街道を行きかう人々が唖然としながら眺めている。
それはそうだろう。
巨大な狼二匹(狼族の獣人族ふたりが獣化した姿)の背に人が乗り、更にその上を小さな緑色の飛竜が飛び、更には地を駆ける巨大な狼の隣を、狼に劣らぬ速度で駆ける少女の一行など、目玉をひんむいて眺めるに決まっている。
一行は街道を西に進んでいた。
ビョオビョオと風を切る音がする。溶けていく風景の中に、目を丸くする人々の姿がある。
少女の足は全力で駆ける狼より劣るが、いま彼らは五分という程度だろうか。
か弱いエルフの体が耐えられる速度で走っているおかげで隣を走ることができる。
隣を走る狼が、ちらりと少女を見て笑った。
少女はとても笑みを浮かべる余裕などない。
背景が溶けていくほどのこの速度。これだけ全力で走るのは久しぶりだ。コリュウはともかく、他の仲間が耐えられない。いい運動ではあるけれど。
少女が八分の力、つまり平常時におけるほぼ全力で走っているのに対し、狼が余裕綽々なのはちょっとばかり負けず嫌いの虫が騒ぐけれど、張り合っても意味がない。ここは彼らの独壇場だ。
やがて狼の足が鈍り、少しずつスピードを落としていき、止まった。
獣人の背にのせてもらっているのは魔術師であるダルクとマーラで、およそ出発から一時間ほどで休憩になった。
一時間で駆けた距離はおよそ旅人が一日で駆ける距離にも匹敵する。
できればもっと駆けたいところだが、これ以上はマーラの体力がもたない。
マーラも少女と一緒に旅をして、長い距離を踏破してきたのでエルフとしては破格に体力があるのだが、やはり、根本的にエルフは繊弱であり、いかんともしがたい。
だが、少女はもちろん、ダルクでさえもそれを責める気はまったくない。
種族の取り柄と背中合わせの短所。
マーラはその魔法でこのパーティになくてはならない相手なのだから、多少体力的に不安があってもおたがいさまというものだ。
少女は背中の荷物を地面におき、水筒と手ぬぐいを取り出してマーラの元へ寄る。息が荒いのは御愛嬌だ。
狼の背に乗っていたエルフは、ぐったりしていた。その額を冷えた手ぬぐいで拭き、水を口に含ませる。
それが済むと、少女は立ち上がった。
ぜいぜいと荒い呼吸が次第に収まっていく。
「速いな、お嬢チャン」
かけられた声は、獣化を解いた狼族の若者のものだ。
「……狼族に言われてもなあ。もっと言うと、息も乱さず言われても」
「そりゃ、地を駆けるのは狼族の専売特許だかんな」
比肩できるのは、犬族くらいか。豹や虎は、瞬発力は高くとも持続力に欠ける。
逆に馬族は瞬発力は低いが、持続力にかけては狼や犬を大きく引き離す。一時間だけの走行では狼に軍配があがるが、これが半日だったら、馬族が勝つだろう。
「でも、ありがと。おかげで明日には着きそうだわ」
少女はさっきまで飲んでいた自分用の水筒を彼に差し出すと、彼は一瞬戸惑ってからおずおずと受け取った。
よく見かける反応だった。
獣人族の彼らは、人族と忌憚なく付き合うことに慣れていない。なんてことはないこんな回し飲みでさえ、驚くのだ。
少女は気にせずさっさと流すことにしている。自分が変わり者だという自覚ぐらいはあるのだ。……不承不承ながら。
「他のみんなは無事?」
「ああ。さっき順調だって連絡があった」
「ありがとう」
魔王城にまでやって来た一般人御一同は、一団の中で強い獣人族の面々を護衛代わりに三々五々帰途についている最中である。
少女たちが魔王城からまっすぐ向かっているのは種を欲した貧しい村で、彼らの帰り道とはまるで見当違いの方向だったので、魔王城で別れることにしたのだ。
