光が眩しいほど、影もまた濃い。
大地の勇者という名声の影は色濃く、少女のまわりには彼女を恨み、つけ狙う暗殺者が引きも切らない有り様である。
そんなある日、彼女は一つの依頼を受けた。
幽霊が毎日、決まった時間に現れ、町をさまよい歩くのだという。目立った害はないが、不気味であるし、何か不穏なことが起こる前兆かもしれない。それを調査してくれというのである。
この世界の魔物の中にはアンデッドがいるが、その中に幽体はいない。
……が、怪談話はどこの国でもみんな大好きである。その手のお話は山ほどあった。
「幽霊」という正体不明の現象に少女はいたく興味をそそられた。本来なら少女が行くような格の依頼ではなく、報酬も少なかったのだが、好奇心から受けてみたのだ。
ところが、受けたタイミングが悪かった。
現地で、ほぼ同時刻にその依頼を受けた人物とかちあってしまったのである。
冒険者ギルドに来た依頼は基本的に早い者勝ちだが、その地域の町すべてで依頼情報を共有しているため、たまにこうしてほとんど同時に複数の町で依頼を受理すると、かちあってしまうのである。
そうした場合は、冒険者同士で話し合い、どちらかが退くか、あるいは共同で依頼にあたるのだが、この場合は後者だった。
ダブルブッキングしてしまったのは、中堅の冒険者、四十代の人族の「何でも屋」ギライだった。
少女のようにパーティを組んでいない冒険者は、役割分担ができないのでいくつもの職業を兼業することになる。
彼は、戦士であり、盗賊であり、鍛冶屋でもあった。町の農具のちょっとした鍛冶や研ぎ、雑用などもして、生計を立てている普通の冒険者である。
彼はかの有名な「大地の勇者」がこんな依頼に来たことに驚き、噂通りの希少種族が集まった面々に驚き、最後に、そのリーダーが年端もいかない少女であることに驚いていた。
彼らは共同してその幽霊事件を調査し、そしてその過程で少女を狙う暗殺者によって暗渠(あんきょ)に落ちてしまったのだ。
仲間と分断されて、ふたりきりで暗渠を捜索する中、少女はギライの話を聞いた。
故郷が貧しいこと、出稼ぎに出たこと、けれども結局、貧しい故郷に嫌気がさして、戻らない道を選んだこと……。
ギライは言った。
貧乏くさくて、それに不満を言ってばかりで何ひとつ自分たちでは変えようとはしないで、他人の悪口を言ってばかりで一日を過ごしている村で、大嫌いだった、と。
それは本心だったろう。
吐き捨てる表情は、嘘とはとても思えなかった。
でも、彼は、死ぬ間際に彼女に頼んだのだ。
貯めておいた金を、どうか、両親に届けてほしいと。
「だから、私は、ゼトランド王国まで行ったの」
ゼトランド王国に入り、まず王都に行って詳しい場所を調べようとしたところ、王都の役場でゴネているくだんの村人に遭遇したのだった。
その村人に事情を話し、村への案内役になってもらい、村へと入ったのだが……村の様子は、ひどいものだった。
そして、ギライの言葉を否応なく思いだした。
―――人がどんどん減ってよ、だあーれも入っちゃ来ないんだ。当たり前だよな、あんな村。爺いと婆あが都合の悪いことぜんぶ人のせいにして、ぺっちゃくっちゃ人の悪口を言い続けて一日終わるんだぜ、誰がそんな村に帰りたいと思うよ?
