ジョカは天を仰いでしばし考えた。
一般人とは一線を画した場所にいるジョカは、リオンのらい病への見方が偏見であることを知っている。
だが、それを、どう伝えればいいのかと考えたのだ。
偏見というのは自分では自覚がないもので、リオンにも自覚がないだろう。
この世界は、これが「正しい」とされているのだから、それが当然だ。
翻ってみれば、こう言っているジョカ自身にも何がしかの偏見はあるだろう。それが正しいと思い込んでいて、偏見だという自覚もないだけで。
偏見は、無知から始まると誰かが言った。
別の誰かは、偏見は知っていることから始まると言った。
どちらも一部合っていて、一部合っていない。
もし、リオンがこの病についてまったく何も知らず、まっさらな状態であったら、逆にジョカの説明を素直に受け入れて頷いてくれただろう。
だが、リオンは激しく抵抗している。
それは、彼がこれまで培ってきた文化的偏見の積み重ねがあるからだ。
彼は、らい病患者は天罰だと、そう思いこんでいる。それは生きてきた年月のぶん強く積み上げられたものだ。
その蓄積が、リオンに反発させる。
蔑んでいいもの、いやむしろ蔑むべきものとして生きてきた年月が、リオンにジョカの言葉を否定させた。
そして同時に、その偏見は無知がもたらしている側面もある。
ジョカは知っている。
らい病は天罰などではなく病気であり、同時に感染力が低いことを。
そういう正確な知識を知らず、何の予備知識もなくらい病患者を見たら、なんせ視覚的衝撃が甚大な病だ。ジョカもリオンの言う天罰という言葉をそのまま受け入れてしまったかもしれない。
だが、ジョカは知っている。らい病が病気であることを。
知っているから、こう言えるのだ。
ジョカはリオンを諭した。
「らい病は、病気だよ、リオン。病気にかかる人は、その人に罪があるから病にかかるんじゃない。らい病にかかる人も、同じだ」
リオンは混乱した顔だった。
らい病患者は、天罰。
それがこの時代の常識なのだ。
「え……? そんなの……そんなの……ありえない。そうだとしたらっ」
「そうだとしたら?」
「ただ、ただ運が悪かっただけだっていうのか? 何の罪科もなく、ただ不運なだけであんな目にあうのか? 世界はそこまで残酷なのか? そんなの……それこそ酷いじゃないか!」
否定を望み、声を荒げる最愛の人に、ジョカはしずかに言った。
「――そう、世の中は、酷いようにできているんだよ、リオン」
家族がらい病にかかった場合、その家は逃散(ちょうさん)し、ちりぢりになるのがふつうだ。
情がなく、らい病に罹患した家族を切り捨てられるのならまだましで、家族を見捨てられない者は、忌まれ、疎まれ、揃って町から追い出され、どこまでも共に堕ちていくしかない。
身を売ることさえできず、街で物乞いすることさえ許されずに追い出され、多くは流浪のまま野垂れ死ぬ。
家族のなかにらい病患者が出るということは、そのまま破滅を意味するのだ。
らい病患者の運命は、あまりにも酷い。
――だから、こうまで差別されるのだ。
世間はそれが誰にでも自分にも降りかかる可能性のある災厄と考えるのが怖い。何の罪もない善良な人がなると考えるのは怖い。
だから、だからその原因を相手に求めようとする。
らい病になった人は、そうされるに相応しい罪を犯した報いだと、考えたいのだ。人は。
「世界は冷たくて残酷だ。そう思いたくないのはわかる。誰でも同じようになる可能性があると思いたくないというのもわかる。
――だからといって、らい病にかかった人がそれに相応しい悪人だというのは、正しくないんだ」
順繰りに、理を尽くして説明すると、リオンは黙り込んだ。
自分の中の偏見や心の闇と向き合う長い沈黙の後、リオンは顔を上げてジョカを見る。
「あなたは――らい病を癒せるんだな?」
「ああ」
「それを広めることは……?」
ジョカは考え込む。
自分以外に、あの薬が調合できるか……?
「俺以外には無理かな」
「無理って?」
「薬の調合が難しい」
「詳しい製造方法の手順書をつくれば…」
「成分が変動するからな。ええと……」
ジョカは適切な言葉を探して宙に視線を迷わせた。結局見つからずにこう言った。
「薬の成分がすぐに変化してしまうって思ってくれ」
「そうか……じゃああなたの言う通り、あなた以外にはできないんだな」
案じたよりずっとあっさりと、リオンはジョカの言葉を信じてくれた。
ジョカは驚いたが、すぐに気づいた。
こうしてリオンがジョカの言葉を聞いてくれたのは、ジョカに心からの信頼を寄せてくれているからだ。
リオンは、ジョカのことばを疑わない。
どうもリオンはジョカは何でも知っているとでも思っているフシがある。リオンがすぐ信じてくれたのは、そのおかげだろう。ジョカも間違えることはあるのだが。
リオンがジョカに寄せるあからさまな信頼は、こそばゆくも心地よい。
逆に言えば、見知らぬ他人が突然こんな事を言っても、一笑して取り合わないに違いない。
リオンはジョカを信じてくれているから、こんなにすぐに信じて、自分の中の常識が偏見だと理解してくれたのだ。
結局――人が偏見を解くためには、正しい知識と『それが偏見であるという自覚』が必要なのだろう。
自分の思い込みが事実だと、そう強固に思い込んでしまっている人間には、どんな言葉も届きはしない。
そう、よほど信頼している人間の言葉でなければ。
リオンは、落ち込んでいるようだった。
今まで「正しい」と信じ込んでいたことが間違いであったことを、リオンは今初めて知ったのだ。
それとともに自分の過ちを振り返って自己嫌悪に陥っているのだろう。
リオンは反省するということができる珍しい王族なのでなおさら後悔は深いだろう。
いっそのこと、反省もせず後悔もしない人間の方が楽に生きられるのだ。
誰かのことを、誰かの痛みを、想像して思いやってしまう人間ほど、この世界は生きづらい。
その昔、ジョカの苦しみを思いやってジョカを解放してくれたリオンが、そのために塗炭の苦しみを味わったように。
リオンは優しい。
優しいからこそ苦しむ。この世はそういう風にできていた。
予想された反応なので、ジョカはその頭をそっと撫でる。
「せめて、目の前にいる人は助けよう?」
「……うん……」
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