獣人族は、同じ種族の間なら離れていても意思疎通が図れる不思議な能力がある。相手の顔を思い浮かべ、そして相手が拒絶せず、かつ限界以上に離れなければ、話ができるらしい。
一般人一同の護衛役になった獣人族に様子を聞いてくれたのだ。
「しっかし……あんたも酔狂だな」
「…………言わないでー。自覚はあるのよこれでも!」
少女は頭を抱えて言う。
魔王城の北東に広がるダベンヌ湿地近くの村が、彼女の目的地だ。
少女は、ため息をつく。
「手伝ってくれて、ありがとう。でも、明日村についたら、あなたたちは入らない方がいいと思う。すごーく、嫌な思いをすると思うから」
「……何でそんな村に助力するんだ?」
あたりまえの言葉だった。
いつも獣人族の助けを借りるわけではない。
今回はたまたま、魔王城に付いてきた一般人一行のなかに狼族の若者がいて、手伝いを申し出てくれたので有難く受けたのだ。
空を飛べば早いのだが、この間の無理がたたってダルクは魔力が枯渇して全回復まで数日かかるし、マーラに頼むと今度は戦力として不安が出てしまう。
……目的地の村で、戦闘になる可能性は低くない。
助けた相手に襲われる、そんな経験をしたことも一度や二度ではない少女は、決して、人の善意というものについて、楽観はしない。泥にまみれながら、それでも人の善意を信じたいと思っているけれども、少女はパーティ全員の命を背負う身だ。
決して、楽観は、しない。
いつ戦闘になってもいい準備、もっと平たく言うならば、「相手を殺さずとも勝てる準備」が必要だった。殺してもいいのなら、少女一人でお釣りが出るけれど。
「……んー」
少女は返された水筒片手に、しばらく言葉を探った。
「あっちが嫌い、って言って、こっちも嫌い、って言ってたら、永遠に変わらないでしょ? たとえばね、これまでは、それでもまあ何とかなったと思うの。こっち嫌い、あっちも嫌い、だから関わらない不干渉、はいそれでおしまい、ってね?」
「……ああ」
「でも、世界はどんどん魔物の被害が大きくなっていく。立地条件が悪すぎる……あそこはゼトランド王国のなか、周囲は人族以外の異種族ばかりよ。この先ずっと、あの人族の村が、他種族と関わらずに生きていくのなんて、無理だわ」
マーラの生まれ故郷が、苦境にあってもどの種族の助けも期待できなかったように、孤立は、助け手の可能性をも否定する。
他人を拒絶するとは、そういうことだ。
仲良くしていないから、いざという時の助けも期待できない。シンプルな話ではないか。
少女は考えながら続けた。
「それにね、私、子どもが餓死するの、嫌だなあ……。大人はまだいいのよ。でも、子どもが傷ついたり飢えたり身体売りますお願い買って! とか言うの見てると、ものすっごく腹立つの。あ、これ、人族に限ったことじゃないわよ。どんな種族でもすっごく嫌。おんなじようにすると思う」
獣人族の若者は僅かに表情を変えた。これまでとは違う目で、少女を見つめる。
少女は水筒に口を付けて、明日その村に着いた後のことを考えて……、ため息をついた。
何を言われるのかと予想すると、悪い想像しかできない。
そういう村、だ。
コリュウが何かを察したのか、少女の肩にとまる。
手を伸ばし、その滑らかでひんやりした感触を楽しみながら、少女は呟いた。
「明日は、たぶん、すごく不愉快な思いをすることになるなあ……」
コリュウが黙って、少女の頬に顔をすりよせる。その感触に心慰められて、少女は力を込めてごしごしと撫でた。
木陰で小一時間休憩し、水を呑んだり小用に行ったりと思い思いの行動をとり、エルフ族の青年の体力が回復した頃を見計らい、また出発する。
目的地まで、もうすぐだった。
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