ギライの両親を尋ねたがすでに他界していたため、少女は村長に預かった金を渡してさっさと帰ろうとしたのだが……案の定、すがられてしまった。
「勇者さま! ありがとうございます! 我々を助けに来て下さったのですね!」
小竜を連れた少女とエルフと半魔族。
こんな奇天烈な取り合わせがそうそう滅多にいるはずもない。
聖光教会の信者に彼女はあまり受けがよくないはずなのだが……、そんなことは気にしないとばかりに取りすがった。
「お願いします! お助け下さい! お助け下さい!」
少女はどうしようもないレベルのお人好しだが、利用しやすい人間かと言えば、実はそうでもない。
修羅場のくぐってきた回数が他人とは比べ物にならないだけあって、現実を見据える目も持っている。
ここで、彼女が手持ちの金銭を与えても、彼らはそれをあっという間に食いつぶし、更に彼女に寄りかかるだろう。
お人好しがすぎる少女だが、自分で自分を助けようという気力もない人間を助けることはない。
「勇者さま! あなたは勇者でしょう! 我々をお助け下さらないのですか!」
その声を一旦は振り切って外へ出たのだが、そこで見てしまったのだ。
子どもが勇気を振り絞って、「私を買ってください」というところを。
―――食べるものがありません。なんでもします。
ダルクの服の裾を握り、そう訴えていたのは、痩せこけた子どもだった。
少女は腹を立てた。
もちろん、ローブの裾を強引に振り払ったダルクにではない。ああした貧民はひとりに手を差し伸べれば殺到するのだ。それもわかっている。
彼女が腹を立てたのは―――あんな年端もいかない子どもが身体を売るところまで追い詰められている貧しさそのものだった。
教会に援助されて、その援助で食べる事に慣れて、自分で立とうとしない大人たち。
他人に頼ってばかりで、自分で何とかしようとしない大人たち。
その結果、この村はここまで追い詰められた。
―――子どもに、罪は無いのに。
「正直に言うとね、パルの言ったこともちょっと考えた。感謝さえもしない相手に、あんなものをくれてやる必要なんてない……って。でも、あの種をきちんと、有意義に使えば、あの村は立ち直れるわ。子どもが、自分の体を売ったりしなくてすむ様になれる」
あの、やせっぽちの女の子は、村を救ったのだ。
はじめて身売りをするのだろうことは、見ればわかった。
怖かっただろう。それでも、弟のため、ありったけの勇気を振り絞って、震える声で、見知らぬ大きな魔族の男に嘆願したその勇気がクリスを動かした。
「……ときどきね、どこで違ったんだろう、って思うの。私と、あの子。いったいどこで、道が分かれたんだろうって」
コリュウがいなければ、少女の辿る道は、あの子と同じだったはずだ。
村が滅び、毎日の食事にも事欠く日々で、ご飯を食べるため、女郎宿に身売りするか、街娼になるか……同じであったはずなのだ。
でも、今や彼女は、いくつかの国の恩人であり、祝賀の祭典に招かれた時などは、王族と並び立てる身だ。
その名声はこの大陸全土に鳴り響く、大陸で屈指の冒険者だった。
どこかで、何かが違っていたら、自分はああなっていた。
あの女の子は、もう一人の自分だ。
「だから……見捨てられなかったの」
けれども、種を手に入れて戻った時、あの女の子は、死んでいた――……。
少女は、黙って瞑目し、あの子の冥福を祈った。
―――勇者のくせに!
蘇った叫び声に、ハッとして少女は目を開けた。
勇者のくせに、どうして助けてくれない!
勇者のくせに、どうしてこんなこともできない!
勇者のくせに、負けたのか!
勇者のくせに、勇者のくせに、勇者のくせに、勇者のくせに、勇者のくせに、勇者のくせに!
少女は、大きく息を吸った。
余計な思考を、切り捨てて目の前のことに集中しようとする。
―――仕事の、最中なのに。
顔が歪む。バサバサと頭を振って、思考を切り替えようとする。いつもならすぐにできることが、できない。
―――どうして助けてくれなかったんだよ!
