町に着くと、まずは商人の組合所にいき、契約を取り交わした。
大金を払う治療の場合、治療師と商契約をかわすことは珍しくない。
どこにでも悪徳治療師はいるし、どこにでも自分の大切な人を救うためになら大金を払うという人間はいるものだ。
それから向かったインホウの家はかなりの豪邸だった。
この地域では珍しい石造りの家で、かなりの広さがある。
家のこしらえもなかなかのものだ。玄関が複数。居間も複数あるクラスの家で、客人の格に応じてそれに合わせた居間へと通される。
ジョカはもちろん最も上等な居間へと通された。床には絵画を模した細密な織りの絨毯が敷かれ、内装も立派である。
かなりの規模の商売をやっていることに間違いはなさそうである。
そんな家がらい病患者を出した……となれば、家はあらゆる手をとってでもその話を隠そうとすると同時に、手を尽くして治療できる治療師を探しただろう。
そして、その労力は正しく報われ、ここにジョカが来たのだ。
ジョカは物怖じした様子もなく診察に取り掛かった。
「患者と接触した人間は全員集めろ。診察する」
「商売をしていたから、客まで含めると相当な人数になってしまうんだが……」
「いや、発症してからでいい。症状が出た後に接触した人間だ」
「わかった。それなら家族だけだからすぐだ」
庭には離れがあり、そこに前の家長が住んでいた。
ジョカはそこへ患者の家族を集めさせた。
その際は、ジョカは診察の時に常につけている長手袋に長前掛け、長ズボン、顔は布で覆い、肌が露出しているのは目だけという姿だった。
リオンは助手として同じ姿でそれを手伝う。
ジョカは診察が終わるとインホウにあらかじめ注文しておいた薬の材料を受け取り、インホウの家の厨房を借りて調合を始めた。
リオンも調合を手伝った。
「ジョカ、こっちのこれは?」
ジョカは鉱石を磨り潰しながら答える。
「単なる小麦粉」
「小麦粉? そんなのが効くのか?」
「もちろん効かない。それは嵩増しだ。分量が微量すぎて測ることが難しい薬剤に小麦粉を均一にまぜ、量を測りやすくする」
「へえ……」
「薬は毒物でもあるからな。効果が激烈な薬物は、一粒ならよく効いても二粒の分量だと逆に毒になったりする。でも一粒なんてそんな僅かな分量だけを取り出すのは難しいだろう? だから、無害な物質を混ぜて量を十倍に増すことで、測りやすくするんだ」
リオンはジョカの指示で単純作業――材料の磨り潰しや水の煮沸、嵩増し用の小麦粉との混合、消毒用の薬液の作成などを行う。
調合となると、ジョカの独壇場である。リオンができるのは誰もができる単純作業位だ。
邪魔しないよう、言われたことだけを粛々と手伝った。
なお、隅にはインホウもいる。
ここはインホウの家だ。邪魔はしないことを条件に、調合を見たいという申し出を断る理由もないので同席を許したのだ。
そのインホウは食い入るようにジョカの調合を見ている。
ジョカは彼に声をかけた。
「薬の材料が揃ってよかったな」
「あ、ああ……。だが本当にそんなものが効くのか?」
「効くんだこれが。ただし、この調合は難しい。お前が調合してみるのは勝手だが、効かなくても俺のせいにするなよ。名前も出すな」
「ああ……」
らい病の薬の調合方法を知れば、それは巨万の富を生む源泉となるだろう。
なのにあっさりと同席を許したジョカを不審に思っていたインホウだが、複雑な工程を知って納得した。
最も時間のかかる材料集めの工程をインホウがすべて肩代わりしたというのに、朝から始めて夕方になってもまだ終わらない。
無数の多種多様な材料を刻み、煮込み、裏ごしし、混ぜ、放置し、冷まし、熱し……。
厨房にはリオンがランプを持ち込み、たった一つの光源の下、リオンはもうできることがないので休み、ジョカは働き続けていた。薄明りでもジョカはそもそも真の暗闇だろうが動ける人間なので問題ない。
そしてリオンでもここまでくると何の戦力にもなれない。
極めて微妙な調合。人間の持つ、ファジーな感覚では太刀打ちできない。
砂一粒に等しい重さを、正確に百回つづけて測るようなものだ。その日の体調や気分に左右される人間ではとてもできない。
一本の糸を想起する。
弛まず、張りつめすぎて切れることもない一本の糸。
集中力を高めている今のジョカは、まさにそれだ。
手の中で混ぜ合わされる薬の成分が手に取るようにわかる。
どこをどのように化学変化させればいいのかもわかる。
あとは、それをするだけ。
この薬を調合できるのは、ジョカだけなのだ。
ようやく全てが終わったときには、夜の帳が下りていた。
だがそこで終わったわけではない。出来上がった薬をジョカは天秤をつかい、一回分の分量ごとに小分けにしていく。
出来上がったのは粉末状の薬だったので、薬包紙にくるむ形にした。
天秤で一つ一つ重さを測り、リオンと一緒に手分けしてそれを包んでいく。インホウもそれに加わった。
