リオンが大仕事を終えた後のジョカに食事を届け、一緒に食事をしていると、リオンの顔には自然と笑顔が浮かぶ。
二人とも胃袋はからっぽなのでひたすら胃に食物を送る作業に熱中しているが、気詰まり感は一切ない。
ときどき顔を上げ、ジョカと目を合わせるだけでほのぼのとした温かい気持ちになれた。
沈黙が気持ちを追いつめ、何か言わなくてはと焦らせるのではなく、通じ合っている。無駄に話をする必要はない。
親密な間柄だけがもつ、穏やかな沈黙だった。
そこにインホウが入ってきた。
会話もなく黙々と食事をとりつづける二人の間の穏やかさに気づいて、ほうという顔になった。
「仲が良いですね」
「付き合いが長いからな」
リオンは彼に軽く会釈するだけで、口は開かない。食物でいっぱいなこともあるが、彼は「ジョカの客」なのだ。
インホウはでしゃばる女を嫌うタイプだ。
夫の仕事にあれこれ口出しする女を嫌う人間は多い。そしてインホウから見ればリオンはまさにその立場だろう。容姿の美しさを武器に、ジョカを籠絡したと思っているはずだ。
「兄は、どれくらいで治るのでしょう?」
「既にただれた皮膚は、病が治っても完全には治らん事が多い。皮膚がただれたところは皮膚病か火傷だとでも言って誤魔化せ。あの薬を服用すれば、進行もおさまり、感染もしない。お前たちは薬を服用するのは数日でいいが、患者本人は一年あの薬を飲み続けろ。さっき渡した量じゃ途中で切れるから、明日……は疲れたから明後日も薬剤を作る」
リオンはげっとなったが、もちろん表に出すことなく静かに黙っていた。
またあの強行軍をするのかと思うとうんざりだが、言っていい事と悪い事がある。
インホウは神妙にうなずく。
「わかりました」
「経過を看るため、一か月はこの町に逗留する。とにかく疲れた。リオンと休みたい。部屋はどこだ? 寝台はひとつでいい」
「はい、ご用意しております。こちらへ……」
あてがわれた客室は、それなりに広さのある客室だった。
寝台は二つ。この地方の寝台は背が低く、固い。腰掛けと寝台が共用で、木の板に薄い綿布団を敷き、そのまま横になって眠るのだ。綿布団すら敷かない場合も多い。その場合はもちろん木の板の上で寝るのである。
ふかふかの寝台で生まれてからずっと寝起きしていたリオンなどはその寝台を見た当初よく眠れると思ったが、これは文化の違いからくる偏見というもので、慣れればこれはこれで悪くなかった。
固く冷たい上に無数の小石が散らばる地面の上での野宿を経た後である今は、もちろん大歓迎だ。
その部屋にジョカは自分の荷物を放り出し、インホウに言う。
「湯はあるか?」
「はい、用意させていただきます。少々お待ちくださいませ」
呼びに来たので浴室へと向かう。
この家には驚いたことに浴室があり、中には小さな浴槽と風呂道具、部屋の隅には排水管まであった。
そうとうの、富豪だ。
二人で順番に頭と体を洗い、浴槽へ沈む。足を延ばせば一人分しかない小さな浴槽だが、つめれば二人入る。
二人で数日分の汗と垢を綺麗さっぱり洗い流して風呂に入ると、生き返った心地だった。
ジョカはリオンの白い肢体を未練がましい目で見やってつぶやく。
「したいけど、さすがに疲れた……」
「明日はどうする? 町へ出てするか?」
「そうしよう。絶対、聞き耳立てられるだろうし」
「私は気にしないけどな」
リオンはジョカの水で濡れて艶を増した黒髪に唇を当てる。
「気にならないのか?」
「いまさらだ。慣れた」
必要に迫られて茂みのなかであれこれやったので、順応してしまったとも言う。
リオンはくすくすと笑いながら囁く。
「聞き耳なら旅の間、色んな人間が立ててたじゃないか。ほんとうにいまさらだと思わないか?」
リオンはジョカと愛の行為をすることに、躊躇いも抵抗もない。
好き同士で想い合っている同士だ、何をはばかることがあるのか。
ジョカは心惹かれる様子だったが、首を振った。
「やめとこう。さすがに後始末を女性に任せるのは気が引ける」
寝台の上でいたすと、敷布が体液でドロドロになる。
そして、独特の匂いは嗅いだことのある人間なら誰でもピンとくるものだ。
さすがにこの家の女衆にそれを丸投げするのは躊躇いがある。
「そうか……それもそうだな。じゃあ外の連れ込み宿にでも行くか」
