少女は家を出ると、視線を巡らせた。
以前、ここに来たときに、袖を引いた女の子の姿を探したのだ。
けれども、貧しく乾いた村には彼女の姿はなく、代わりに―――。
「ねえちゃん!」
全身薄汚れ、痩せた子どもが声をあげた。
「アルト……」
せいぜい七歳程度の背丈だけど、少女は彼がもう十二だと知っている。
少年はまろぶように駆けてきて、地団太を踏む勢いで言った。
「ティーは死んだぞ!」
少女は動きを止めた。
「ねえちゃんは勇者のくせに、どうしてティーを助けてくれなかったんだよ!」
「………あ……」
少女は脳裏にまざまざと記憶を蘇らせる。
痩せっぽちの、体に柔らかいところなど何もなさげな女の子は、弟を助けるため、こんな辺境の村にやってきた旅人の男の袖を引いた。
―――おねがいします。私を買って下さい。
年端もいかない少女の、勇気を振り絞った嘆願。
その男こそダルクで、そして、その時側にいたのが、クリスだった。
彼女から話を聞けば、父も母も出稼ぎに出掛け、弟は病気だという。
事情を聞いてマーラはやれやれという顔で、その少年を看た。
病の原因は何のことはない、栄養失調によりこじらせた風邪だった。
根本的な、この村の貧しさを何とかしなければ、何の解決にもならないことだった。だから……。
「―――おい。くそがき」
立ち尽くす少女を庇うように、ダルクはその少年をつまみあげた。
年の割に極端に乏しい栄養状態を反映した矮躯の少年は、あっさりとダルクにつかまり、持ち上げられた。
青黒い顔はしかめられ、眉には深刻な陰りがある。
「お前はいったいこいつのなんだ。家族か? 恩人か? お前は一体何様だ。こいつに、お前を助ける義務など微塵もないのに何を偉そうなことを言っている?」
ダルクは本気で気分を害していた。
だから、こんな村、放っておけと言ったのだ。
少女が命がけで魔王城に忍び込み、種をとってきても感謝の言葉ひとつ寄こさない。
もちろん、彼らのパーティのリーダーである少女は好きでやっているのだ。勝手にやっているのだ。
だが、だからといって、どうして罵倒されねばならない? どうして善意の行為の代償に、責められなければならない? そんな道理がどこにある。
村長の、種を受け取っておいてのあの態度。
どんな思いで彼らがあの種を取ってきたと思っているのか。それでいて、わずかな代償――石碑を建て、謝辞を残す程度のことさえ嫌がる狭量ぶり。
そして、何の縁もゆかりもないくせに、見ず知らずの一少女の死をクリスのせいとして罵倒するこの子ども。
……心底、不愉快だった。
ダルクの周囲の空気がゆらりと揺れる。
少女が鋭く叫んだ。
「ダルク! やめなさい!」
ダルクはチッと舌打ちして、少年から手を離す。
地面に尻餅をついた少年は、自分がいま死線をくぐったことをおぼろに悟って、茫然としている。
魔族は種族的特徴として、攻撃魔法に秀でる。
攻撃魔法だけなら、ダルクもマーラに準ずるぐらいは使えるのだ。そう、こんな村、滅ぼそうと思えばすぐにできるほどに。
ダルクは少女を見やる。
「……殺すつもりはない。そこまで俺は馬鹿じゃないぞ。すこし……こいつらに身の程をわきまえさせるだけだ」
「駄目」
少女の青い瞳が、厳しい光を宿して正面からダルクを見ていた。
「……あなたがそれをやれば、私はあなたを斬らねばならない。わかるわね?」
「……」
不服そうに、それでもダルクは全身から険呑な空気を消す。
犯罪者保護監査制度。
ダルクは少女から一定の距離以上離れると、自動的に少女に居場所が通知されるし、再度犯罪に手を染めた場合、「保護司」である少女にはダルクを処断する権利と義務が発生する。
ダルクが落ち着いたことで、少女は少年に目を移した。
「……ごめんなさい。助けられなくて、ごめんね」
放心状態だった少年は、ゆるゆると顔を上げる。
ダルクも、マーラも、謝罪の言葉が出てくるものと思ったのだが―――。
「ねえちゃんは勇者なんだろ……? 人助けするのが仕事なんだろ! ねえちゃんなら助けてくれるってみんな言ってたのに! どうして助けてくんなかったんだよ!」
「―――いっぺん、殺しましょうか。このクソガキ」
さっきは先にダルクが暴発したから行動を起こさなかったものの、まったく同感だったマーラが朗らかに提案した。
「駄目にきまってるでしょ!」
