インホウの故郷へと出発する日。
らい病を治療できる、という触れ込みのジョカは、インホウの家族たちに涙ながらに感謝された。
そうはいっても、女性の旅が現実的でない時代だ。今この場にいるのは全員男で、インホウの兄弟らしき男が三人である。
全員インホウより年若に見える。
彼らはらい病を発病した長兄を最初家長とし、その次にはインホウを家長としてまとまっている隊商一家のようだ。
感謝の言葉を受けながらちらりとインホウの方を見ると、複雑そうな顔で、黙って見ている。
どうやらインホウはジョカの出した交換条件を、まだ家族に言っていないらしい。
最初が肝心なので、ジョカはインホウをじろりと睨んだ。
「家族に伝えていないのか?」
「あ……それは」
「家族の了解が必要だ、ということは分かっているだろうな?」
インホウはむっとした表情で言い返す。
「私が家長だ。私が決めたことに口出しはさせない」
「お前が独断で決めたことが、家族の未来に関係のないことならそれでいいだろうがな」
ジョカはそう切り返し、彼らに告げた。
「治療費は前払い。額はお前たちの資産すべてだ。インホウはそれに頷いたが、今ここで、決めろ。それでも俺に頼むか、拒否するか」
まだ若い――といってもいちばん若い弟も成人はしている――兄弟たちがざわめく。
うち一人が思い切ったように切り出した。
「もう少し、安くなりませんか?」
その依頼を、ジョカはにべもなく突っぱねた。
「駄目だ。そして嘘も誤魔化しも許さない。俺に頼むか、全財産を失うかだ。俺はどちらでもいいんだ、さっさと決めろ」
うろたえ、相談し始める弟たちを叱りつけ、まとめたのはインホウだった。
「俺たちはこのままだと、すべてを失う! 必死に口止めして隠しているが、ばれたら最後、俺たちは町を追い出されるだろう。それに比べれば、この業突く張りの治療師に全財産支払った方がまだいいだろう? 再起するための資金なら、兄貴が治った後に借りられるんだ。そうして、もう一度やりはじめればいい」
「で、でもよ、兄貴……。らい病を治療できる治療師なんて他に聞いたこともねえ。こいつが単なる詐欺師で、大兄が治らなかったらどうする?」
当然ともいえる疑念だ。
そういった疑問に、インホウは一つ一つ答えていく。
三日前、ジョカから聞きだしたことを伝えたのだ。
不安感が払拭されると、そもそもの二択――全財産か、兄の命かという話だが、それはインホウの言葉がすべてだ。
らい病患者が家族に出たということになれば、すべてを失ってしまうのだ。
弟たちは小声で話し合うが、やがて頷いた。
金ならまた、やり直せるのだから。
家族に情がなければまだ話は早いだろう。
患者を秘密裏に殺し、埋めればいい。
だが、家族で旅をしてきた隊商一家は結びつきも強い。
殺すに殺せず、共倒れになってしまうその感情を、馬鹿にすることはしたくなかった。
話がまとまり、弟たちが了承したのを見てジョカもうなずく。
「いいだろう。お前たちの兄を治してやろう」
◆ ◆ ◆
インホウたちとともに十日ほど旅をした。
インホウの一家は隊商を率いる一家だけあり、護衛含め十人の大所帯で移動していたので、移動にも不安はない。
ただし……。
その夜、隠そうともせず天幕を抜け出して戻ってきた二人に一番年若のインホウの弟――インタオがぼそりと呟いた。
「……恥ずかしいとは思わないのかよ」
「恥ずかしい? 何が?」
ジョカが堂々とそう言い返すと、これから兄を助けてもらわなければならない相手に面と向かって陰口を言えるほど図太くはないらしく、インタオは口を閉ざした。
その表情には嫌悪と理性の葛藤がある。
それを見ると、若いなあ、と、何やらほのぼのとした気分にさえなってしまうジョカである。
この「若さ」には愚かさも含まれていることは言うに及ばずだ。
ジョカとリオンの二人が夜中に抜け出して何をやっているのか、誰もが悟っているだろう。だが、それを揶揄するようなことを言ってしまうあたりが愚かであり、若さだ。
