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あかね雲

□ 黄金の王子と闇の悪魔 番外編短編集 □

無知と偏見 3


この小説内では一貫して「らい病」という呼称を使ってます。
これはハンセン氏がいない異世界で「ハンセン病」という名称があるんかいなと思ったためで、この病への偏見を助長する意図はありません。お許しください。



 らい病ほど、この時代忌み嫌われた病はあるまい。
 患者はもちろん、その家族にいたるまで徹底的に差別され、遠ざけられた。

 本来感染力の低いこの病がそれほど忌まれ、恐れられた理由はこの病の症状にある。
 生きながらにして皮膚が爛れ、指先や鼻などが腐り落ちていく……視覚的衝撃が甚大な病なのだ。

 また、この病は痛覚神経をも麻痺させるため、痛みに対して非常に鈍感になる。
 患者は火傷や暴行を受けても痛みを感じなくなる……悪魔憑きなどと呼ばれ、集団暴行されても本人は痛がらない。そしてまたそれこそが悪魔憑きの証拠などと誤解をうけることになる。

 まずは見た目で差別を受け、次に差別による迫害を受けてもけろりとしている様子から、悪魔が憑いているのだと宗教的偏見すら受けるようになった。
 それが、らい病の不幸だ。

 この病にかかった者は悪行を為した罰が当たったのだろうと言われ、冤罪を着せられた本人がいかに抗弁しても、ならば前世の報いであろうと返された。
 患者の家族も含め、徹底して差別されぬかれる病なのである。

 床に額づいたまま、搾り出すようにインホウは語る。
「わたくしどもは、絶望しきっておりました。一生誹謗されつづけて生きるのであろうと。いくら隠したところで、こうしたことはどこからともなく洩れるものです。今は必死に隠しておりますが、いつか町の皆にも知れ渡る。そうなれば終わりであろうと、そう悲嘆にくれておりました。ですが――ですが!」

 インホウは顔を上げる。
 その瞳には涙がいっぱいに溜まっていた。
 その表情を冷静に観察し、ジョカは内心でやや驚く。
 ――嘘をついているようには見えなかったのだ。
 余程の役者か、真実を語っているのか。

「そんなとき、あなた様の噂を耳にしたのです。ある町にて、らい病を治療してのけた治療師がいる、その名はジョカと。藁にもすがる思いで私と家族はその町へと向かったのですが、お留守でした……。その足取りを追い、私はこの町へとやってきたのです」

 嘘をついている様子はない。
 ジョカは自分の観察眼に、それなりの自信を持っている。
 そして、らい病の患者の家族というのなら、ジョカを何が何でも逃がすまいとした態度にも納得がいく。

 ジョカはらい病を治せる。
 それができる、おそらくこの時代唯一の治療師だ。

 しかし……。
「では、なぜ最初からそう言い、胸襟を明かして治療を求めなかったのですか?」

 インホウはうなだれた。
「……申し訳ありません。小賢しい商人の浅知恵でございました。らい病と聞けば、ふつうの治療師は治療を断ります。らい病さえも治療してのけたあなた様でしたら断らないかもしれませんが、少しでも有利に話を進めたいと考え……」

「東西貿易というのは、はったりですか?」
「はい……それができるほどの大きな隊商であると、そう思わせたかったのと、お連れの方に声をかけるその口実です」

 やはりか。
 どうりでやることなすこと甘いはずだ。

 ジョカとリオンという名を知っているのなら、真っ先に頭に浮かぶのはジョカが魔術師であるという可能性だ。
 本気で魔術師相手に喧嘩を売るつもりなら、交渉などというものは絶対的な優勢を確立したあとにするものだ。
 魔術師と敵対しようというのなら、魔術師の弱点を突き、その弱みを握ってからのちに何食わぬ顔で話し合いという名の従属を要求するべきなのだ。
 そして、ジョカの弱点は非常にわかりやすい。

 たとえばリオンをさらい、その身柄と引き換えに要求をつきつける、という手段をとられれば、ジョカとしても拒絶は難しい。

 ただ、そこまでされたら最後、穏便な結末というものはない。
 リオンに危害を加えた人間に与える慈悲など、ジョカには存在しないからだ。
 ――逆に言えば、インホウはそこまでしていないから、慈悲をかける気にもなれる。

