この世界のことわざに、「キャベツは生まれたときからキャベツ」というものがある。
種族は生まれつき決まるもので絶対に変えられない、という意味だ。全種族中最も強靭な竜は生まれたときから竜であるし、人も生まれたときから、ひとだ。
そして、あの少女もまた、昔から「そう」であったらしい。
ダルクは真剣な頭痛を感じていた。
いや、おおよその概略は、前から知っていた。
サンローランの町で暮らしていれば、少女の武勇伝など否が応にも耳に入る。
だが、そうした「噂話」と、こうして当事者から直接話を聞くのとでは、やはり、衝撃のほどがちがう。
なにより、そこまでバカな真似をしているとは思っていなかった。エルフを助けてそれでおしまい、で、そんな規模の奴隷売買組織を潰しているとは思わなかった。
ダルクがその場にいれば、すぱぱぱぱーん! とハリセンの百連発ぐらいで少女の頭を張り倒し、そのつるつるの脳味噌に皺をつくってやるところだ。
……まあ、それであのムスメが止まるかとうかは別として。
どれほどダルクが声を嗄(か)らして叱ろうが、何しようが、クリスは時々ひどく頑固になる。あの少女はああ見えて、人の話をぜんぜん聞かないのだ。
こういう案件に関してはことに。
「ほんと、馬鹿といったらありません。その頃はまだ、彼女は、『大地の勇者』などではなく、やっと駆けだしの文字がとれてきたばかりの、一冒険者でした。いくら竜使いとしてそれなりの知名度があったとはいえ、ね。正気の沙汰じゃありません」
これを、優しさがこぼれ落ちるような笑顔で言う。
その顔だけで、彼があの少女をどれだけ大切に思っているのか分かろうというものだ。
「その後のことは、綱渡りみたいなものでしたよ―――それも休む暇もなく次々と。よくまあ転げ落ちずに渡りきったと思います」
マーラはその後のことを語った。
短い戦闘によって、彼女は船に残っていた船員を無力化させたが、合図の角笛を吹かれてしまった。
出払っていたエルフ狩りの主戦力たちが戻ってくる―――その事態に、エルフたちは必死になって首に付けられた魔封じを取ろうとした。少女もだ。
しかし鍵は見当たらず、鉄の首輪は少女の普通の鉄剣ではびくともしなかった。
窮地を救ったのは、いまだ幼い竜族のコリュウだ。
竜の牙は、鉄をも紙のように引き裂く。
コリュウが首輪を噛み裂き、解放されたエルフが少女に加勢して、なんとかエルフ狩りの一団は殲滅できたのだが……そこで、困ってしまったのである。
人族の世界でも奴隷制は罪悪である。よって、表立ってはまるで見ない。しかし、その一方で、奴隷という人々が裏にまわってだが、実際に存在しているのも、事実だ。
公然の秘密。
身の危険、保身、そんなものから決して誰もがそれを直視しようとしない。
少女だとて、あの日あそこで助けを求めるエルフたちを見なければ、そんな危ない橋は渡らなかっただろう。
けれど彼女は見てしまった。そして聞いてしまった。たすけて、とすがる声を。
―――そして、それだけで彼女は決めたのだ。
少女は、一時の解放に喜ぶ自分たちよりずっと、現実を見据えていた。
小竜を連れた少女、なんて希少なものが、そんじょそこらに転がっているはずもない。
エルフ狩りの一隊の未帰還。一味の一部は取り逃がしてしまった。
すぐに、少女が犯人だとわかるだろう。そして、……。
少女はそうならないために先手をとった。
生き残りの連中から奴隷市場の位置と、奴隷商人たちの居場所を聞き出すと、強襲したのだ。
エルフたちは長旅と、その果ての戦闘で精魂つきていたので、それをやったのは少女とコリュウだけだ。
相手の命の心配さえしなければ、彼女たちはそれをできる。
上空に位置し、眼下の建物に向かって火炎を吐きだしたのだ。
竜の炎は始原の炎。
