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あかね雲

□ 勇者が魔王に負けまして。 □

2-1 恋愛経験値ゼロ

お待たせしました。
第二章スタートです。




 その日、宿の一室で、ひとりの少女が身もだえていた。

 寝台をばんばんたたき、手にした大きな枕をぎゅうううっと抱きしめ、更にその枕に顔を埋めてうひーうひーあーっと叫ぶという有り様である。
 叫び声のほとんどは顔面におしつけた枕が吸収したものの、やはりわずかに声は漏れていて、その声を聞きつけて、ひとりの青年がひょこと顔をのぞかせた。
「クリス? どうしたんです?」
「あっ! こ、ここここ、これはっ!」

 首を傾げながら入ってきた青年は、緑の髪をしていた。長い鎖骨まである髪―――そして、その緑の流れを分けるように伸びる尖った耳。
 彼を一目見て、種族が判らない人間はまずいるまい。
 緑の髪、長い耳、優しげで優美な美貌。エルフの特徴を良く写し取った、典型的なエルフだった。
 彼は、慌てふためく少女にもう一度聞いた。
「どうしたんです?」

 少女は、腕に抱えた枕に顔を埋めてしまった。
「…………~~っ。なん、でも、ない……」
「コリュウが心配してましたよ」
「コリュウが?」
「ええ。で、私を呼びに来ました」

 青年は優しく微笑んで、乱れている少女の前髪をそっとかきわけ、額に手を当てる。
 彼ほど綺麗な青年に同じことをされたら、普通の人族の少女なら真っ赤になってしまうところだが、少女はすんなりその手を受け入れた。頬が赤いのは、奇声をあげていたときからだ。
 死地をともにかいくぐってきた、信頼できる仲間だ。付き合いも長く、本拠地であるサンローランの町では一緒の家で暮らしている家族同然の相手だ。今更意識するもしないもない。
「熱はないみたいですね」
「……大丈夫だってば」

「どうしたんです?」
 三度目の問い。
 少女は、今度は否定せずに俯いた。
「……はじめてだったの」
「は?」
「あのね……あのね、あのね! マーラは、笑わない?」
「誰が笑うんです? あなたを?」
「あ、あのね……誰かに好きだって言ってもらうの、初めてだったの!」

 ……………………はい?
 ―――あー、なるほど。

 一瞬耳を疑い、そして一拍置いて納得し―――その瞬間、マーラは胸中でありとあらゆる罵倒を叫んでいた。誰に?
 もちろん、少女に惚れている男どもにである。

 女性の身、それも年若い少女の身での冒険者は、珍しい。ましてそれが勇者の称号付きとあれば尚更だ。
 興味本位で近寄ってくる輩も多く、そういう連中はマーラだのパルだのコリュウだのダルクだのが協力しあって排除した。結果、現在少女に言い寄る相手はマジメに少女のことを思う相手ばかりである。

 そういう相手には、マーラは協力を惜しまず、ジャマなどはもちろんもってのほかであったのだが……あんの根性無しのヘタレどもがああああああ!
 告白の一つもしていなかったのか!
 あほか! 馬鹿者が! 気を利かせてふたりっきりにしてやったりとかいろいろやったのに、何やってたんだお前らは!!!

 ちなみに、この罵倒の中に、ダルクは入っていない。あの腑抜けが告白なんていう最初の最初の第一歩すら踏み出せていないのは見ていればわかる。伊達に長い間一緒にいたわけではないんだからして。
 つまるところ、ダルクは罵倒すらもされないレベルなのである。自業自得と言えばそこまでだが、マーラのヘタレ男への評価はかように低かった。

 少女は顔を耳まで染めて、ぼそぼそとつぶやく。
「で、でね、でね……わ、私……その、こういうの、はじめてで……。断ったんだけど、だんだん、その……実感、みたいなのが、やっと湧いてきたっていうか……」
 少女の奇行の理由がやっとわかった。
 男女の経験値が、少女はほぼゼロである。そして、極少の経験値のほとんどが、あの魔王相手に積んだものだ。
 いまさらながらに、「告白された」「求婚された」ということに実感がわいてきて……そして枕や寝台を虐待していたらしい。……虐待相手がやわらかものでよかった。壁だの柱だのに虐待したら、怪力の少女のこと、この宿が倒壊しかねない。

 しかし、これはいい傾向である。
 マーラは少女の隣、寝台のふちに腰掛けた。
「嬉しかったですか? 告白されて」
「……私だって女の子だもん、やっぱり、嬉しいよ」
「じゃ、魔王陛下とちょっと付き合ってみたらどうです? 嫌いじゃないでしょう? 彼のこと」
 少女はうーと唸り……顔を枕に押し付けた。
 そのまま、目だけを上げて、マーラを見る。

「……マーラ、笑わない?」
「笑いませんよ。一度も、あなたのことを笑ったことなんてありません」
「……………………怖い」
 またも、マーラは耳を疑った。
 はい? 怖い?

