魔術師組が、少女につけておいた追跡糸(トレーサー)を辿ってそこに着いた時には、全ては終わっていた。
「遅いよー、ふたりとも」
笑いながら少女はいった。……およそ、二十人の男の山の隣で。
魔術師たちはぜんぜんまったく驚かずに歩み寄った。
「これで全部ですか?」
「うん。女の子たちを攫って、売り飛ばしてたみたい。喋れるよう、殺していないから、追及はこの町の警備隊に任せるわ」
その受け答えを聞いて、マーラはあれと思った。
……明るい。
この間から、どうにも落ち込んでいる様子だったのに、今の彼女はにこにこと笑顔が絶えない。
悪人をぶっとばし、難易度の割に高額の依頼を成功させた達成感?
しかし、落ち込みが直ったのならそれはもちろんいいことである。
深く追求することなく、マーラはうなずいた。
「そうですね。じゃ、町長さんと、警備隊の皆さまを呼んできます」
今日依頼を受けて、その日の夜に解決だ。
これぞ勇者の実力、というべきスピード解決だった。
懐も温まるし、リーダーの少女も上向きになったようだし、いい仕事であった……と振り返って総括し、朗らかにマーラは言った。
「じゃ、明日にでもサンローランに帰りましょうか?」
ぴた。
朗らかな顔の少女の動きが止まった。
「え、え、えーっと……もうちょっと、この町にいたいんだけど……」
「それは構いませんが……なにかあったんですか?」
問い返すと、少女は周囲を見て、コリュウにパルにダルクに助けた女の子たちがいる現状を見て、両手を合わせた。
「……あとで話すから。今はきかないで。お願い」
―――そして、マーラがその話を聞いたのは、宿に戻ってから。
とっぷりと夜も峠を過ぎたころのことだった。
「……好きな人ができた……?」
「んじゃないかなあと……」
いつどんなときでも、マーラとコリュウは自分の味方をしてくれる。
そういう確信が少女にはある。
これまでずっと冒険をしてきて、数え切れないくらい危ない橋を一緒に渡って。
誰より信頼している、かけがえのない仲間だ。
そして、こんな相談を持ちかけるのは、コリュウよりもマーラの方が適任だろう。
そんな訳で、少女はマーラに打ち明けた。
「その彼のことが、好きなんですか?」
少女は考えた。
重かった荷物を除いてくれた、この気持ち。
あのとき、自分はとてもうれしかった。
でも、じゃあこれが、恋なのかと問われると……。
「……わかんない」
マーラはしばらく沈思していた。
未来予想図、メリット、デメリット。色々なことを考え、そのついでにパーティメンバーのヘタレ男のことを考えた。
そして、マーラはあっさりと決めた。
「わかりました。じゃあ、しばらくこの町に逗留しましょう。幸い、当分仕事をしなくてもお金に余裕もありますし」
「うん。ありがとう!」
「他のみんなには、まあ、私が体調を崩していてしばらく治療に専念するということで。で―――どうするんです?」
「どうするって?」
「その彼に会いに行きたいんでしょう?」
「うん……」
「事情を話して、身分を打ち明けますか?」
少女は俯いた。
冒険者は、血塗られた職業だ。少なくとも、少女はそうだ。
これまで、どれだけの人間を斬ってきたのか……もう、とうの昔に数えることはやめた。
普通の一般人から見て、冒険者は、「いないと困るけど側にいられると困る乱暴者」といったところだ。
忌避されるのが当たり前。しかも、少女はただの冒険者ではない。
「……ねえ、マーラ。これって恋なのかな? 名前も知らない人だし、よくわかんないの。この気持ちを確かめたいって思ったけど、このまま、サンローランの町に戻って、そのまま暮らしてしまえば――」
「駄目です」
鋭い一声に、少女は口を閉ざした。
マーラは、その緑の瞳で少女を見つめ、ゆっくりと、いう。
「だめです。クリス、恋というのは、きっかけ半分、それを追いかける気持ち半分でできています。今、あなたはきっかけを得た。心の中が、ふわふわするでしょう?」
