少女に話しかけた青年が立ち去るのを、近くの建物の二階に陣取った二人が眺めていた。
「……かかった訳じゃなさそうだな」
そうなら、少女はあらかじめ決めておいた符丁で合図する手はずだ。
「でも、ま、時間の問題でしょう」
そう言ったのは、変化の魔法で髪を黒くし、耳を普通にし、ついでに綺麗な顔も平凡なものにしたマーラだ。
ダルクの方も同じく青黒い肌を褐色に変え……「てもらった」。
悲しいかな、マーラは自在に操れる変化の魔法は、ダルクにはとっても荷が重かった。
「囮としちゃ、あいつは最適だな」
「隠しスキルがあるのはほぼ確定ですからね」
少女のやることなすことすべてに、強運の影と、不運の足音がある。
「勇者の恩寵」。
勇者の行う行動、行く先々で、まるで導かれるように全ての事象が揃う。勇者の都合のいいように、向こうから飛び込んでくる。
一万個のビー玉のなかから、何の気なしに、ふと、たったひとつぶの本物の宝石をつまみあげるような「偶然」。
囮捜査では、囮が釣れなければ意味がない。最後のところは運がものをいう。
そうした「偶然」に左右される案件において、少女以上の適任者はいない。
この広い町で、犯人は「偶然」こちらの方に来て、「偶然」少女を見かけるはずだ。そして、「なんとなく」声をかけてみようと思うはずで、結果、「偶然」、すべてはうまくいく。
今日中は難しいかもしれないが、一週間も同じことをすれば、必ず、釣れるだろう。
偶然は、彼女の味方だ。
ちなみにそれを勇者の恩寵と名付けたのは、マーラである。
犬も歩けば棒に当たるではなく、少女が歩くと厄介事に巻き込まれる、少女が勇者になって以来、その頻度は明らかに激増した。
その、厄介事遭遇率のあまりの高さに、マーラは仮説を立てた。
およそ、世の中の勇者と呼ばれた人々が一様に勇者になった後も華々しい事件をいくつも解決しているのは何故か。
当たり前の話だが、事件を解決するためには、事件がなくてはならない。そして、そんなに事件に遭遇するものだろうか。
星の数ほどいる冒険者の中で、「たまたま」そういうのに出くわしたごく一部の人間が勇者になったのだ、という意見が一般的だが、違うのではないだろうか。
多くの事件に巻き込まれているのは、勇者にそういう隠しスキルがあるのではないか―――と。
もちろん、仮説である。
が、このパーティ内ではすでに、それは、「定説」となって久しい。
それからもしばらく窓から見守っていると、どんどん辺りは暗くなってきた。
夕暮れから夜に変わるこの一刻は、瞬きの前と後で暗さが違うほど目まぐるしく陽が落ちる。
そして、この時代の夜は、一寸先も透かし見ることもできぬほどに、濃い。
半魔族のダルクは夜目がきく。
マーラも、夜眼(ナイトアイ)の魔法で大丈夫。
少女に至っては、気配察知のスキルで目なんて無くたって縦横に枝の張り巡らされた森のなかを全力疾走できる。
しかし、普通の村娘なら上げた手のひらさえも見えない真の闇が迫っているなかで、橋の欄干にもたれていることはない。
なので、少女は体を起こすと、夜闇がせまりつつある街並みをとぼとぼと歩き始めた。
時折、天を見つめてため息をつく。なかなか演技達者である。
今日のところはこれで終わりだ。
もう、あと五分もしないうちに町は夜に沈む。その闇に乗じて、この拠点へ戻ってくるだろう。
今日は駄目でも明日には―――と思っていたのだが。
いつまで経っても少女は戻ってこず、しばらく経って、魔術師ふたりは腰を上げた。
「かかったみたいだな」
「でしょうねえ」
ふたりとも、口調はあくまでのんきだ。
予定調和すぎて、あくびが出そうになったのを引き締める。
いかに格下相手でも、戦場では何が起きるか判らない。
勇者が一般兵にぽろっと負けた逸話などいくらでもある。豪傑が、一瞬の油断で遥かに未熟な相手に敗れることも。
―――いい!? ぜったいに油断しちゃ駄目だからね! 何があるか判らないんだから!
いつも、口酸っぱくそれを注意し、パーティ全員の心胆を引き締める少女の声を脳裏に蘇らせ、二人は同時に苦笑した。
「じゃ、行きますか」
「ああ」
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