エルフ族であるマーラには自然な気品というべきものが備わっていて、とても奴隷という言葉に似つかわしくない。
マーラは、心をあの時間へと遡らせる。記憶は、数年の時を一気に越えて、あの場所へと彼を立たせた。
「白霧(しらぎり)の大陸を知っていますか?」
「あ……ああ。名前だけはな」
そう答えたのは、彼が冒険者であり、まがりなりにも『大地の勇者』のパーティの一員であるがゆえだ。
この大陸に住む、ふつうの冒険者はまず知らない。その大陸への航路なども見出されていないし、交易などもない。人の交流がほとんどない遥か遠方、この大陸から南西にある大陸である。
「そこが、私たちの故郷でした」
マーラがそういったとき、ダルクは驚かなかった。マーラの所属するエルフの一団が、奴隷船に乗ってこの大陸に連れてこられたことは有名な話だ。
そしてこの話の流れなのだから、誰でも想像がつく。
「……なんで、捕まったんだ?」
ダルクはマーラの魔法の実力を良く知っている。そして、エルフの一団の中には彼以上に強い者もいるだろう。
そんなエルフの一群をよくも、というのが感想だった。
「狡猾さにかけて、人族以上の存在はいませんよ。……故郷の森に火をかけられました。同時に、複数個所で。仲間が手分けして消火にあたり……睡眠効果のある煙を吸って倒れました。目覚めたときには、魔封じの首輪をつけられていましたよ」
戦力の分断。火事による焦燥。情報伝達の阻害。各個撃破。
普通に火事を起こし、睡眠効果のある薬をくべても、何十人ものエルフたちが全員同時に吸い込むはずがない。
眠る者と眠らぬ者に分かれ、眠らぬ者が手を打って、終わりだ。
だが、数が四五人なら?
数多くの火事を起こし、集団を分裂させ、少人数の相手を叩く。戦略としては、定番であるが鉄板だ。
「悪夢のようでした。目覚めたときには、不潔な船倉にすし詰めになり……悲鳴とすすり泣きがこだましていました。それから数カ月、慣れぬ船旅で嘔吐を繰り返し、船員たちの暇つぶしの相手をさせられ、多くの者は衰弱し、少なくない数の命が消えていきました。
―――私がその地獄で生き抜いたのは、復讐の思いゆえです」
マーラの置かれた環境は、エルフ族という希少種族の有用性から、奴隷狩りの餌食になった人族よりは良かった。
それなりの食事は与えられたし、狭く何段にも積み上がっていたが、寝台もあった。だが―――エルフ族の肉体のぜい弱さは、想像以上だったのだ。それが、奴隷商人の誤算だった。
遠路はるばる危険をおかし、ほとんど情報のない大陸に上陸してまで狩ったのだ。奴隷商人としてもたいせつな商品を弱らせるつもりも殺すつもりもなかった。船員たちの一件は、一部の不心得者の暴走である。
「私たちエルフは、人族とは比べ物にならないほど長い時を生きます。長老のことばで、人族への警戒を刷り込まれていましたが、私が人族と出会ったのは、あれが初めてでした」
考えうるかぎり、最悪の、初対面だろう。
そこで、ダルクはふと疑問を感じて聞いてみた。
「白霧の大陸には、人族は住んでいないのか?」
そう聞いたダルクに、マーラは一瞬素の表情になり、それからやんわりと笑った。
「……ええ。住んでいません。魔族の国はありますが、エルフ族は閉鎖的な一族ですから、交流はなかったですね」
各大陸に点在する十二の魔族の国。
その一つは、白霧の大陸にあった。
ダルクが聞いたのは、無数の異種族が共存するこの世界だが、始原五種族と呼ばれる種族はどの大陸にもいる事が多いからだ。
魔族。
人族。
妖精族(エルフ族はこの内のひとつ、森の精霊族である)。
獣人族(多くの分派をもつ。水棲種族も獣人族に入るし、ユニコーンもそうである)。
竜族。
この五種族である。
一説によると、昔、大陸の全てはひとつであり、それが神の怒りで引き裂かれた故だという。
「人族を憎み、憎悪でいっぱいに心を凝り固め、それを力にあの長旅を耐えしのんだ私ですが―――やはり、あの距離の船旅はまだまだ困難ですね。人攫いどもの当初の予定より遥か離れた場所に、座礁しました」
あの時を思い出し、マーラは、くすりと笑う。
ほんとうに、人生はわからない。
あの頃の自分に、「やがてお前は人族の少女に惚れて身も心もささげるようになる」と言ったら、全身全霊で否定するだろう。
人族は、憎むべき最低の種族。
そうでしかなかったのだから。
「人の手の入っていない海岸線に座礁して、船員たちはそこがどこか、近くに町は無いかを調べに船を置いて探索に出かけました。そこを通りがかったのが、クリスでした」
町は近くにないし、ダンジョンなどもない。
通常人が使う道ではないからこそ、鄙びているのだ。
少女がそんなところにいた理由はなんということはない。
コリュウにつかまって飛行できる少女は、通常の冒険者とはまるで違ったルートで旅をする。
少女が近道をしようとその海岸上空を飛んでいたところ、座礁した船を見つけ、親切心で近づいた結果、船倉の窓からエルフたちが必死に助けを求めているのに気づいたのだ。
喫水(きっすい)の大きい船。窓から見える緑髪と尖った耳の人々。助けを求める声。
―――エルフ狩りの奴隷船!
少女は事態を理解すると同時に即決した。
「……あの子は、ほんっっとに、変な子で。二三秒で決めちゃったんですよ。大陸でも有数の、その奴隷売買組織をつぶすことを」
「………………よく生き残ったな」
それが、ダルクの精一杯の感想だった。
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