただけないでしょうか?」
「私は、あなたを信じる理由がありません」
ジョカは言い切る。
関係を断ち切ろうとする決然たる意思に、インホウが言葉を紡げなくなった一瞬の間を盗んで、ジョカは椅子を立つ。
無言でリオンもそれに追従する。
二人で宿に戻って、扉を閉めた瞬間にリオンはたずねた。
「どういうことだ?」
ジョカは単刀直入に言う。
「あいつ、俺たちの素性に気づいているかもしれない」
リオンは驚かなかった。黙って首を振り、いう。
「……東西貿易をやった隊商のひとりだと聞いた時に嫌な気配はしたんだ」
「それが本当ならの話だけど、運が悪いとしか言いようがないな。広いこの東方すべてを俯瞰しても、俺たちのことを知っている人間は五百もいないというのに、そのうちの一人に当たるなんてな」
リオンがそこで疑問を呈した。
「でも、本当か? こう言っては何だが、東西貿易をしていると、そう嘘を言って私に声をかける口実が欲しかったんじゃないのか?」
「その可能性は高い」
ジョカもうなずく。
リオンもうなずいて、そう思った理由をあげた。
「身なりがあまり良くない。東西貿易をやった直後というのなら、もっと財布は重いはずだろう」
「何より、俺とお前の名前を聞いた時に真っ先にその可能性に思い至らないほうがおかしい」
ジョカという治療師の話を聞いたのならば、その傍らにリオンという名の情夫がはべっていた、という話も耳に入っただろう。
逆説的だが、東西貿易をやったことのある人間ならば、二人の名前を聞いて、その可能性を考えない方がおかしいのだ。
そして、その可能性を考えたのなら、少々行動がおかしい。
魔術師を相手に喧嘩を売るつもりなら、要諦はただひとつ――やるなら徹底的に、だ。
口実を作って交渉しようなど、片腹痛い。
不確定だが、しかし。
ジョカはふっと笑った。
「でも、可能性を否定もできないだろう?」
「……たしかにな」
諦めたように、リオンは肯定した。
「荷物をまとめろ。逃げるぞ」
ジョカの決断にリオンは驚きの表情を見せたが、すぐに頷いた。
「そこまで深刻か?」
リオンがそういうのも無理はない。
食堂で少し話をして、依頼され、断っただけだ。差し迫った危機は、まだ何もない。
「楽観的に考えれば、あいつは俺たちの素性などいっさい知らず、ただ俺を目当てに声をかけたんだろう。そして俺に治療を依頼した。でもな、最悪を考えれば、俺たちの素性をあいつは知っていて、俺を捕まえて奴隷のように酷使するつもりだ」
リオンは重いため息をついた。
「……それがどういう結果を生むか、わからないのかな?」
「わかっていても、目先の欲が勝る」
リオンは思わずジョカに目をやった。
深沈とした一言には、経験がもたらす重みがあった。
魔術師をとらえ、使役しようとした人間の末路は、大概がろくなものではない。
東方でも同様の話はある。
魔術師という存在を目にした時、人間のとる行動には一定の類型があるのだから。
ただし、それが幸福な結末を迎えた話など、ジョカは聞いたこともない。リオンもだろう。
ジョカとリオンは手分けして背嚢の中に荷物を放り込む。
盗難を考え、部屋に置いておいたものは価値のないものばかり、数も少ない。
すぐに荷物はまとまり、リオンは声をかけた。
「どうする? 料金を精算してもらうか?」
前払いの方が安くなるので、ふたりは一週間分の宿泊費を前払いしていた。
ジョカはかぶりを振った。
「いや、小金を惜しんでも仕方ない。裏口から逃げよう」
「……わかった。でも裏口って?」
こうした宿には厨房から裏庭へとでる裏口があるものだが、厨房へ行く道も厨房も、人がいるはずだ。見咎められるのは避けられない。
ジョカは口で説明するより早いと自分の背嚢からロープを取り出し、リオンに渡す。