 ジョカは指摘した。
「患者は隊商の長ではありませんね。あなたの親しい相手でしょう」

 インホウはぐっと詰まったが、誤魔化せないと思ったのだろう。悄然とうなずいた。
「それは……その……はい。どうしてわかったのですか?」

「これまでのあなたの反応を見ていれば、誰もがわかるはずだ」
 ジョカが半端な交渉が通用しない相手だとわかった以降の、なりふりかまわぬへつらい方を見れば、誰でもわかる。

「はい……病にかかったのは、私の兄です」
 それを聞いたリオンがぎょっとした顔になり、一歩体を退いた。

 リオンにしてからが、この反応である。
 この時代、らい病とは恐怖の代名詞なのだ。

 ジョカは片手でリオンの肩を抱く。
「大丈夫だ、リオン」

 絶対的な確信がこもった言葉に、リオンは信頼が心に宿り、恐怖を追い払った顔でうなずく。
 そのやりとりを見ていたインホウの顔にかすかな希望が宿る。

「重ね重ね、幾度も偽りを申しましたこと、申し訳ありません。ですが、これは嘘ではありません。兄は、隊商の長をしておりました……病にかかるまでのことですが」
「そうか」

 インホウは思い切ったように家族の無実を訴えた。
「兄は、兄は……けっして悪人ではありません。むろん商いをするのですから品を値切ったり駆け引きをしたりということはありますが、人が言うような罪を為すようなひとではないことは家族の私がいちばんよく知っています。なのに、治療師の誰もそれを信じてくれないのです。それどころか、家族でぐるになって何か悪事を働いていたに違いないとさえ言われ……私たちは地獄の苦しみを味わってきたのです。どうか信じてください! 私たちは何もしていません!」

「ああ、そうだな。信じよう」
 ジョカは断言した。
 あっさり信じられ、インホウは呆気にとられた顔になる。

「お前たちが罪を為していないことを俺は信じよう」
 呆気にとられたインホウの顔に、じわじわと喜びが浮かんでくる。
 しかしそれが明瞭になる前に、ジョカは微かに笑み、残酷な一言をたたきつけた。
「治療を受けてやってもいい。ただし、治療の代価はお前の資産すべてだ」

 インホウは口を開けた。
 何かを言おうとしたのだろうが、何も言わずに口を閉ざした。
 ジョカはてっきり反発が来るだろうと思っていたのだが……インホウは意外にも頷いた。
「――わかりました。兄を治していただけるのでしたら」

 その態度に疑念を感じ、ジョカは釘を刺した。
「念のため言っておくが。お前の資産を家族に分散させて隠そうとするな。らい病となった兄の資産は、現在おまえの采配するところのはずだ。一切合財すべて差し出せ。前払いで」
「あなたは私に飢えて死ねと言われるか!?」

 やはり家族のもとに資産を分散させ、資産隠しをする予定だったのだろう。
 ジョカははっきりとした嘲笑を浮かべた。

「最初から素直にそう言えばよかったものを。優位に立とうと小賢しく画策し、嘘の上に嘘をつき、治療師を愚弄しようとするからそうなる。治療してほしければ、お前の持つものすべてを投げ出せ。嘘も誤魔化しも許しはしない。お前らの財産はすべて即座に売り払い、為替にかえて俺の住む町へと送る。それでもいいというのなら、俺に頼むがいい」

 インホウの顔が、苦渋に彩られる。
 自分や家族の資産全てを奪われる苦痛と、兄を見捨てる苦痛とを天秤にかける者の顔だ。

 家族のためなら金など、というのは現実が見えていない愚か者の言葉にすぎない。
 家土地建物すべての資産を金に換え、ジョカに差し出せば後はもう物乞いになるしかない。しかも自分だけならまだいい。家族全員がそうなるのだ。
 むろん、実力と人望のある商人ならば人に資金を借り、再起することもできるだろうが。

 二つの大切なもののうち一つを選ぶとき、どんな人間でも苦しむものだ。
 そこに欺瞞や虚偽が含まれていないかを、ジョカは観察する。

 インホウは商人らしく用心深く慎重にたずねてきた。
「あなたが……兄を助けてくれるという保障はあるのですか?」
「ああ。俺は、お前の兄を助けよう。ひいてはお前の家族もお前が今受けている悪評から救い上げよう」
「あなたが、治療をせず、財産を持ち逃げしたら?」
「為替の扱い所にて、治療を条件として一筆書いておけばいいだろう」
「あなたがもし失敗して……治療ができなければ?」
「同じく、一筆書いておけばいいだろう。そのときには全額返還すると」
「あなたは、ほんとうにあの忌まわしい病の治療ができるというのですか?」
「ああ」
 短い断言。
 聞く者の胸に信頼を湧き起こす、自信に満ちた言葉だった。