「どうしたの?」
少女はびくりとして顔を上げた。
亜麻色の髪の、二十代になったばかりとおぼしい優しげな青年が少女を見ていた。
うすく、涙のたまった青い目でその青年を見上げると、彼ははっとした。
固まった後、生唾を呑みこみ、一生懸命平静にと努力している声で、言う。
「ご両親と、喧嘩でもしたの?」
少女はかぶりを振る。
「じゃあ……旦那さん?」
村娘の結婚適齢期は十五からだ。少女は十八。夫がいても、何ら不思議ではない年頃だった。
これにも、少女はかぶりを振る。
予定していた通りの筋書きを口にした。
「……村外れに住んでいるの。母と暮らしていたんだけど、この間、母が亡くなって……。奉公に出た先で、しくじっちゃって……」
身よりのない、少女。
奉公人が叱責に耐えかねて逃げだすなんていうのも、よくあることだ。
いなくなっても騒がれない、絶好の獲物――を装ったのだが、青年はみるみる顔を曇らせた。
「……しんどいことも多いだろうけど、逃げちゃ駄目だよ? 逃げたら、それより悪くなっちゃうんだから」
青年は、手にしていた籠からパンをひとつ、差し出した。
「売れ残りで悪いけど、これ、あげるから。だから、戻って、頭下げて、ごめんなさいって勇気を出して言ってごらん。きっと、女将さんは許してくれる。つらいだろうけど、今がいちばんつらいところだから。乗り越えればきっと楽になる。だから、ここは踏ん張んないと駄目だよ」
……嘘の話なのに、さっきまで悩んでいたことが重なって、励まされている気分になった。
何の裏もない、優しく温かい励ましの言葉が内側から少女をあたためる。
だから、その顔は演技ではなく本当だった。少女は泣き笑いの顔で、頷いた。
「……うん。ありがとう……」
少女も知っている。
戻る家もなく、主家から逃げ出した奉公人の行く末は、みじめだ。
運よく次の奉公先を見つけられればいいが、一度逃げだすとその話は広がるため、なかなか雇ってくれるところはない。
そうなったら、物乞いに落ちるか、犯罪に手を染めるか、あるいはいっそ身を売るか、そんな道しかないのだ。
青年も、それを知っているから、逃げるなと励ましてくれるのだ。
自分でも不思議なことを口にしてしまったのは、その思いやりがすごく嬉しかったせいかもしれない。
「……自分でも、納得して、望んだはずの道なのに、ときどきつらいの。苦しいの。重くて、痛くて、逃げ出したくなる……」
最初は、コリュウと自分だけだった。
ふたりで食べるに困らない程度のものがあればよかった。
でも、マーラに出会った。助けて下さいと頭を下げるたくさんの人に出会ってしまった。
自分の気持ちのまま、助けたいという道を選ぶには、力を得るしかなかった。誰かを助けるには、助けられる力が必要だった。
だから彼女はここにいる。
無数の冒険者のうち、頂に最も近い場所に。
でも―――。
寄せられる期待が重くて。
頑張っても、頑張っても、あの女の子のように、時として掌からこぼれ落ちてしまう命がある。それを、見るのはつらかった。責められるのは、痛かった。
青年は少女の手を取って、パンを少女の手のひらの上に乗せる。
その一瞬、青年は動きを止めた。
それから、青年は少女の頭に手をぽんと置いた。思わず、固まってしまう。
「きみ、ひょっとしてものすごーーく頑張るコ?」
「え?」
「周りの人から、頑張りすぎとか、無理しすぎとか、言われたことない?」
ショッチュウデス。
黙っていると、青年は答えを読みとって、にぱっと笑った。愛嬌のある笑顔だった。
「心がつかれちゃったんだよ。そういう時は、仕事なんて、しないほうがいい」
「え? え? え?」
今ついさっき、逃げちゃ駄目って言っていたような? いやまあそれが道理なんだけれども。
青年は真面目くさった顔で講釈した。
「頑張って、頑張って、無理して、ぱーんって破裂するよりは、適度に息抜きした方がいい。うん。君、どこに奉公しているの? 今日は、帰って、謝って、そして、明日一日お休みさせてくださいって言おう。僕からも言ってあげるから。店はどこ?」
「あ……いえ、お店、ではないんです。この町の町長様のお宅で奉公しています」
「町長の!? …じゃ、結構いいところの子?」
そんな「名家」は、決して紹介状なしで人を雇ったりしないものだ。
