町からおよそ五十ダズ(約一キロ)離れた場所で獣人族と別れ、そこから先は徒歩で村へと入る。
荒廃した村だった。
土の質が悪く、表土は乾いて砂と変わりつつある。畑に伸びるのはやせ細った雑草ばかり、家の壁はそこらの石と土で作った壁であり、容赦なく隙間風を通すだろう。
風で乾燥した土が舞いあがり、木々も家々も何もかも薄い土ぼこりで覆われていた。
村の周囲に張り巡らせた粗末な柵を見て、少女は一瞬顔を歪めた。
木の棒を並べて立て、有刺鉄線で結んだぐらいの、粗末なつくりだ。
魔物のいるこの時代、魔物への備えは必須だ。まして、魔族の国では、どういうわけか魔物が強い。だからこそ、備えが必要だというのに……。
村長の家にまっすぐ赴き、戸を叩く。
招き入れられた室内で、村長は目を丸くした。
「あ、あなたは……!?」
彼女ほど、目立つ風体の人間はいないだろう。
世界広しといえど、飛竜の幼生体を連れた十代の少女など、彼女ぐらいだ。
少女は無言で、懐から小さな袋を取り出した。
十二の魔族の至宝の一。
どんな土地でも、どんな場所であっても実を結ぶ種である。
この国の至宝であり、だからこそこの国は高地であっても実りは豊かだ。
彼女は、その種を分けろと役場に訴えているところに、出くわしたのだった。
「自助努力」が叫ばれる魔族の国に、彼らが持ち込んだのは、普通の平地用の種類の作物だった。
こんな高地では、気候からして違う。
平地用の作物では、実らない。
それでもその作物を植えていたのは教会の指示だから。そして、指示通りにしていれば援助がもらえるからだ。
そして、援助が打ち切られることになり、慌てて作物を探して―――そこで、教義の壁が立ちはだかったのだ。
いや、普段の行いの壁、というべきか。
魔族だとて人間である。
今までさんざん嫌な思いをさせられてきた相手に、協力しようという者はいない。
まして、協力が当然、魔族は人族を助けるのが当然、だから作物を分けろ、なんて態度では……。
少女は魔族との付き合い方を知っているが、彼らは基本的に、とてもはっきりものを言う。
豪放磊落で、大らかである。
付き合い方さえわきまえていれば、付き合いにくい相手ではない。だが、ある種の人間にとっては、非常に付き合いにくいだろう。
たとえば、魔族ははっきりくっきりしているので、「あんたが嫌い」と面と向かって言うのである。
これが合わない人間も多い。
そこで、そうした魔族の付き合いに慣れている少女が頭を下げに行き、少女に対し無条件で寄せられる魔族の好意のおかげで何とか種を譲ってもらったのだが……、その種は芽吹かなかった。
魔族の至宝は、一旦地に落ちると、その地に適応した種へと変化する。
オリジナルにしか、その性質はない。
人族が入植したこの村は荒れ地に属されるところにあり、普通の作物では根づかなかったのだ。
「その種は……! 取って来てくださったのですね! あの魔王のところから!」
村長は狂喜して種を手に取ろうとし、その寸前で少女は取り上げた。
「え……?」
「これを渡すにあたり、条件があるわ」
厳しい眼差しで、少女は告げる。
少女は馬鹿がつくほどのお人好しだが、こんな、自分で自分の首を絞める愚か者の村のために命を捨てることはしない。
なのに、少女がこの村を救おうとしたのは―――彼女を助けて命を失った人間の、最期の頼みがあったからだ。
少女の青い瞳には強い意志が刻まれていた。命の危険を何度もくぐりぬけてきた人間の、鋼のような瞳だった。
年齢は三倍も違うのに、気圧されて言葉を発せない村長に、少女は言う。
「この種は、魔王の厚意で譲ってもらったもの。それをしっかりと石碑を建て、そこに刻むこと」
「な……魔王にお負けになったのですか、勇者さま!」