「……うん」
「でも、その気持ちは、遠く離れて、考えないようにすれば、すぐに消えてしまいます。追って、捕まえて、育てないと、それは恋になりません。だから、胸にときめきを感じたら、追わないと駄目です。恋の萌芽が、そこで死んでしまいますから」
「……うん……」
「好きかどうかわからないんでしょう? 当たり前ですよ。ほんの少し、話しただけなんですから。でも、そのほんの短い会話で、その若者はあなたの心の屈託を、拭ってくれたんでしょう? 嬉しかったんでしょう?」
少女は、こくりとする。
「じゃ、それがどういうことなのか、この気持ちが何なのか、確かめましょう。あなたは、演じ物や講談のような劇的な恋でなきゃ恋じゃないと思っているんですか? そんな恋は、千に一つもありませんよ。みんな、日常の中で感じるこういうときめきを追いかけて、恋に育てるんです」
「―――うん」
少女ははっきりと頷いて、目を上げた。
その青い瞳に、いつも通りの強い光が宿っているのを確認して、マーラは微笑む。
「明日、会いに行ってみる。……ねえ、マーラ」
「はい?」
少女がその時それを聞いたのは、特に理由はない。自分の背中を押してくれた的確な言葉がどこからきたのかと、そんな自然な疑問だった。
「マーラは誰かを好きになったことあるの?」
マーラは一瞬目を丸くして、微笑む。
花の芳香のように、優しさが広がるような笑みだった。
「ええ。ありますよ」
「……そうなんだ」
少女も、そこで、終わりにした。
……マーラの部族は、その半数以上が死に絶えた。そして、生き延びた者のうち、更に半数は、白霧の大陸に戻った。
マーラの恋の相手が、いずこにいるにしても、彼の側にはいまい。あまりに儚く美しい笑みから、そう思った。
マーラは少女の頭をなでると、励ましの言葉を贈った。
「頑張りなさい」
「うんっ」
笑顔で頷く彼女は知らない。知らせるつもりも、一生ない。
深く、激しく、静かに流れる潮流のような。
その幸せを命にかえても守りたい。この胸に満ちる想いを。
―――彼に初めての恋の痛みをもたらした彼女は、それを知らない。
◆ ◆ ◆
マーラが自分の部屋に戻ってすぐ、パルに話しかけられた。
「……なあ。ちょっくら話しておいたほうがいいことがあるんだけどよ」
部屋に、まだダルクは戻っていない。今この部屋には二人きりだ。
内容の予想がついて、マーラは微笑する。
「クリスと話した青年のことですか?」
「え? 知ってたのか?」
「今、彼女から話を聞きました」
「そっか……で、どうする?」
「どうするも、なにも……」
マーラは苦笑する。
「応援するに決まっているでしょう?」
「……でもよ、一般人だぜ?」
パルの懸念も判る。
冒険者、それも大地の勇者である彼女を受け止められるだけの度量があるか。そしてまた、暗殺や誹謗中傷などの、彼女にまつわる様々なリスクを、許容できるか。平凡な一市民が。
「……それは、試してみないと判りませんよ。案外、相手が超弩級の傑物かもしれないじゃないですか」
ものすごく疑わしげな目をした小人に、ついマーラは吹き出す。まあ、一般論からいって、その通りだが。
「大人物、というのは、どこにいるのかわかりませんからね。それに、なにより」
そう、最優先されるのは。
「彼女が、彼を選んだという事です」
「……」
「それに、取らぬ狸の皮算用をしても仕方ありません。相手にも、彼女を拒絶する権利はありますよ。そうでしょう?」
「そら、そうだけどよ……」
相手にも、選ぶ権利はある。それに、少女自身が相手を知って、幻滅して恋が終わることも、あるだろう。
「今は、応援しましょう。彼女の恋が、実るように。だから―――」
指きりげんまん。
二人は協定を結ぶ。
「ダルクには、くれぐれも内緒ですよ?」
「了解!」
かくして、ヘタレ男を蚊帳の外に、話は進む。
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