そのときの彼女が勝つには、他の手段などなかった。……だけど。
泣きじゃくる恩人を前にしてエルフたちはあたふたするばかりで、当初の予定―――束縛の呪文で拘束してしばらく大人しくしていてもらおう―――は、ころりと抜け落ちた。
そしてややあって落ちついた少女は、奇襲が上手くいったこと、しばらくは安心な事を話し、たずねた。
「魔法で故郷まで帰れる?」
エルフたちはかぶりを振るしかなかった。
飛翔呪文はあるが、それは広大な海を横断できるほどのものではない。
そう、全行程の五十分の一もしないうちに、力尽きるだろう。
この大陸にもいるはずのエルフと連絡をとろうにも、どこにいるかもわからない。
「わかった。じゃ、ちょっとまってて!」
少女はコリュウに捕まり、事情を聞く暇もなく、ふたたび空を舞った。
そして、戻ってきたときには空は茜色一色、刻一刻と闇に染まりつつあった。
「みんな! 家が見つかったわよ!」
再度、度肝を抜かれた。
さっきの、今の、今である。
驚きのあまり、心を抜かれている間に、少女は説明する。
「いつまでも食料は持たないし、寝床もここじゃ嫌でしょう? ええと、この山を越えたところに、一つ村があるの。そこの土地を少し分けてもらったから」
と、少女は目の前に見える山を指差した。海岸線からはおよそ徒歩にして小一時間ほどはなれた近距離にある山だ。
その村に向かうために近道をしていて、少女は彼らに気づいたのである。
その夜は少女たちもその船で眠り、翌朝、全員で出発した。
コリュウと少女は飛べる。
そしてエルフたちも飛べる。
エルフたちも解放され、一日休んで、ほとんどの者はほんの十分飛べるぐらいの体力は回復していた。立ち上がれない者はそうでない者が助け、飛翔呪文を唱え、空を飛ぶ。
人の足ではぐるりぐるりと迂回に迂回を重ねてひと月もかかってしまうだろうが、空を飛べばものの十分で、目的地だった。
その当時のサンローランの村は、まさに鄙びた田舎村。それ以上の何物でもなかった。
土でできた、人が踏み固めた道。粗末な家。道と家の間の隙間を埋めるように広がる畑。
少女は皺だらけの老人に紹介し、エルフたちは驚いた。
エルフには、長老はいても、老人はいない。
老い、というものを間近に見るのは初めてで、その深く刻まれた皺と、その皺の奥の優しい眼に心がぐらついた。
それは、村外れの土地に案内され、果物や食べ物を提供されて更に深まった。
この村が豊かでない事は見ればわかる。
エルフたちは総勢百人弱。いかに農村とはいえ、その口をあがなう食べ物を提供するのは、さぞ難儀だっただろう。
それから一日で、エルフたちの住まいはできた。
背後にそびえる山(来る時越えてきたあの山だ)の中でエルフの住まいになってもいいという木を探し、その木を魔法で切り、魔法で加工し、魔法で運んで、魔法で組み立てたのである。
手伝いにきた少女も、気のいい村人たちも、その光景にはぽかーんとしていた。
魔法の最優秀種族であるエルフ族。
体力的には貧弱の一言であるエルフだが、その代わりのように、魔法においてはありとあらゆる種族の中で最高の適性値をもつ。
……だからこそ、古来から人族に狙われてきたのだが。
そこまで聞き、ダルクは尋ねた。
「ほだされたのか?」
マーラは苦笑した。
「そう、いうことでしょうね……。住まいができて、彼女から食べ物も提供してもらって……、周りには子どもがうろちょろして、好奇心いっぱいの純粋な目で、村人たちもとてもいい人たちばかりで。―――そうするとですね、どうしたって、復讐の念を持ち続けるのは、難しいんですよ。頭が冷えて考えれば、仲間を殺したのは、彼女や村人とは何の縁もゆかりもない人間だってことは、わかるんですから」
エルフの当座の食料は、少女が買って差し入れをした。資金は、船に残っていた財貨である。
エルフたちには「金」という概念がなく、興味もなかったので、少女が残されていた財貨を預かっていたのだ。
エルフが当たり前のように使う魔法。
それを目当てに、彼らの側には子どもがたくさん集まってきた。最初は遠巻きに。
やがてひとりの好奇心旺盛な男の子が近づいてきて、なんの害も加えられないとわかると、他の子どもも寄ってきた。きゃっきゃと子どもだからこそ許される無遠慮さで。
エルフにとって、子どもは貴重なものだ。長命な種族であるエルフは、竜族ほどではないが、子どもがあまり生まれない。
マーラとしても、意外だった。あれほどまでに強く―――けして忘れられないほどに強く心に刻みつけられた憎悪の念が、かくもあっけなく奥底に潜り込んだことに。
その夜、新しく建てられた家で、長老は言った。
人族が許せぬというもの、そなたはあの子どもたちを殺せるか?
……誰もが黙りこみ、そして、長老は諭した。
仲間を殺したのは彼らではない。わしらを攫ったのは、人族すべてではないのだ。
あの森を焼き打ちにし、わしらを卑怯な手で攫い、仲間に言うもおぞましい仕打ちをして殺したのは、人族だ。
だが、見知らぬ異種族のわしらを、見返りもなく無条件で助けてくれた彼らもまた、人族なのだ。
復讐するな、とはいわん。だが、相手を間違えるな。
そして、復讐すべき相手は、すでに、あの女の子が討ってくれた。涙を流し、白かった手を血に染めてまでな。
その恩に報いず、仇で返すのは何よりの恥だろう、そうではないか?
集まった全員が、黙って聞き入り、何も反駁はなかった。
閉鎖的なエルフ族だ。異種族を助けるということへの心理的抵抗は、人族よりはるかに高い。
だが、あの少女は躊躇なくそれをしてくれた。あまつさえ、人を殺したことのない手を、同胞殺しの血に染めてくれたのだ。
少女の涙も、嗚咽も、記憶から消し去るには近すぎた。
長老は悄然と聞き入る一同に告げた。
―――わしらの復讐は、果たされたのだ。
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