国王との会談はうまくいった。
エルフの居住と、その力を活用しての店舗は、地域の経済を活性化することにもなる。
幾つかの約束事―――犯罪に対しては人族と同等の対処をする、退去の際には事前に報告をする、この国、ラクリア王国の招集に馳せ参じる義務はないが、他国の招集に応じることも禁じる、などいくつもの約定が結ばれ、それらを双方が守ることを契約の神に誓った。
これはとある種族だけが使える特殊な契約魔法で、違えることはできないものである。
僻地で引き籠もりだったエルフたちにとっては初耳の魔法だが、魔法の構造を見ればそれが害するものではないことは理解できたので契約に応じた。
それが終わり、サンローランの村に戻ると、少女は気が抜けてぐったりと倒れ込んだ。
エルフとの遭遇に続くいくつもの難題は、少女の心身に重くのしかかっていたのだ。報復への恐怖。先手を打っての強襲と初めての殺人。コリュウに殺人を犯させてしまったことへの罪悪感。エルフたちの当座の住まいの確保はどうするか。エルフたちの自立への促し。そして国王との交渉。
それが、国王との契約で一区切りつき、やっと安心できたのだろう、少女はばったりと倒れ伏してしまい……面倒は女性のエルフが見た。
彼女が、眠る少女を見て、しみじみと呟いた言葉がある。
「……私たちを見つけてくれたのが、彼女でよかった」
その言葉は、エルフたちすべての心情の代弁だった。
ここまで献身的に赤の他人のエルフたちのために動いてくれた人。その人の種族を嫌うことは、できそうもない。
憎んでいた。憎い。憎い。殺してやる。
そんな感情は、生来悪意とは縁遠いエルフにとっても負担だった。けれど、憎悪は燃費のいいエネルギーでもある。その思いを糧に、あの長旅を乗り越えた彼らは、容易には憎悪から抜け出せなかった。
少女と出会い、そこから解放されて―――初めて、エルフたちは、憎しみというものがいかに重かったか、知った。
彼女に会えて、よかった。
それは全員に共通する思いだった。
「―――その後、半月ほどして、彼女に誰かひとりパーティに入ってくれないか、と願われましてね。強い魔物討伐を頼まれたけど、とても自分の実力ではできそうもない、回復魔法の使い手の助力がほしい、この一回だけでいいから、助けてほしいと」
「……で、それで入ったのか?」
「ええ。私がいちばん、エルフの中では身体的に頑健だったんです」
マーラの体力のなさを知っているダルクは反応を返すのを避けた。
いかな魔術師であろうと、冒険者の基本が体力であることは間違いない。
どれほど魔力が高かろうが、移動するのに体力すり減らしてへろへろでいざ戦闘になっても立てないようでは使えないのだ。
体力において、パーティで最低の人間は、マーラである。
彼のため、このパーティではさまざまな便宜がはかられている。例えば移動の際には必ずマーラの体力が基準になる。徒歩はもちろん、馬車もまた振動が彼の体力をすり減らすので頻繁に休憩を織り交ぜて行くし、ダンジョンでの探索でも同様。
エルフなので仕方ない、で済ましてきたのだが、なるほど、あれでもエルフ族の中では体力がある方なのか。
「―――あなたが何を考えているかはわかりますがね。まあそれはさておき」
マーラは、窓の外に目をやった。
「今の私は、人族だからと無条件で嫌ったり憎んだりすることはありません。どんな種族も、それぞれにいい面があると思えるようになっています。
……彼女とあそこで会えなかったら、今の私はいないでしょう」
それは、よく聞く言葉ではあった。
様々な異種族を少女は助けてきた。そして、彼らが、すこしだけ複雑そうに、言うのだ。もちろん、人によって表現はちがうが。
―――人族にも、あんたみたいなのがいるんだな。
―――貴方に会えて、よかった。
彼らの言葉に込められた意味は、人を心底憎んだエルフであるマーラには、痛いほどよくわかる。
憎悪という心の闇。ある個体への憎悪ではなく、人族と全てひとくくりにした、闇雲な種族全体への憎しみは、不幸しか呼ばない。
その闇を抱え込むのは、本人にとって、不幸なのだ。けれど、憎悪は、手放そうと思って手放せるものではない。
だから、彼らは少女に礼を言うのだ。その憎悪に、踏み込まないですんで。
……もっとも、少女自身は、どうもそれに気づいていなさそうなのだが。
「彼女に会えて、私は救われました。だから、私は彼女を愛しています。でも、恋ではありませんよ」
「……そこがわからない」
マーラは微笑した。ダルクがそう言うのは、当然だ。
「私にとって、あの子は大切すぎて男女の仲になどなれない相手なんです」
彼女を愛している。
春の木漏れ日のように、夏の厳しい太陽のように、秋の柔らかな日差しのように、分厚い雲の間から差し込む冬の恵みの一筋の光のように。
けれど、これは恋ではない。
「家族」の距離。
困ったことがあれば聞いてやって、落ち込んでいたら頭を撫でてやって、慰めてやる。
くるくると変わる表情を、間近で見ていればそれで十分。
それ以上は、望まない。
「娘か、妹みたいなものですよ」
ダルクはうろんな目つきである。
「彼女と恋仲になることは、彼女が私に恋をしないかぎりありえません」
彼女がマーラに恋をしたら、そのときは応じる用意がある。……でも、杞憂だろう。
彼女にとっても、マーラは既に家族だ。
ダルクはいまいち納得できない表情ではあったが、それ以上は彼から引き出せないと見て、頷いた。
しかし、これは聞いた。
「帰りたいと思わないのか?」
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