「まったく……。苦境を自分でなんとかしようという気概を持っていた少女の方は死んで、何事も他力本願、失敗は他人のせいっていう村人の悪しき影響を色濃く受けている馬鹿の方が生き残るとは、まったく残念です。自分を救ってくれた恩人に対して罵倒するお前などより、あの子が生きていればよかったのに」
エルフのマーラは、こういうとき、少女ですらも怯むほど非人間的な顔を見せる。
血の通わない冷酷な宣告に、少年は言葉を失った。
「だって、だって、だって……! 勇者のねえちゃんならこんな村かんたんに救えるはずだって! 力を出し惜しみしているんだって! そういう卑怯な人間なんだって!」
マーラはその言いぶんを最後まで聞き、少年が口を閉ざしてから口を開けた。
「―――で、どうして我々はこの村を救わねばならないんですか?」
その、普通の考え方なら当然の指摘を、少年は思いついてもいなかったようだった。
絶句してしまった少年に、マーラは再度問いかける。
「どうして、我々はこの村を助けなければならないんですか? こんな、礼儀知らずで恩知らずで身の程知らずの最低な村を」
助けられて当たり前、救ってもらって当たり前。だから感謝なんてしない。救い方が悪い、掌からこぼれた命はお前のやり方が悪かったせい、そう責める。
―――ふざけるな。
どうして、ここまで傲慢になれるのか、エルフのマーラにはまったくもって不思議でならない。
リーダーたる少女の道楽にも困ったものだと思うのはこういう時で、助けるのはいいが、助けるだけの価値のある相手だけにしてほしいものだ。
有り体に言えば「助けてもらったら礼を言う程度の最低限の常識がある」人間だけに。
「どうしてそこまで自惚れられるんでしょうね。自分たちは助けてもらって当然、などと。自分で自分を助けようともせず、悪いことはすべて他人のせいにして不平不満ばかり……、いざ助けてもらってもわずかな瑕疵を見つけて文句を言う、そんな輩を、どうして助けなければならないんです? 今日、この村は救われました。でも――そのために、どれほどの危険を我々がかいくぐったのか、あなたは知っているんですか? 考えてみたことすらないでしょう」
この大陸で最高峰のパーティである自分たちが総がかりになって、それでも負けた。
魔王とはそれほどの強敵だ。
だからこそ、彼らが持つ十二の魔剣と秘宝には、億をかるく超えるだけの価値がある。
負けた時点で、彼らは全員、命を奪われても何一つ文句は言えなかったのだ。
さればこそ、少女は魔王の取引をあっさり呑んだ。全員死ぬより、少女ひとりが犠牲になる方が遥かに良い選択だから。
「……やめて。マーラ」
暴言に憤る仲間の気持ちは嬉しいが、少女はそこで止めた。
何と言っても、相手はまだ子どもだ。
しかも、親しかった姉を亡くし、平常心でいられない。そんな時に、周囲の村人から『勇者が助けてくれなかったせいでお前の姉は死んだ』なんて言われたら、そう思い込んでしまうだろう。
すべて、勇者のせいだ、と……。
胸に、つきんと広がる痛み。
もう何十度目か、わからないその痛みを感じながら、少女は言った。
「これから、この村の暮らしは良くなるわ。働けば働いただけ、暮らしが楽になる日々がやってくる。あなたのお姉さんを助けられなかったのは事実だから、私を憎んでくれても構わない。でも……憎しみで歪まないでね。まじめに、きちんと働けば、報われる。
そうなるはずだから――……」
魔族の秘宝には、それだけの力がある。
まじめに、きちんと働けば、報われる。そういう村に、なれるだけの力が。
少女はそれを告げると、背を向けた。
胸の内は暗く沈んでいる。
いつものことだ。そう……勇者の名に過度な期待を寄せられるのも、期待外れだと言われて責められるのも。助けた相手から罵倒されることも。
なのに……今は、これまでになく、『勇者』の称号にかかる重荷が、重く感じられた。
人を助けるというのは難しいことで、アフリカの難民などでも同じですが、「助けていると自立しない」のです。
でも、さりとて現実的に飢えて死ぬ人を前に、助けないでいることが正しいことなのかどうか……そういう二律背反があります。
彼女は頭を絞って考えて、「自立できるようになる手助け」をしたのですが、さてはて、もっといい道はあったのでしょうか。
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