もちろん、他の全員はジョカの機嫌を損ねてはまずいという分別を発揮して、思うところはあっても黙っているのである。
ジョカは彼から見れば赤ん坊のような子どもの言葉を荒立てようとはせず、寛容に見逃した。
年は十代後半か、いっていても二十代だろう。そんな子供は、感情で動くものだ。ジョカもそうだった。リオンでさえそうだった。
それを思い出せば、寛大な気持ちにもなれるというものだ。
同性愛はたいがいの国で異端で、偏見と差別の対象だ。
ジョカもリオンも、似たような視線はいくらでも受けてきたので慣れていた。
ジョカはリオンをうかがうが、面の皮の厚さにおいて、ジョカよりよほど上のリオンのことだ。気にする様子もなかった。
リオンのそういった強さに接するたび、ジョカは少しばかり感銘を受ける。
リオンの内部には強靭な芯があって、それが誰に馬鹿にされようが揶揄されようが揺らぐことなく彼を支えている。
――自分の価値を信じられる人間というのは、かくも強い。
しかし、見逃す気にならなかった人物が一名いた。
インタオの隣の男が失言をした弟の頭を殴りつける。
「申し訳ありません、うちんとこの馬鹿が失礼なことを申し上げました。――ほら、お前もとっとと謝れや」
「い、いてえええ……!」
相当痛かったらしくインタオは頭を押さえて呻く。
天幕のそこここで失笑がわきおこる。同情の声はない。
彼が怒ってみせた理由はジョカにはよくわかった。
インタオ以外の全員が分かっているだろう。
ここで黙って見逃がしたら、インタオ自身はもとより、隊商全体が危ういからだ。
もし、大事な客人に暴言しても許される――なんてことを学習し、そう思いこんだらまずい。
今回の失言をジョカが見逃したのはジョカが寛容だからであって、いつもではない。インタオが同じような失敗を別の、もっと不寛容な人物にやらかす危険がある。
そこでインタオが謝っていれば万事解決――のはずだったのだが、インタオがまたやった。
「なんだよ! 兄貴だって気持ち悪いって思わないのかよ! 男同士で何やってんだよ、きしょくわりい!」
ここまでの全面否定というのは久しぶりに受ける反応で、ジョカはかえって面白くなってきた。
男の手が握りしめられる。
恩人に向けての暴言に、本気で気絶させようと心を決めたのがわかったので、ジョカはリオンの方を向いて口を開いた。
「リオン、俺たちのこと気色わるいってさ。どう思う?」
戯言(ざれごと)のようなかるい口調。
リオンも即座に察して重々しく頷く。
「不愉快だな。ひっじょーに、不愉快だ」
「気色悪いって言われてまで、一緒に旅をしたり、あまつさえこいつの兄貴を助けてやる必要性って、俺たちにあるっけ?」
「ないなあ、まったくない」
このやりとりを聞き、インタオは目を白黒させながら叫んだ。
「ほ……報酬は払わないぞっ!?」
ジョカは、人の神経を逆撫ですることでは折り紙付きのにやにや笑いで応じてやった。
「べつにい? 最初に言っただろう? どっちでもいい、って。俺はお前らの金なんてなくてもいいんだよ。それ、俺にとって特に必要な金ってわけじゃないしなあ」
「ああ。こんな不愉快な思いをしてまで同行する意味はないな」
インタオは自分に突き刺さる視線に気づいて、おろおろと首を左右に振る。
天幕の中は、インタオを責める目線一色だ。
ジョカはどれほどもつかと思ったが、さすがに家長の権限が強い地域だけのことはある。
家長であるインホウの強い目線に、不肖の弟は割合早く陥落した。
インタオは頭を下げ、謝罪した。
「……すみませんでした……。謝罪します……」
家長の厳しい声が降る。
「インタオ」
意味は明白だった。――足りない。
インタオは腰を折り、額と膝を地面にこすりつける。
「申し訳ありませんでした!」
そのまま、頭を上げない。
ジョカの許しが出るまでは頭を下げ続けるのだ。
さすがにここまでやれば、懲りただろう。そう信じる。
これで懲りないようなら、後は実際に大火傷でもするしかない。そうなってからでは遅いのだが。
ジョカは腕組みをし傲然とした様をつくって、平伏してすっかり大人しくなったインタオを見やる。
