リオンがインタオに相談されたときのリオンの感想は、何だこいつ、というものだった。
厳密に言うと相談されたのはジョカの方だ。それは当然だろう。
ここはジョカの客の家だ。主に応対していたのはジョカなので、リオンよりよほど愛想良い人物に見えているだろう。
とくに、インタオに対してはリオンは首尾一貫して冷ややかな対応だったので、その分とっつきにくいと見えているはずだ。
よってインタオがふたりのうちジョカの方に相談を持ち掛けたことに不思議さはない。
だが、ジョカに相談を持ち掛けるということは、非常に高確率でリオンが側にいるということなのだ。
実際今もそうで、必然的に相談内容が耳に入ってしまった。
相談内容のあまりの馬鹿馬鹿しさに、リオンははっきりきっぱり自分は関係ないと表明して別の部屋にでも行きたかったのだが……あいにく、あてがわれた部屋は一室きりで続き部屋はない。
そのためしょうがなく、リオンはジョカの隣でインタオのたどたどしい訴えを一緒に聞く羽目になっていた。
そして、リオンの感想はただひとつ。
――そんなこと自分で決めろ。
これに尽きる。
男は男と言うだけで多くを要求される社会で生きてきたリオンから見れば、自分のセクシャリティで悩む青年の姿は男らしくない、の一言に尽きる。
お前が同性愛者だろうが何だろうが自分には関係ない。
どうせ人生の経験を積めば否応なく自覚せざるをえなくなるんだから、自分ひとりで悩んで決めろ。他人を巻き込むな。迷惑だ。
重労働の合間にジョカと一緒にくつろいで英気を養っていたというのに邪魔しやがってとっとと失せろ。
ジョカはそんなリオンに気づいていたが、ちらりと目線をやっただけで、インタオに話を続けさせた。
ジョカには確信があったからだ。
「お、おれ……。男なのに、男が、気になってしまうんです……。商売で旅をしていると、どうしても男同士で気兼ねがないぶん、み、みんな身なりに構わないっていうか……女性がいるわけでなし、風呂入ったあととか裸同然の恰好でしばらくだべったりすることがよくあるんですが、そんなときに胸元とかに目が行ってしまって……。おれ、おかしいんでしょうか……?」
公然と男色家を公言している人間は滅多にいない。
怪しまれているが本人は否定している、というのがほとんどだ。
自分の性嗜好を悩んでいたところ、こうまで露骨、かつ堂々としている二人を見て、救いを求めて相談した、というところだろう。
旅の途中で彼が二人に見せた反発は、そういうことだったのだ。
時として、自分の性嗜好を悩み同性愛者である自分を認めまいとする人間ほど、激しく同性愛者を蔑み、自分は違うと思おうとする。
ところが、ジョカとリオンはずっと変わらずお互いに想い合い、支え合い、仲がいい。判りやすい表現を用いればべたべたしている。
家に住み始めてもうすぐひと月になるが、そのあいだ隠す素振りさえなく大っぴらに二人で睦みあっている姿を見ていて、インタオの中の男色家という人々を見る目が変わり、多少なりとも啓蒙されたのだろう。
「おれ……おれ……もうどうしたらいいか、わからなくて。兄貴も俺の事気持ち悪いって言うだろうし、母さんだって姉貴だって……」
切れ切れに訴えているのをジョカはほとんど相槌だけで聞き流していたが、途中で我慢できなくなったらしいリオンが口をはさんだ。
「貴様、いくつだ?」
「き、きさま? ――十八だ、です」
インタオは一瞬むっとしてすぐにそれを押さえこんで答える、という非常にわかりやすい感情の起伏を見せた。
賓客にして凄腕の治療師であるジョカはインタオより明らかに目上だが、リオンは目上ではない。ジョカのおまけである。
おまけであるリオンに貴様呼ばわりされて、むっとしたのだ。