 その言葉を聞き、インホウは長く熟考した。

 その間に、リオンはジョカの腕を引いて小声でたずねる。
「ジョカ。彼と話して、大丈夫なのか?」
 その表情にはらい病への懸念がある。
 懸念どまりで恐怖までは行っていないのは、ジョカを信頼しているからだ。

 首を振って、ジョカはその懸念を否定した。
「いや大丈夫だ。らい病の感染力は弱い」
「私も大丈夫か? かなり長々と話してしまったんだが……」
「患者の家族だからといって、喋ったくらいで感染したりはしない」
「でも、彼は患者と接触していたんだろう? 彼がすでに感染していて気づいていないということは?」
「大丈夫だ」
 再度、ジョカはリオンに保障した。

「らい病は、感染力が低い病だ。仮にインホウが感染していたとしても、喋ったくらいでうつらない」
 重ねて言うと、それでやっとリオンはいちおうの心の安心を得たらしい。

「わかりました!」
 突然の大声に、ジョカはそちらを振り返る。
 大声で恫喝して、それでジョカが怯えたりどうにかなると思うほどの愚か者ではないだろう。

 インホウはすぐに声をしぼませ、首をうなだれて、呟く。
「わかりました……」

 ジョカは手を伸ばし、顎を持ち上げてその表情を観察した。
 彼は涙をこぼし、唇を噛み締めていた。睨むと言った方がいい表情で、歯を食いしばってジョカを見ている。
 その眦(まなじり)の端から堪え切れない涙が滲んでいる。

 大事な者を救うため、他の大事なものを投げ出す覚悟をした男の顔だった。

 その表情をつくづく眺めてジョカは満足し、手を離した。
「――いいだろう」

 そう言った瞬間、リオンの頭が跳ね上がった。
 信じられない、という顔でジョカを見ている。
 それを視界の端で認識しながら、ジョカはその言葉を告げた。
「お前の資産すべてと引き換えに、お前の兄を助けよう」




 話が纏まりインホウが立ち去った後、リオンはジョカに意見を述べた。
「私は反対だ」
「遠いせいか?」

 インホウの兄は、ここから徒歩で十日ほど離れた町にいる。
 町の場所で嘘をいう必要がなかったので、その言葉は事実だった。
 往復で二十日、最低ひと月は逗留して経過を看なければならないから、帰りが相当遅くなってしまう。

「うつったらどうするんだ? いくら感染力が低いと言ったって、治療していればうつるかもしれない。らい病患者なんて、治療することはないだろう。放っておけばいいじゃないか。自業自得だ」
 ジョカは耳を疑った。
「自業自得?」
「何か罪を犯したから、らい病にかかったんだろう? そういうのを自業自得というんじゃないのか」

 ジョカはさすがにインホウが哀れになった。
 リオンにしてからがこの態度だ。
 らい病患者とその家族の受ける苦痛は、言語に絶する。

 らい病にかかったのは、何か悪い事をしたせいだといい、本人が必死に否定しても、ならば前世の悪行のせいと言われる。
 前世なんてものを持ち出されては、反論も難しい。前世の事を覚えている人間はいないのだから。

 この誹謗中傷は、どれほど普段の行いが良くても関係ない。
 「いい人に見えたのに、人は見かけによらない」と言われるのがオチだ。

「病気になるのはその人のせいじゃないだろう?」
「そこが違う。らい病は病気じゃない。天罰だ」

 らい病は、病とは呼ばれていても、それが病気であるとは思われていない。
 病気になるのは本人のせいではないが、この病は病ではなく、神が下した天罰であると思われているのだ。
 何か悪事をなした因果応報であると……。
 よって同情にも値しない。

 「病気」になるのは可哀想だけど、らい病は病気じゃなく自業自得なんだから、いくら蔑んだところで構わない。
 それがらい病患者の偏見を当然とする、この世界の一般的認識だった。

 ジョカはリオンに向き直り、真摯に諭すことにした。
「リオン。それは違う。間違えている。らい病は病だ。病気なんだ。彼らは、何か罪を犯したから病になったんじゃない。ただ、ただ……そう、ただ運が悪かっただけなんだ」

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Date:2015/12/03
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