「こういうものは、他人が言葉で何を言っても届きやしないさ」
リオンは涼しい顔で言う。
ジョカもそれは同意せざるを得ない。
異性愛者が同性愛者に向ける拒絶の感情は、生理的な嫌悪感に近い。
幸か不幸か、ジョカはそれがわかってしまう。何故なら、ジョカもまた同性愛者を忌避していた側の人間だったからだ。
同性愛者に一定の理解を示しつつも、かといって自分がそうなるとは思ってもおらず、壁を作り、いわば自分とは別種族の存在として見ていた。
それが同性であるリオンを愛するようになった。
――だからこそ、わかってしまうのだ。
他人がどう言葉を尽くそうが、通じないということが。
説得させられてしまったジョカは、嘆息した。
リオンの言う通り、格別同性愛に寛容な地域でもなければ、どこにでもある事だ。
同性愛者への差別と蔑視、そして――興味は。
ジョカはリオンの濡れそぼる顔を見つめた。
髪が濡れ、細い筋になって頬に張り付いている。
相変わらず、実に美しい。
整ってはいるがひ弱な感じは微塵もなく、アイスブルーの目の強さが凛々しさを人に印象付ける顔だ。
同じ男色家として見られていても、人がリオンに向ける目とジョカに向ける目は多少ちがう。それはリオンが美しいからだ。
これだけ美しければ一度くらい女の代用品として試してみようか、などど不届きなことを考える輩が、男の中には一定数いたりするのだ。
普段はそういう男の目線をリオンが無言のうちに、その佇まいで寄せ付けないが、今は違う。
ジョカの視線にリオンが気づいて声をかける。
「どうした?」
「いや、綺麗だなと」
リオンはいつもなら自信満々にうなずくところだが、今回は違う反応だった。
その美しい顔に、憂愁のかげりをまとわせたのだ。
「あなたにそう言ってもらえるのは嬉しいが……、あんまり嬉しくないな」
「なんで?」
リオンは右の頬を押さえた。
「日差しが強くて、肌が痛くなってしまって」
「ああ……」
ジョカはリオンの頬を子細に観察する。
湯で上気しているので、気がつかなかったが、確かに少し日焼けしているようだ。
日焼けを甘く見てはいけない。
日焼けは軽い火傷なのだ。
「すぐ薬を塗ろう。ごめん、気がつかなくて」
ジョカは急いで湯から上がった。
部屋に戻り、リオンを寝台に座らせて痛みを訴えるところに膏薬を塗っていく。
顔だけでなくうなじや腕など、白い肌のあちこちに軟膏を塗ってもらいながらリオンは呟く。
「……白い肌の私はやっぱりこの地域には合わないんだろう。旅をしていると露出している部分の肌が痛くなる。頬のこれ、染みになるんじゃないのか? かといって、これから女みたいに一々美容に気を使って日焼けの跡で一喜一憂するのか? でも、このままでいれば私は。そう思うと、褒められるのは嬉しいけど嬉しくないんだ」
ジョカは目をぱちくりさせた。
「ええと、まず順に。取りあえず、日焼けの跡は確かに染みの原因になる。白い肌のお前が太陽光に弱いというのもその通りだ。でも、俺はお前がどんな顔になっても好きだぞ」
リオンは十年前もジョカの好みど真ん中だった。
今の顔もジョカの好みど真ん中である。
きっと十年後もジョカの好みそのものだろう。
「わかってないみたいだけどなー。俺は、お前が、好みなの。俺の好みにお前がぴったりなんじゃなく、もうお前そのものが俺の好みになっているの。お前が変わったらその変わったお前が俺の好みになるの。わかったか?」
すでにジョカの好みにリオンがぴったり、なのではなく、リオンがジョカの好みになっているのだ。
これから先、どんな風にリオンが変化しても、それがそのままジョカの好みになるだろう。
「……このままだと染みだらけになりそうなんだが……」
「いいじゃないか。何か問題が?」
ジョカは平然と言った。
「お前が染みだらけの顔になろうが、俺は諸手を挙げて歓迎するぞ」
「……嬉しいような、悲しいような……」
リオンは極めて複雑な顔になった。
人は年老いる。
当然のことだ。
そして白色人種であるリオンがこの地域にいる以上、かなりの確率で、染みだらけの老醜をさらすことになってしまうだろう。
しかし、その未来図を聞いてもジョカはけろりとしていた。
「あなたは……私のようになってないな」
「神様は人をそういう風に作ったから仕方がない。ここに西方人がいないのはそういうことだ。褐色や黄色い肌の方が、強い。住んでいる地域に合うように、人は作られたから」
ジョカの黄色い肌の方が、リオンの白い肌より太陽に強いのだ。
「俺が、お前の容色が衰えたからと言って、お前への愛情が冷めるとでも思うのか?」
リオンはそう問われ、自分の心を見つめてみて……否定した。
「……いや。あなたは、私がどんな姿になっても変わらず愛してくれるだろう」
それは、疑うこともできなかった。
ジョカは微笑んだ。
限りない愛情を込めた慈愛の眼差しだった。
「じゃあ、何の問題が? お前は在るがままでいればいいんだよ」
リオンは様々な感情が一気に去来して、嬉しくもあり、嬉しくない気持ちもあり……実に複雑な心境だった。
話がすれちがっているような、しかし根っこのところでは何も間違っていないようなジョカである。
リオンが顔を上げると、ジョカは穏やかな顔でリオンを見ていた。
母の慈愛にも似ている、あるがまますべてを受け入れる微笑みだった。
「俺は、お前がお前ならそれでいい」
在るがままの、絶対的な肯定。
これほど簡単で難しい愛情はないだろう。
リオンがリオンであれば総て良い。
ジョカは、そう言い切ってしまえるのだ。
もちろん言葉だけなら何とでも言えるが、言葉だけでないことはリオンがいちばんよく知っている。
……ジョカは、リオンならば何でもいいのだ。
愛している、と。
あの日、リオンが自分の運命を選択し、彼を解き放ったときから自分に向けられつづけている眼差し。
あれから長い時間が経ったにも関わらず、その愛情は変わるどころか深みを増して、自分だけに向けられている。
――ひょっとしたら、ひょっとしていなくとも、リオンは自分がジョカを見損なっていたのではないかと気がついた。
彼に愛されているのはわかっていたが、自分が思っていたよりずっと多くの愛情を注がれていたのではないだろうか。
リオンがどんなに醜くなっても一向に気にしない、構わない、そう言い切ってしまえるのだ、彼は。
リオンは沈黙し……嘆息してお願いした。
「今度、日焼け止めの薬を作ってくれ」
「わかった。明日すぐ作る。でも、気にしなくたっていいんだぞ? お前が染みだらけになっている頃は、俺だって皺だらけだよ」
お互いさまというジョカの愛情の言葉に、嘘も誤魔化しもない。正真正銘、まじりっ気なしの本心だけだ。
醜く変わった後の事をわりと本気で悩んでいた自分が馬鹿馬鹿しくなって、リオンは吹き出した。
数秒一人でくつくつと笑い、笑いの衝動がおさまったあと、リオンはジョカの顔を撫でる。
「私が……、見るに堪えないほど老いて醜くなってしまっても、あなたは私を美しいと言うんだろうな」
「それが何か?」
恋は盲目を地でいっている上に、開き直っているジョカである。
その言葉を噛み締めながら、リオンはかぶりを振り、目を閉じた。
「いや。……私は幸せ者だ。そう思う」
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