「男を好きな男を見るのは初めてか?」
答えたのは家長だ。
「いえ……そういう方々はどの国にもそれなりにいらっしゃいますし、インタオもそれなりに応対できていたはずなのですが……」
答える声には、戸惑いが濃い。
商人の必須技能に、「愛想」がある。
旅をする隊商に余剰の人員などいない。小さな子どもだって、子どもなりの仕事をこなすものだ。インタオだとて、貴重な人員として働いていたに違いない。
それがなぜ、という困惑が滲む声だったが、ジョカにはその理由の察しがついた。
ジョカはふっと笑う。
「リオンに当てられたか?」
下げられたままのインタオの頬が首筋までカッと赤くなった。
許されてもいないのに頭を上げ、反駁する。
「な、何言ってる! なんで俺がっ! ちがう! そんなんじゃ……!」
顔を真っ赤にし、否定して回る。
残念ながら、その姿はジョカの言葉を肯定しているようにしか見えない。
インホウの顔色も変わる。
一歩間違えれば客人の所有物に手を出した――そう思われてもおかしくない非常にまずい状況だったが、ジョカは鷹揚に一笑した。
「騒ぐな、騒ぐな。珍しくもない。リオンは綺麗だからな、時々出るんだ。お前みたいな一時の気の迷いが。リオンが目の前から消えて、三日もすれば気の迷いもさめるだろうよ」
性欲が暴走する一時期の気の迷いだろうと、ジョカは寛大だった。
リオンは伴侶の横顔を見やっただけで、何も言わずに沈黙を貫いた。こういう時の最善だろう表情――無関心を絵に描いたような顔だった。
怜悧な美貌はそういう表情だと一層冴えわたり、冷然としたそのさまと、ジョカとの情事の直後という事実とのギャップが人を惹きつける。
きちんと身だしなみを整えた後のリオンに、情事を思わせるものは皆無だ。リオンは隙がないたちで、むやみやたらに肌を見せることもなければ媚びも売らない。
毅然として女々しさの欠片もない姿は、知っていなければ男に飼われている愛人とは思えないだろう。整然とした姿に乱れた印象は何もない。
だが、人は隠されれば隠されるほど知りたくなるものらしい。
端然とした風情が人の獣欲をそそる。
この人形のように精緻な美貌の美しい男が、ついさっきまで男に抱かれていたのだという事実が、その乱れの無い姿さえも逆に人の想像力を駆り立てるものへ変えるのだ。
リオンの白磁の肌が桜色に染まり、その唇が淫らな喘ぎ声をあげ、凛然とした美貌が快楽に乱れる姿を見たくなる。
こうして誰はばかることなく堂々とジョカと連れ立って情事に姿を消していればなおさらに。
「ただし――」
恫喝には笑顔の方が効果的なので、あえてジョカは笑ってやる。
リオンと違って笑い方には自信がないが、インタオが怯えた顔になったのでそれなりに効果はあったようだ。
「リオンに危害を加えようとしたり、盗ろうとしたら殺す」
リオンが単なる雑談の延長線上の声で補足した。
「ジョカは本気で殺すからな、気をつけた方がいい」
周囲がリオンの言葉にぎょっとする。
平静で平易な相槌が、ジョカの脅しに真実味を付加したのだ。
ジョカは隣に座るリオンの肩に手を廻し、引き寄せる。
リオンも応じて、力を抜いてもたれかかった。
目を閉じ、ジョカの肩に頬を乗せた。
甘えるように。
長い睫毛が頬に影を落とし、その瞬間のリオンは普段とは別人のように弱々しく頼りなげに見えた。
男たちは揃って息を呑み、形容しがたい空気が漂う。
常に凛とし、肩で風を切って歩くリオンが束の間見せた淫靡な風情に、男たちは考えたのだ。
リオンが閨の中でジョカにだけみせる顔は、どんなものだろうか……と。
「リオンは俺の所有物なので、決して手を出したりしないように。これは俺の。いいな?」
堂々たる所有宣言に一拍遅れ、どこか慌てたようにインホウは言う。
「あ、ああ。もちろん手を出す気なんてない。あなたたちの関係に口出しする気もない……ありません。安心してください」
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