やってきた当座はわかる。
だが、今となれば望めば帰れるだろう。
あまり知られていないことだが、世界に点在する十二の魔族の国のそれぞれには、他の魔族の国と行き来するワープゲートがある。ただし、使用には一定以上の高い魔力とコネが必要であった。
白霧の大陸にも魔族の国があるのだから、この大陸にある魔族の国―――そう、たとえばたっぷり恩を売ったあの魔王の国にでも行き、ゲートを使わせてほしい、と頼めば快く引き受けてくれるだろう。
マーラは頷いて、語ることにした。
「帰り道が見つかったのは、私たちが連れて来られて一年が過ぎた頃でした」
「……」
「一族は二つに分かれていました。魔法屋に来る客の相手をする者と、帰り道を探す者です。彼らが、この大陸に住む同胞の住まいを突きとめ、そして話を聞いたのです。
魔族の国へ行けば帰れると。高い魔力が必要ですがエルフでしたら問題ありませんし、コネの方は……まあ行ってすがりついてしまえば何とかなるだろうと。魔法屋稼業でためた財産もありましたし。ですが……」
マーラはため息をついた。
「その頃には、私の心は決まっていました。この大陸にひとり残ることになってもいいから、あの子の行く末を見たいと思うようになっていたんです」
「……」
「会議の席上で、私は早々にその旨を告げました。会議の結論がどうなろうと、私は残る、と。……その発言が波紋を広げました。つぎつぎと、同じように、私も残る、と言いだす仲間が現れたんです」
「……あんたはともかく、他のエルフたちもか?」
「もちろん、理由はあります。ひとつは……やはり、サンローランの村人が実に気のいい人たちで、しょっちゅう野菜のお裾分けだのしてくれて、情が移っていることでしょうね。あの町は、エルフにとっても、とても居心地のいい町なんですよ。気づいていたでしょう?」
「……ああ」
エルフの特徴である緑髪や尖った耳を隠さず闊歩できる人族の町が、どれほどあるだろう。その町を歩く彼らのくつろいだ顔を思い出せば、自然と頷きが返る。
「そして、もうひとつ。……森の精霊族にとって命と言うべき森が、あの日に灰燼に帰していたことです」
「…………」
「故郷に戻りたい。あの過酷な船旅で、それはひりつくような思いとしてあり、サンローランの町に居を構えてからも心にへばりついていた願いでした。けれど、現実に、それが可能になるところまで来た時。……思い出してしまったんです。故郷が、もう、滅んでいて、存在しないことを」
森の各所で同時に放たれた炎。
消火にあたったエルフは捕縛され、炎の軍勢はそのまま歩を進めた。
マーラが目覚めた時、船倉の窓から見た故郷は、白く変色した枯れ木と灰が積もった大地であり、変わり果てた場所となっていた―――。
森との繋がりは、森の死をもって切れた。
「エルフたちの会議は、割れました。残りたい者だけが残り、去りたい者は去る―――そう決定したのは明け方のことです。戻って故郷の再生に力を尽くそうという者も多く、一方、仲良くなった村人と一緒に暮らしたいという者も多かった。そもそも、向こうに戻った時、まず真っ先に襲ってくるのは、飢えです」
「……飢え?」
「森は、もうありません。森が育つまでの間、食料を手に入れなければ飢えて死ぬしかありません。そして、白霧の大陸では人族はいません。……魔法屋を作って売りに出そうにも、魔法の需要はそう高くないでしょう」
白霧の大陸で、エルフが孤立していたことが災いした。
他種族の状況は不明。友好関係を築いていた種族もない。
これが、友好的な種族の一つや二ついれば、森が育つまでの数年の間の食料援助を願えるのだが。
右も左もわからない、わかっているのは苦労することと飢えるだろうことだけ。
一方、こちらには親しくなった人々もいれば、一応の安定もあった。
天秤にかけ、前者を選んだ者もいれば、後者を選んだものもいた。そういうことだ。
「戻る、と決めた仲間たちは、最寄りの魔族の国、グリエンド王国に赴いて交渉し、ゲートを用いて去っていきました。……その後、順調に森の再生は進んでいるみたいです」
残った者たちも、仲間をできるかぎり支援した。
かくして、この大陸にやってきたエルフの一群は二つに分かれ、二つともに、それなりの安住を得た。
彼女の、おかげだ。
どれほど感謝してもしたりない。
白霧の大陸のエルフは、百万の感謝と永遠(とわ)の友情をあの少女に誓った。
