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あかね雲

□ 勇者が魔王に負けまして。 □

2-12 不愉快な対話 1


 ゼトランド王国―――少女に求婚したあの魔王の国は、人族からはそう呼ばれている。
 ゼトランド地方にある国だから、というのがその単純な命名の理由だ。

 一方、魔族がつけた名前というのもある。こちらの名前があまりにも散文的な名前のために、人族命名の名前の方がひょっとしたら有名になってしまったかもしれない。
 その名はズバリ、参(さん)の国、である。

 ……魔族の種族的性格というのは、豪放磊落というか、おおざっぱというか、実用的というか、なものであった。
 異種族に寛容な風土は、そういう種族的性格に支えられているところ大である。
 そういう種族が世界各地に輪を描いて散らばる国の名前をつけるとき、即物的な名前にしたのである。
 そう、壱(いち)から拾弐(じゅうに)まで。

 便宜上名前がないと不便だけどいちいち考えるの面倒だわ。
 ―――そういう命名者の声がリアルに伝わってくる名前であった。

 そして、その後、人族が個別に魔族の国に名前を付けたのである。
 その魔族の国、参の国ともゼトランド王国とも呼ばれる国の、北西の荒れ地にその村はあった。
 構成員は、全て人族。
 こんなところになんて無謀な真似をするのか、その村のことを聞いたときには少女も呆れた。

 魔族の国は、人族の国とは違い、異種族に寛大だ。つまり、人族に対しても寛大である。
 過去、激しく戦争した間柄であるにもかかわらず、勝利者であるためか、犯罪行為さえしなければ、人族が移住することに対しても寛容さをみせる。
 ただし、その寛大さは、自助努力をすべきという考え方に基づいており、平たく言えば、魔族の国において、どれか特別一つの種族に対して肩入れすることはほとんどない。

 その種族があまりにも有益だとかいう場合でもない限り、彼らは、自らの力で、自らの存在価値を示し、生存を勝ち取ることを義務付けられるのである。
 力が正義―――弱肉強食の論理がまかりとおる魔族の国とは、そういう国だ。

 さて、人族の何よりの長所は、少女はその「欲深さ」だと思っている。
 欲深は欠点ととらえる向きも強いが、少女は人族がその欲のため、多大な困難にも決してくじけず、ついにはその困難を克服するところを何度も見てきた。
 とても通常の人族の来れるところではない極北にまで商人が来ていて、その商人が人族であると知ったときには絶句したものだ。

 そして、ほとほと感心した。
 人族は確かに欲深だ。
 だが、食欲、性欲、睡眠欲、金銭欲、名誉欲……それらはどんな種族にも多寡はあれ確実に存在しているもので(そう、エルフにも)、その欲があるからこそ、人生は美しく彩られる。
 そして、より上にいこうという意欲も生まれる。
 欲のない人生など、向上心も何もない実につまらない生ではないか。

 そして、人族は実にたくましく、バイタリティあふれている。それらもすべて、欲のためだ。
 人の役にたちたい、ほめられたい、彼女の活動意欲の源のそれもまた欲であるのだから。

 そんなわけで、少女は絶対に口にはしないが、マーラの種族を捕えた商人についても、その欲によってあの海を越えた行動力についてだけは、心ひそかに、感心している。
 少女たちの住む大陸と、白霧の大陸は、ほんっとーーーーに! 離れているのである。

 少女たちはその海を、水棲種族の中の海洋種族の助けを借りて海中から曳航してもらい、かつどの種族より海流を熟知している彼らの助言で、海流の助けを借りつつ渡ったことがあるのだが、それでも一カ月かかった。
 少女の住む大陸に来た時、マーラは意識もうろう状態で日数は憶えていないというが、この五倍はかかっただろう。

 それだけの日数の航海となると、まず船員たちの士気は落ちるし、食料も水も大変だし、壊血病も、疫病も、更には衛生状態も問題となる(風呂入れないため)。
 長期の航海とはとにかく苦難また苦難なのである……それを、欲によって乗り越えた、その点だけは評価する。入念な準備と、そして運にも助けられたことは間違いないだろう。