 どんな凶悪な化け物に対しても勇敢に立ち向かい、パーティの仲間を力づけ、先陣を切って挑んでいくこの少女が、こわい?
「何が怖いんです? 魔王と結婚して、王妃になることですか?」
 陰湿な権謀術数……それは庶民の少女にとって、未知のものだ。人間誰だって未知なものは怖い。そういうことだろうか?
「……ちがう。…………付き合うのが、こわい。だってしたことないし……」

 ――――――。
 あーあーあー、なるほど。

 自分の情けなさに少女はますます枕を強く顔に押し付け、恥ずかしさに身体を小さくしている。
「だ……だって。これまで、マーラ達のお陰で、そういう目にあったことないし。でも魔王は大人だから付き合うってなったら即そういうことでしょ? わ、わたしは、その……手をつないだりするだけでいいんだけど、子どもっぽいとはわかってるけど、それだけでいいんだけど!」

 マーラは目にかかる緑の髪を、横に払った。しばし考える。
 クリスも年頃の女の子だ。当然、異性と恋をしたいという欲求はある。が。
 思春期の入口で村が魔獣に襲われ、生きるために冒険者になった少女には、恋愛経験値を積む機会がなかった。いや、正確に言うとあったのだが、少女はその鈍感力によってまったく気付かなかった。
 で、今に至る。

 男と付き合ったことが皆無、という彼女は、まあ、そういうことだ。
 戦闘に関してはあんなに果断で誰より勇敢だというのに、恋愛は、奥手なのだ。

 恋愛経験値がゼロに等しい少女は、手を握って、一緒に町並みを歩いて、笑いあって、そうして心の距離を少しずつ縮めたあとに、要は恋をしたあとに身体を許したいと思っている。
 少女の望みを迂遠と切って捨て、そんな面倒なことしたくないという男は多いだろう。が、そんなことを言う輩はそもそもマーラが排除している。

「じゃあ、魔王にそう言えばいいじゃないですか。きっと彼は嫌がりませんよ。そういう風にあなたに接してくれます」
 マーラは少女を励ました。
 なんせ魔王は王様だ。結婚すれば少女は王妃である。
 魔族の王にはいつ何時失脚するか判らないというデメリットも大きいが、メリットも多い。
 少女が王妃になっても、周囲の反発は少ないというとても大きなメリットがある。

 魔族にとって、力こそ正義。
 魔族の中に少女以上に強い者がほとんどいない以上、彼らは少女に好意を抱き、魔王の選択を認めるだろう。これは、人族の王ではどんなに願っても得られない大きなメリットだ。

 『大地の勇者』である少女に恋をしている王族は二三人いて、うちひとりは王だが、アクションを起こさないのはそれが原因だろう。
 いくら大地の勇者といっても、少女は庶民だ。人族にとって、それがいかに大きな意味を持つのか、マーラも知っている。
 マーラとしても、少女自身が相手を望むというなら折れるが、そうでなければ徹頭徹尾ジャマするつもりだった。
 マーラは、彼女を、彼女自身に何の咎もない「庶民」という一事でもって蔑まれるような場所に送り込むつもりなど毛頭ない。

 高貴、などというものがあるとしたら、彼女こそが、高貴なのだ。その身に流れる血など関係なく、彼女の魂は誰よりも貴い。
 有象無象の人族の王族どもなど比較にもならぬ。血筋ではなく、彼女はその行いによって、誰よりも気高い存在となった。その彼女を―――あの蛆虫どもは侮蔑する!
 『大地の勇者』である彼女は、望めば人族の王族との結婚も可能だろう。だが、名声に頭を押さえつけられた奴らは地下にまわって彼女を蔑む。表立って言えぬぶん、裏にまわって陰口を言い連ね、生まれで彼女を馬鹿にし、蔑むだろう。……それがマーラは許せない。

 それに、魔王は本気だ。
 マーラは、彼女を本気で愛していない男になどやる気はない。
 愛は努力の源泉だ。愛していれば、努力しようという力が湧く。
 愛は勝つ、というのは一面の真理ではある。困難が待っていても、愛し合った者同士が手を取り合い努力すれば、なんとかなる事が多いのだ。駄目な時もあることは認めるが、まあ大概は。

 そんな訳で、滅多にない好条件の相手なので、マーラは一生懸命励ましたのだが……。
 少女は考えた後にかぶりを振った。
「ううん、いい。遠いし、そこまでしてまで会いたくないし」
「……」

 マーラは自分が失敗したことを知る。
 魔王自身が懇願すれば、その熱意に押されて少女が頷く事はあるだろう。
 少女が魔王を好きなら、少女から魔王に連絡を取って、関係を進めたいと思うだろう(そしてそれに、マーラは全面的に協力する)。
 だが、第三者であるマーラが勧めて、少女がわざわざ魔王に自分から連絡を取って会いたがるほどの気持ちは、……ないのだ。
 要は、「わざわざ自分から行動を起こしてまで積極的にしたい行為」ではないということである。

 ここはやはり、魔王を焚きつける一手だろう。
 もちろん、別れる前にちゃんと連絡手段は確保している。

 そこまでマーラが少女の「相手探し」に奔走する理由―――それは、とても簡単なものだった。
 マーラは彼女に、冒険者なんていう職業はもうやめてほしいのである。
 金なんてもう一生遊んで暮らせるほどある(ただし装備品および所持品すべてを売れば)し、名声もたぷたぷ。……問題は、名声に付いてくる「恨みつらみ」だが、相手が魔王なら問題なし。一国の王妃になれば警備が彼女を守ってくれるだろう。

 彼女は、うら若き、可愛い女の子だ。そんな少女が戦場で負けたら、どうなるのかは言いたくもない。
 おままごとのような恋愛に憧れている女の子は、蹂躙される。
 そして、この稼業を続けている限り、その時はいつか必ず来るのだ。

 彼女はたしかに強い。……だが、それだけだ。
 絶対最強の存在などない。
 無敵の存在などもない。
 勝負に絶対はなく、確実もない。
 どれほど強かろうが、戦い続ければいずれは敗れる。

 そうなる前に、彼女の心と体に取り返しのつかない傷がつく前に、彼女を戦場から引き剥がしたい。
 彼女は、この地上の誰より幸せになるべき人間だ。幸せになる権利を持つ、人間だ。
 だから、幸せに、ならなければならないのだ。
 それが、マーラの願いだった。

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Date:2015/11/14
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