しかしそれ自体はいいとしても、それを相手にすぐに察知される辺り、商人として大丈夫かというものだ。
リオンのアイスブルーの瞳が、インタオを射すくめた。
年齢がちがう。
くぐってきた経験がちがう。
修羅場の数がちがう。
リオンと一対一で正面きって張り合える人間では、まだない。
「じゅうはち? そのざまでか?」
リオンはことさら嘲笑するのではなく、確認口調で言った。
しかしインタオには事務的なだけになおさら堪える口調だった。
「お前は男で、成人した一人前の大人だろう。自分が同性愛者かどうかなど、自分で決めろ。お前の人生だ。お前がどういう人生を歩むのか、自分で決めなくてどうする? これが子どもならともかく、おまえはもう立派な大人だ」
「な……っ!」
気色ばんだ相手にリオンは腕を広げ、ジョカを指し示す。
「私が、彼と一緒にいることを選んだのは、十五のときだったぞ」
苛烈なアイスブルーの瞳がインタオの目を直視していた。
青い目に射抜かれたインタオは身じろぎもできない。
「私はその時決めた。親も家も何もかも捨てて彼と一緒に一生を歩んでいこうとな。そして――そのとおりにした。私が十五でできたことだ。お前にできないわけがあるまい!」
完全に圧倒され、言葉を発することもできないインタオに、リオンはやや視線を和らげて言った。
「お前は、家族と離れ、自立して生きていくことはできるか?」
「……わ、わからない……」
リオンは深いものが混ざった嘆息をついた。
「私とジョカが、どうして誰に対しても隠し立てすることなく二人でいられるのか教えてやろう。私たちが、どこに行っても生計を立てることができる技術があり、どこへ行っても自分たちだけで生活できるという自信があるからだ」
リオンはジョカと、リオンを順に掌で指し示した。
「私の愛しい人には治療師の技術がある。私も剣術算術交渉術の心得がある。いつ、どこへ行ったって何とかなる。それだけの『力』が、私たちにはある。
お前が家族の目や世間の目を気にするのは、自分の商人としての腕に自信がないからだ。家族と支え合って……といえば聞こえはいいが、要はお前は家族に依存しているんだ。だから、依存している以上、どうしても家族の意向を気にせざるを得ない。まずは自立しろ! そうすれば、自分の思うがままに自分の人生を生きられる」
インタオは、大きく目を見開き、ものも言えないほど衝撃を受けていた。
やっぱりな……とジョカは目頭をおさえ、瞑目する。
こうなるだろうということはわかっていた。
ジョカとの蜜月の時間を邪魔された事で、リオンは最初明らかに不機嫌だった。
だが、それでもこうして悩める若人に何をするべきか、どうあるべきかという未来への目標を与えている。
インタオを見れば、思った通り、当初リオンに抱いていただろう隔意などすでに吹っ飛んだ目をしている。
キラキラしたその目にあるのははっきりした好意と、憧憬だ。
目指すべき姿を、彼はリオンに見たのだ。
強く、美しく。
堂々と自分の性癖をつまびらかにしても決して背を曲げて卑屈になることなく、萎縮せず、臆せず、誇りをもって背をピンと伸ばし、歩いていく。
その生き方と、その生き方をするために必要なことを、リオンは彼に教えた。
「まずは力をつけろ。どこへ行っても何とかなる。そう思えるだけの力をだ。力を持てば自信がつく。そうすれば、自分の人生を自分で選べる。どんな人生であっても、自分自身に嘘をつきながら生き続けるよりはましだろう」
ああ、とジョカは顔を伏せる。
――リオンは、なんて優しいのだろう。
ときどきジョカが憤(いきどお)ろしくなってしまうほどに、彼は優しい。
ジョカの「上司」も、ジョカ自身も一致した意見として、リオンは優しい。
リオン自身は自分の事を優しいとは思っていないようだが、それは間違っている。