「いえ。その、私の母が町長夫人の知り合いだったとかで……そのつてで」
混乱したまま用意された身分を喋り、やっと頭が追いついた。
「ご迷惑かけるわけにはいきません。ありがとうございます。愚痴、聞いていただいてすっきりしました。もう、大丈夫ですから」
笑んで見上げると、青年も笑った。
「うん。笑顔のほうが、ずっと可愛いよ」
青年はもう一度手を頭に置いた。
「がんばない、がんばらない。無理しない。いい?」
「…………はい」
こくんと、素直に、頷く。
「どーしてももうこれ以上は無理だ! ってなったら、そーだなー、僕のとこ、くればいいよ」
「え?」
「僕、パン屋。いちおう主人。メイリーフ通りの、赤い三角屋根の」
と、人差し指で自分を指す。
「もちろん働いてもらうし、給金もあんまり出せないけど、それでもいいなら雇ってあげるから。だから、最後の最後、どーしても耐えられない! ってなったら、自分で自分を壊しちゃう前に、僕んとこおいで」
「あ、あ、あのでもご迷惑が」
「うんうん。まあ迷惑だね、はっきり言って」
直球で言われ、さすがの少女も返答に困る。
青年は、そんな少女に、微笑んだ。聖も濁もまるごと包み込むような笑顔だった。
「でも、かわいー女の子が、川に飛び込んだりしちゃうよりマシ」
ぽん。
また、掌が頭に置かれる。
「あと、下心ありありーだから、ぜったいにもう駄目ってなってからでないと、来るのは危険だよ。いろんな意味で」
「した……ごころ?」
意味がつかめずに怪訝な顔で問い返すと、青年はげえ、という顔になった。
「わかんない? 君、そんな可愛いのに、男に言い寄られたことないの?」
「え、え、えーと、一回だけ……」
思わず、素で答えてしまった。
「いっかい!!」
青年は絶叫した。
絶句したあと、彼は脇を向いてひとりごちる。
「君の側の男どもは何やってるんだ、まったく。女の子に狼への警戒ぐらい教えとけ」
いえ、その女の子が本物の狼とガチで素手でタイマンしても瞬殺できる場合は別じゃないかと思うのですが。
「わかった。じゃ、はっきりくっきり言おう! 男はみんな狼だ!」
胸を張り、力強く断言されてしまって、一体どういう顔をすればいいのやら。
「そして君は可愛い! 正直なところ、かなーりタイプだ!」
「……はあ」
「だから君が僕の店に奉公に来るんなら受け入れる。でも、僕は君に下心ありありだ! 身の危険は正直かなりあると言っていい!」
そういうことは力強く断言しないでクダサイ。
「それでもいいんなら受け入れるよ、って話」
「…………。あの、物凄く豪快な夜這い宣告なんでしょうか、いまの……」
奉公人は、奉公先で寝泊まりすることも多い。その場合、主人が夜に忍んできたら奉公人に断る自由は無いに等しい。
一応確認すると、青年は途端にあたふたした。
「夜這いなんて! そんなひどいことはしないよ。でも、ほら、仕事をしていてかわいーなーと口説いたり手と手が触れ合ったりすることはあるだろう?」
その程度らしい。
寝床がない時は、野郎どもと一つ天幕の中で雑魚寝することも平気な少女は乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
青年はその笑みを見て、ほっとしたように言う。
「よかった」
「え?」
「元気になった。無理して笑うんじゃなくて、自然に笑えるんなら、大丈夫」
そう言われて、少女も気づいた。―――石が詰め込まれたように重かった胸が、綺麗に軽くなっていた。
「女の子が、あんな顔してちゃ駄目だよ。どうしても辛かったら、僕んとこ来ればいいから」
「……はい。ありがとう、ございます……」
青年は、励ましの笑顔を向けて、去っていった。
少女はその後ろ姿を見つめる。
異様に動悸が早い。
仕事には関係のない、単なる善意の第三者。
一介の町人で、血塗られた冒険者である少女とは何のかかわりもなく、一瞬、お互いの道が交差して通り過ぎて行くだけの人。
そのはずなのに、頬が熱かった。
それがどういうことなのか、ぼんやりと理解しつつも、体の奥からにじみ出る初めての感情に、少女は戸惑っていた。
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