非難の混じる口調に、背後のダルクがぴくりと眉を動かし、少女の肩にとまるコリュウがその鋭い歯をぞろりと見せる。
仲間の反応を無視し、少女は平然と肯定した。
「負けたわ。これは、あくまで、魔王が憐憫(れんびん)の情で譲ってくれたもの。私が勝ちとったものではない。わかるわね? これは、魔王の温情で恵んでもらったもの。善行には善行で返せと、教義にもあるでしょう?」
「相手は、魔族ですぞ!」
よくまあ自分の前で言うもんだ、と、見かけはまるきり魔族のダルクは呆れた。
少女はその反応を予想していたらしく、表情一つ変えなかった。
「嫌ならいいわ」
あっさり言って、少女は種を引き上げる。
踵を返したところで、村長は取りすがった。
「勇者さま! それは! それはどうか!」
少女は振り返る。
「条件、のむ?」
村長はぐっと息を呑みこみ、最期の抵抗をした。
「……ですが、教会にそんな石碑を見られたら」
「見られたらどうだっていうの? まだわからないの? あなたたちは、教会に捨てられたのよ」
少女の言葉は、かなり恣意的だ。
この村の場合、教会側は相当の援助をしたのである。だからこそ、この村は誕生から二十余年を生き延びた。
だが、教会の方もいい加減援助してばかりで結果が見えない入植に嫌気がさしたのか、ついに援助を打ち切って人員を回収しようとした。
それに、当の村人は異議をとなえ、魔族の国の役所に援助を求めたり、偶然来た旅人に助けろと言ったりしていたのである。
よって、この村について、教会の非はあまりない。
長年援助を続け、自助努力を忘れさせてしまったり、こんな場所を入植先に選定したことを除けば、だが。
とはいえ、今現在、教会の援助はないことは、事実である。
「す、捨てたわけではありません! 我々は自分で……!」
「そう。自分の意志で留まると決めたのよね。―――だったら、他人にすがってばかりいないで、自分たちでなんとかしなさい! 自分の決定には責任が付きまとうのが当たり前でしょう!」
「ゆ、勇者のくせに困っている人間から代償を取るのか!」
少女は鼻で笑った。
同様の文句は、聞き飽きすぎてもう何とも思わない。
「代償? 魔王への感謝の気持ちを忘れず石碑に刻めということのどこが? じゃあ、取りましょうか。ダルク、この種、市場価格でいくらになる?」
「……まあ、億単位だろうな。最低でも一億にはなる」
魔族の至宝、しかも生きる上での最重要要素の「食」が必ず安定供給できるようになるという代物である。
多くの種族にとって需要が高く、天井知らずの高値がつくだろう。
「じゃあ、一億。それでこの種を譲るわ。どう?」
もちろん、こんな貧乏村にそんな金があるはずがない。
「どっちにするの?」
「……わかりました。石碑を、建てます」
いかにもしぶしぶ、という様で村長が言葉を絞り出す。
「嘘は言わないようにね。私の仲間は、この村近くにもいるわ。定期的に見に来させるから。ひと月後、もし、石碑の文字が改ざんされていたり石碑が立っていなかったら―――」
少女は、目の前の分厚い木のテーブルに手を置いた。
熟した実を踏むような音がした。
少女が、まるでパンをもぐような簡単さで、そのテーブルの端をちぎり取ったのだ。
村長は絶句する。
使い古された木製のテーブルだ。厚みは拳ほどもあり、よく乾燥したそれは、まかりまちがっても人の手でちぎれるようなものではない。
少女は子どもの拳ほどもある木片を掌の上で転がす。コリュウもダルクも、まるで驚く様子はない。
絶句して見つめている村長に、少女は目は笑っていない顔で言った。
「勇者との約定。破った時は……覚悟してもらうわ」
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