土地の測量に持ってきたものだ。
「……わかった」
しかし、窓を開けたリオンは無言で閉めた。
「どうした?」
「……ジョカ。一歩遅かった」
リオンは諦めの表情で、二三度首を振る。
窓の下には人がいて、リオンと目が合って手を振ってきたのだ。
ジョカは冷静に言う。
「やっぱりな」
「やっぱりって?」
「あいつが話しかけてきたってことは、そういうことだろうと。普通、声掛けは逃がさないよう包囲を整えた後で、するものだ」
リオンは嫌な顔になった。
「いいか、リオン。これからはあいつが俺たちの素性を知っているという前提で動く。確証はない。だからかまをかけられても引っかかるなよ」
「わかった」
ジョカがロープを背嚢にしまうのとほぼ同時に、扉が鳴った。
コンコン。
ジョカが動かないので、リオンも動かなかった。
もう一度、扉が鳴る。
リオンはジョカに目をやったが、まだジョカは動かない。
それを確認し、落ち着いてリオンは扉に目を戻す。
数秒おいて、さらにもう一度、扉が鳴る。
ジョカは動かない。
もう一度同じことが行われ、ついにというべきか、ようやく声が掛けられた。
「失礼、ジョカどの、この扉を開けて頂けますか?」
その声は、さきほど聞いたインホウのものだ。
リオンは隣の恋人に目をやったが、やはりジョカは黙然と立っている。
それを見て、リオンも態度を同じくする。
リオンはジョカを信じている。
こういう時の判断においてジョカの方がずっと優れているし、たとえ間違えたとしてもジョカの判断違いならリオンがやったところで結果は同じだろうと思えるくらいに、彼を信じていた。
ふたりの沈黙に、扉の向こうで不安と苛立ちを増幅させている気配が、手に取るようにわかる。
もう逃げたのか、あるいはまだ中にいるのか……。
数度ノックされ、そして、ついに扉が開かれた。
まさにその瞬間にジョカはひとことを投げつける。
「強盗ですか?」
「……失礼、いたしました」
前のめりの姿勢で部屋に入ってきたインホウは慌てて姿勢を正す。
「しかも、鍵をどうしたのです?」
「……宿の人間に、借りました」
これを翻訳すると、買収して手に入れました、という。
驚くようなことではない。
おおむね値段と質は比例する。
安宿の従業員に、宿泊客の安全を守ろうとするモラルを期待する方が愚かなのだ。
だが、それにしても従業員を買収して鍵を受け取る行為は犯罪以外の何ものでもない。
被害者の目の前で自分の犯罪を告白したインホウは、その場に両膝をついて頭を下げた。
両膝を床につけ、額を床にこすりつけたのだ。
この姿勢にはさすがのジョカも驚いた。もちろん顔には出さないが。
この地域では室内でも靴を脱がない。
泥で汚れた地べたに(この場合は床だが)額をこすりつける――この姿勢は、この地域での最上級の賓客へのあいさつ、もしくは謝罪である。
「心より、心より、お詫び申し上げます。数々のご無礼、償えと言われるならばどのような事でもいたします。ですからどうか私とともに、長のところまで来ていただけないでしょうか?」
しばらくの間、ジョカは何も答えなかった。
部屋に沈黙が下りる。
ジョカにとっては相手を吟味し、膾にして隅々まで解剖しつくす時間であり、相手にとっては一秒一秒が切り刻まれるに等しい苦痛の時だった。
ぽつり、とジョカは問う。
「……なぜそこまで私を?」
「あなたが、同じ病を癒したと――そう聞いたのです」
ジョカは眉をひそめる。
「病?」
「――らい病です」
リオンは顔をひきつらせ、ジョカはひそめた眉をゆっくりと下ろした。
短くつぶやく。
「なるほど」
→ BACK→ NEXT
- 関連記事
-
スポンサーサイト
Information
Comment:0