ジョカは出来上がった薬を使用上の注意とともにインホウに渡す。
家族全員ぶんなので、積み上がる薬包紙の量は相当な量になった。
「らい病は潜伏期間が長いから、家族も全員薬を飲め。そうすれば感染していても発症しないから」
「感染? 発症? 感染すれば発症するものではないのか?」
「ちがう。感染と発症は別物だ。感染が感染。発症が症状が出ること。らい病の潜伏期間は長いから、感染して、数年後に急に症状が現れるんだ」
インホウはぞっとしたようだった。
「今のところは症状がなくとも、感染しているかもしれん。だから、念のため接触していた家族は全員飲め。十日ほどでいい」
「兄は……これで治るのですか?」
期待と渇望のこもった、すがるような声。
ジョカは少し微笑んだ。全身を布で覆った姿でも、それは相手にわかったようだった。
「ああ。お前の兄は、これで治るだろう」
インホウは突然ひざまずいた。
「神よ……感謝します……!」
「いいから早く持って行け。俺が単なる詐欺師だったらどうするつもりだ?」
インホウが姿を消すと、ジョカは今までぶっつづけで調剤していた疲れがどっと出て椅子に倒れるように座り込んだ。
「お疲れ様」
リオンが優しい声で労わってくれる。
それに甘え、リオンに帽子を取ってもらい、顔の覆面や前掛け、手袋も外してもらう。
心底疲れていたジョカは、されるがままだった。
薬の材料の中の有効成分を精製するのが非常に面倒くさく、繊細な作業であるため人任せにもできない。
くたびれはてた。
ずっと覆面で作業をしていたジョカは汗だくだったので、リオンが濡れ布巾で顔を拭いてくれる。
「ずっとやっていたから、お腹が空いただろう。何か用意してもらってくる」
「ああ……頼む」
笑顔でうなずき、軽快な動きで身を翻したリオンを、疲れていたジョカはそのまま見送った。
◆ ◆ ◆
インホウの家の女衆は、ジョカたちが家の厨房を朝からずっと占領していたので、家の別の部屋に引っ込んで息を潜めていた。
そこにリオンがやってきて、落ち着いた人を惹きつける声で食事を頼んだのだ。部屋の中で小さな騒ぎになった。
もちろん、リオンが頼んだのは扉越しだ。
この地域の女性は貞淑で控えめな女性がいいと言われ、伴侶や家族以外の男性と外出することにはいい顔をされない。
家の中とはいえ、そして一対一ではなく女性の方は多数だとはいえ、他人の男と話をすることにさえ、抵抗がある文化風習なのである。
それを知っていたリオンはまず扉越しに女性に声をかけた。
同性相手の受けはいまいちだが、リオンは異性相手には抜群に受けがいい。
万国共通で、女性は見目のよい男が大好きだ。
扉越しだが、相手は大事な客人であるリオンのことをもちろん知っている。
彼女たちが家の男衆のために用意した食事を分けてもらう。驚いたことに、その中にはきちんとジョカとリオンのぶんもあった。
古今東西、男より女性の方が気がきくものだと相場は決まっている。
二人の分の食事を用意したものの、女性が家族でもない男の前に呼ばれもしないのに勝手に出ていくのは「はしたない」。
そういう文化圏なのである。
そのため彼女たちが持っていくことはできず、男衆が気を利かせて声をかけてくれることもなかったため、持て余していた食事をありがたくリオンはもらった。
盆に盛られた食事を持ってジョカのもとへ戻るわずかな道行きで、リオンは足を止めた。
広くもない廊下の中央で、インタオが立っていた。
中央に立たれているので、リオンも立ち止まらざるを得ない。
数秒見つめあい、相手が何も言わないので、仕方なくリオンは口を開いた。
「何か用か? どいてくれ」
冷え切った声だった。
インタオはその声に含まれる冷ややかな無関心に、体を震わせる。
リオンにとってインタオは、路傍の小石以下の存在だ。
それが雄弁に伝わる声だった。
リオンとしては、口をきくのも煩わしい。
性欲過多の思春期の一時の気の迷いだとは思うが、それならそれで、自分との接点は少ないほどいい。
何より――自分に懸想する男の存在など、考えるだに面倒くさく、忌々しい。
リオンはジョカを愛している。
ジョカ以外の男など論外だ。
だから、男なら誰でもいいだろうと思われるのは屈辱でしかない。
男にそういう目で見られる事自体、不快だ。
インタオは顔を上げたが、リオンの方が背が高いので、見上げるかたちになる。
身長も肩幅もリオンの方が上だ。力ずくでやってもリオンの方が強いだろう。
そして、リオンの美貌は人の好意を引き寄せるものにもなれば、こうして人の好意を跳ね返す氷壁にもなる。
「……っ、な、なんでもない……」
結局、インタオは顔を背けてそう言い、退いた。
リオンはその脇を通り過ぎる。
一度も振り返らずに。
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