余程炎属性に特化した魔法障壁でなければその炎は受け止められず、そもそも、コリュウと少女の行動の早さは一切の準備を相手にさせなかった。
なんせ、コリュウは空を飛べるのである。少女も、短い距離ではあるがそれに捕まって空を飛べる。
およそ、人族の移動手段で、これ以上早い物はない。(長距離となると休息不要な船の方が早いが)。
奴隷船を見つけ、戦闘をし、エルフを解放し、捕虜から情報を聞き出すまでで一日。
奴隷商人たちの拠点をぷちっと潰したのが、なんとその翌日である。
拙速は、時として巧遅に勝る。
それを体現した早業により、敵方の組織は容易には挽回不能な痛手を負った。
飛行手段を持つ少女たちが、己の疲労を度外視して急ぎに急いだからこそだった。
一方、エルフたちは少女のいない間、その場で待っていた。奴隷船には寝台もあったし、食料の備蓄も相当あった。それらを消費し、一心地ついて、話し合ったことがある。
いかにして、人族への復讐をするか。
「……おい」
「はい、なんでしょう?」
にっこりとマーラが完璧な笑顔を向けると、ダルクは口をつぐみ、黙った。
「……いや、なんでもない……」
「ご安心を。全員一致で、さすがに恩人の少女だけは例外にしよう、ということにしましたから。そのために、彼女が戻ってきたらまず身動きを封じて、そして保護して、全てが終わったら解放する、という手順を踏もうとそこまで考えていたんですが……」
「が?」
「戻ってきたあの子の第一声に、毒気を抜かれました」
少女は言ったのだ。
「ひ……人殺しちゃったあああ!」
エルフたちの顔を見て、緊張の糸が、一気に切れたのだろう。
砂浜に手をつき、少女は激しく泣きじゃくり、嘔吐した。
コリュウの火炎をあび、建物は崩落した。中にいた人間たちは全滅だろう。
奴隷商人の贅を尽くした館には少女が一対一で戦ってもとても敵わない熟練の警備兵たちも多かったはずだが、彼らは竜の炎によって一緒くたに瓦礫の下になった。
戦って、勝って、でも相手は殺さない。
それは最良の結果だろうが、それができるのは、強者だけだ。
殺して勝つより、殺さず勝つ方が、遥かに難しい。
人を殺したくない。
それは、人として当たり前の心根だろう。けれど、そうした「我が儘」を通せるのはそれができるほど強い者だけで、人を殺したくないと思うこと自体、強者の傲慢なのだ。
勝ちたい。
でも、相手を殺したくない。
人としては当たり前の思い。
……でも、それが許されるのは、強者だけだった。
そして、少女はそのとき、その「贅沢」ができるほど、強くなかった。
今ならばちがう。正面から戦っても、多少手こずりはしても決して負けないだろう。
相手を殺さず、捕縛して済ませることもできるだろう。
―――それが強者の特権。
少女が血と汗が積み重なった歳月で購った権利であり、その当時の少女は、それができるほど、強くは無かった。
強くない人間が、それでも誰かを救いたいと思うのなら。
時間という代償を支払い、強くなるまで待てない状況なら―――、手段を選ぼうというほうが、愚昧のきわみだ。
現実でも奴隷売買組織は実在してます。……が、表にはまるで出てません。が、いることは確かなのです。
少女がぶっつぶした組織も似たようなもので、いることはみんな知っていますが、みんな遠い世界の話のように思っていて、意識はしていません。(魔族の国では事情が違いますが)。
なお、少女はラノベでよくある「不殺」の信念は持っていません。第一章でも鎧袖一触で敵をぶった切ろうとしてましたし。
殺したくないというのは自分の勝手な「我が儘」であり、もっと優先すべきことがあると、彼女は考えています。この場合で言うと、「エルフ族の安全」ですね。天秤にかけて、どっちを取るかと言えば、まあ答えは見えているわけです。
→ BACK → NEXT
関連記事
スポンサーサイト
Information
Comment:0