「……家の連中に場所聞くのやだなあ……」
何をしようとしているのか、さすがにバレバレだ。
リオンはまたわらう。
「じゃあ禁欲するか? 我慢できるのか、そもそも。あなたが?」
「……無理かも」
「だろう? あ……そもそも、この家、すでにあなたのものじゃないのか?」
ジョカは首を横に振って否定する。
「今はまだだ。一か月後に正式に名義が移転する。でももうインホウの所有ではないな」
「じゃあ、それまでにあなたが殺されたら?」
リオンは心配になって聞いた。
「殺されたって、もうインホウの手には戻らないさ。そういう契約だ」
「そうか……」
安堵したように、リオンがちいさく息を吐き出す。
言い出すきっかけを探していたジョカは、そこで切り出した。
「ごめんな、リオン」
何を謝るのか、リオンはすぐに察して柔らかく笑う。
「なんであなたが謝るんだ?」
「お前にばかり、がまんさせている気がして……」
「不要な軋轢は、なるべく避けるべきだ。そうだろう?」
リオンは平然とそう返すが、それでもジョカは済まないと思う。
揶揄や侮り、蔑みの眼差しをリオンは道中一身に受けてきた。
同性愛は偏見と差別の対象だ。
面と向かって口に出して言ったのはひとりきりだが、同じことは全員が思っているだろう。
男同士なのに、堂々とよくやるよ……と。
そして、ジョカに対しては丁重にしなければならないが、リオンに対しては違う。
更に、リオンは今は人前では従者然として、ジョカの影に控えた振る舞いを心がけていた。
隊商と一緒に行ったときにも似たような好色そうな眼差しと蔑みの目はあったが、ここまでひどくなかった。
リオンに、そういう眼差しを送り続けるのはなかなか根性のいることだからだ。
リオンは体も大きいし、背も高い。大抵の人間はリオンより背が低いのだ。
人は見た目に大きく左右される。頭上から見下ろされる相手を侮り続けるのは至難の業だ。
おまけに、リオンは振舞おうと思えばいくらでも王者然として振舞える。威圧させることもお手の物だ。
リオンは人に庇護されるのではなく、人を庇護する側の人間だ。りっぱに一人の騎士として立てる男だった。
――なのに、今はそれを意識させないよう振舞っている。リオンはインホウの客人の『おまけ』だ。おまけが主人然と振舞って波風立てるのは良くないと判断し、自分を影へと控えた振る舞いをしているのだ。
それは正しい判断だとジョカも思うが、そのせいでリオンは侮りを受けているのだ。
リオンは気にしていないようだが、ジョカはリオンに済まないと思う。
「大したことじゃない。こういう立場での立ち居振る舞いは、慣れてる。懐かしさすらあるな」
かつて、かなり長い間ジョカの従者として振舞っていたので、リオンとしては懐かしさをも感じている。
こういう時期もあったなあ、という感じだ。なお、従者としての振舞い方は自分についていた従者のそれを見て覚えた。
そんなわけでリオンとしては何も気にしていなかったのだが、ジョカの方は浮かない顔だった。
「それが最善だとわかっていても、おれはリオンをあんな目の中に置くことを当然だと思いたくないな……」
「ばかだな」
リオンはジョカの水に濡れた頬を撫でて、距離を零にした。
舌を絡め、分泌される唾液をすする。深い口づけは、疑似性行為だ。
愛しい人の、熱を、体液を、体温を、自分に取り込む行為だ。
口づけしながら互いに背に腕を回し、裸の胸を密着させる。濡れた肌が張り付く感触、こすれ合う感触が、性感を高める。
足りない分を補うように、口づけは長く続いた。
名残惜しそうに唇を離すと、リオンはジョカの目を覗き込んで言う。
「周囲との軋轢は少ない方がいい。ただでさえ私はあまり、情夫には見えないからな。ここでの主役はあなただ。私は添え物。そして、添え物の最大の役目は、騒動を起こさず、大人しくしていることだ。そうだろう?」
「……そう、だけど」
「私は気にしない。あなたも気にするな。多かれ少なかれ、どこにでもあることだ。私たちが愛し合っていることは、私たちだけが分かっていればいい」
男同士であることは、偏見の対象なのだから。
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