 さて話を元に戻すが、人族全体を見たとき、創意工夫によって、困難を乗り越えていく活力は素晴らしい。
 だが、人族を見たとき、そこにはぱっと目に他種族の利益につながるような、長所らしい長所がないのも事実である。

 器用であるが、もっと器用な種族はいっぱいいるし、力も魔族の方が強い。魔力に至っては論外である。
 人族が版図を伸ばしてきた、その原動力は、欲を原動力とした活力と、どんな種族より高い繁殖力である。
 つまり、魔族の国が支援すべき何の長所もないのであった。

 それなのに、国が支援してくれない、なんでだ! と怒鳴りこんでいる人々と出会ったところから、この村の存在を知ったのであった。
 彼らにしてみれば、国が入植を許可したんだから、国が面倒見るのは当たり前、というの考えなのだが、それは魔族の考え方とは根本的に異なっている。

 自分の力で何とかしろ、というのが、魔族の考えであり、ついでに言えば、他の多くの種族の考えでもある。
 そして、魔族の国というのは、(当たり前だが)魔族の方が人族より多い。そして、どういうわけか、魔物が強いのである。
 そんな魔族の国に人族の村が入植するのなら、魔族と仲良くなって、相互扶助をするのが一番生き残るのに手っ取り早い方法なのだが、その人族の村にはそれができない事情があった。

 その村人から行きがかり上、話を聞いて、少女は呆れかえった。
 聖光教会という、人族の多くの国で信仰されている教会がある。
 彼らはその教会の信者からなる入植者集団であり、今回の入植について、砂糖水で描いた子どもの絵のように甘い目論見でいた。

 入植を認めてくれたんだから支援もしてくれるさ、いや支援が義務だ、当然支援するだろう、そうでなきゃおかしい、というものだ。
 聖光教会とは、口の悪いマーラが評していわく、「矮小範囲の善人にして、広範囲の悪人」の集団である。

 人族にとっては、善き助け手だが、その他多くの種族にとっては迷惑この上ない。
 聖光教会の教義は、「助け合いましょう、我々は仲間なのだから」というもので、お互い様と、助け合いの精神を基本としている。
 そこまではいい。
 困った時はお互い様、実にその通りだと思う。

 ただしこの教会の困ったところは、「人間」というのは人族だけで、無数の異種族は「邪悪な獣」であると、人族絶対主義を堂々と主張してやまないところだ。
 そして、しばしば、「異種族は人族がつくりあげたものであり、人族に奉仕すべき存在」なんていうことを言ってくれるのだ。(当然、異種族たちからは世迷言を抜かすな、で終わっている)。

 アタリマエの話であるが、そういう連中が魔族に対して「援助シロ! 当然だろ!」と言ったところで、だーれも援助してくれないに決まっていた。




 そういう村近くまで来て、少女はここまで一緒に来てくれた狼族の若者たちに心をこめてお礼を言った。
「ほんとうに、どうもありがとう」

 旅の道程が大幅に短縮されたのは、彼らのお陰だ。
 彼女の純粋な謝意は相手にも伝わって、若者たちは面映ゆげな顔になる。
 好意を持っている可愛い女の子に面と向かって心の籠もったお礼を言われて嬉しくなかったら、その男は精神に異常をきたしている可能性を検討したほうがいい。

 彼らは少女の気乗りしない態度を見て、心配そうに提案した。
「大丈夫なのか? 何なら、ここで待っていようか? それならすぐに帰れるだろう?」
 少女は一瞬ためらったが、頷いた。
「ありがとう。お願いしてもいい?」

 これから、不愉快な対話が待っている。
 不本意ながら、同様の経験を山と積んだ経験則で、相手がどんなことを言うかも、自分がどういう対応をするかも想像できている。
 だったら、その後は、気分を晴らすためにも身体を動かした方がいいに決まっているのだ。

 これもまた、「経験則」だった。

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Date:2015/11/15
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