ジョカは、リオンほど優しい人間を見たことがない。
この言葉にはそれなりの根拠がある。
なんせ、ジョカを解放してくれたのは、三百二十年の中でただひとり、リオンだけだったのだから。
「はい……はい!」
インタオの目には、涙さえ滲んでいた。
しかし、女性にはこの上なく紳士的で優しいリオンは、『男』には一切手加減しない。
厳しくぴしりと言った。
「男だろう。人前で泣くな。泣きたいときは一人で泣け」
「……はい!」
話は終わった頃合いとみて、ジョカはリオンの肩に手を置いた。
何事かとリオンが首をねじって振り返る。
その後頭部に手を廻し、ジョカは強引に唇を塞いだ。
「――!」
インタオが驚きのあまり後ろに後ずさりして室内の調度に足をぶつけ、無言の悲鳴をあげるが黙殺する。
一瞬驚きで体を固くしたものの、リオンは嫌がったり抵抗したりすることなく口づけを受け入れてくれた。
愛しい、いとしいひと。
何があってももう二度と離すものか。
舌を絡め合い、分泌された唾液をためらわずすする。喋るたびに覗く真珠のような歯を一本一本丹念に愛撫し、口中を徹底的になぶる。
リオンの腕が背に廻る。
応じる舌が肉の感触を持ってジョカの舌にからみつく。
粘膜は肌よりもずっと薄くて生々しい肉の触感をダイレクトに伝えてくる。
絡まり合う舌と唾液の音、息継ぎの鼻息。
それらが支配する時間は数分にわたってつづき、二人がやっとお互いを離したのはインタオが遁走した後だった。
リオンは呟く。
「……刺激が強かったかな?」
その白い横顔に、怒っている気配はない。
実際リオンは怒っていなかった。
ジョカがなぜいきなりあんな真似に及んだのか、わかっていたからだ。
他人からだと煩わしいだけの独占欲も、愛しい人からならば嬉しいものに変わるのが恋の不思議というものだ。
リオンは笑顔でジョカに向けて両手を広げた。
「ジョカ。もう一度」
それに応えて、ジョカは正面からリオンを抱きしめた。
抱きしめたまま呟く。
「お前は俺のなの。お前に手を出す奴は許さない」
リオンは優しく囁いた。
「馬鹿だな。私は貴方のものに決まっているだろう?」
ジョカは苦虫を噛み潰した顔になった。リオンの肩あたりに顔をうずめているので、最愛の伴侶からは見えないだろうが。
「あのなー。リオンに助けてもらった俺がこんなこと言っちゃいけないとはわかっている。けど、あんまり誰にでも優しくしないでくれ」
「優しいか? むしろ聞いていて苛々したから叱りつけたというのが正しいが……」
ジョカは、悩ましい顔になった。
リオンに助けてもらった自分が言うべきことではないとは分かっているのだ。
でもジョカの中では醜い独占欲が大声で自己主張している。
結局、ジョカはため息をつきながら言った。
「お前は、あいつを助けたんだよ。俺があいつなら、たとえ同性愛者でなくてもクラッときてる。それくらいのことを、お前はやったんだ」
「いや、男のくせにうじうじしているのが辛抱ならなくて怒鳴りつけただけなんだが……」
女性が女性というだけで差別される時代であり、逆に言えば男は男というだけで背負う義務が多い時代であり、リオンはその差別階級出身である。
女性ならば許される弱さも、リオンのような男から見れば「男のくせに」ということになるのだ。
わかっていないリオンに、ジョカはため息をついたが、それ以上言うのはやめることにした。
それこそ「ジョカが言える筋合いではない」のだから。
そして、背に回していた腕を下に下ろし、もっと前向きな行為に励もうとしたところに、さっきの相談者の兄のノックが響いたのだった。
ジョカの不機嫌も無理のない事だろう。
ここは人生相談所じゃない。
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