たとえこの先、どんなことがあったとしても、たとえ人族すべてがあの少女の敵となっても、白霧の地のエルフは絶対に彼女の味方となる。
それを、誓ったのだ。
「私は彼女を愛しています」
目を見据えて断言してやると、面白いように相手は動揺した。
……まったく。
「彼女がいなければ、私の一族は、バラバラに離散し、奴隷となり、使役されていたでしょう。運よく逃げ出せても、一族の心は人族への憎悪に縛られ、がんじがらめになって、手は血に汚れ、深い湖底で光射す空を憧憬とともにただ見つめるだけのような心になっていたでしょう。
だから、幸せになってほしいんです。穏やかに笑って、愛する人と日々を過ごせる幸せを、彼女にはつかんでほしい」
マーラは贅沢なので、少女の相手には多くを望む。
まず、少女を泣かせるようなことをする男は駄目だ。浮気、風俗、賭けごと、ぜんぶもってのほかだ。
次に、優先順位は低いが、彼女にゆとりを持たせた生活をさせてやれる相手であることが望ましい。
少女は農村出身だからさほど重視しないだろうが、当初とちがい、「金銭感覚」が身についたマーラにとってはそれなりに重要なことだ。まあ、少女は気にしないだろうから、少女がいいと言えば取り下げるが。
少なくとも、少女の財産をあてにした生活を送るなんていうのは言語道断である。
マーラはそこで、ダルクがいちばん興味があって、聞けずにいることについて答えた。
「私は、あの子とあなたがいい仲になることについては、何も反対しませんよ」
問題は、手伝っても進捗が望めないヘタレっぷりの方だ。
「ただし。……わかっているでしょうが、彼女の望まぬ事を無理強いするようなことは、許しませんから」
ダルクは数秒、言葉の意味を考えた。
そして、大真面目に告げた。
「―――あの馬鹿に無理強いできる人間が、この大陸にいるのか?」
あの少女は、素手で鉄板をひん曲げる、れっきとした肉弾戦系戦士職である。しかも大陸最高峰の。
「そうでもないですよ」
そう告げるマーラは少しも笑みがなかった。
「あの子は人族です。おまけに、身内に対する警戒が薄い。まともに戦えばあなたの言うとおりでしょうが、まともに戦えない状況に持ち込むことなど、造作もありません。
……どういう意味か、わかりますね?」
もちろん―――わかる。
魔法の適性値が低いことに伴って、人族は各種魔法抵抗値も、低い。
少女は戦闘中こそ、エルフたちが腕によりをかけて作り上げた、各種の『護り』を付与された装備でその弱点を補っているが、ずっとあんな防具をつけているはずがない。
いかに強かろうと、手段を選ばなければ、いくらでも方法はあるのだ。
マーラは鞭のようなしなやかな強靭さが表れた顔で、ダルクに告げた。
「彼女を愛し、守り、大切にし、けして傷つけないと誓うのなら、私はあなたに協力してもいい。……誓えますか?」
ダルクは、黙って、心の中を探ってみた。
このエルフが問いただしているのは、口先だけの返答でも、一時の恋情から来るあやふやな意気込みでもない。
もっと根の生えた、もっと確固たるものがあるか、と、問うている。
……答えられなかった。
世の中を拗ねて、ひねこびまくって生きてきたダルクのような人間にとって、あの少女は、強すぎ、眩しすぎた。
その隣に己が立つことを、現実のものとして考えることなど、到底できないほどに。
マーラは蔑みの眼差しでそんなダルクを見下す。
まったく、このヘタレのヘタレのヘタレが。
ついでに口にも出した。
「この根性無しが」
「…………」
ダルクは、否定できずに立ちつくす。
冒険者としての実力も実績も名声も、全部揃って少女の方がダルクより上だ。
男としては、そんな状況では到底恋人になりたいとは言えないだろう。
それは、わからないでもない。
男としてのプライドの問題だ。
マーラはにっこりと笑った。
「あの子を欲しいと思うのなら―――まずは、きちんと貯金して、男の甲斐性を身につけなさいね?」
大地の勇者のパーティメンバーとして多額の収入があることはあるのだが、それらすべてを右から左に装備に注ぎ込んでいる(これは少女も同様である)ダルクは、沈黙するしかなかった。
ちょいグダグダ目の過去話もこれにておしまいです。
長らく付き合わせてしまい、申し訳ありません。
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