予定通り、その翌日マーラは熱を出して倒れた。
いつものことなので、仲間は誰も驚かない。
「薬とかいろいろ買ってくるから。悪いけど、コリュウ、パルがいなくなっちゃったから、ここで待っててくれる?」
ここはごく普通の人族の町だ。
人族以外の人間が歩いていたら、目立つなんてものじゃない。竜族なんて論外だ。
そして、隠蔽魔法をかけてくれるパルは現在外出中だ。
少女が頭の上にコリュウを飛ばしていてもサンローランなら「いつもの光景」だが、この町で同じことは期待できない。
「うう~~。わかった」
仕方ないので、コリュウはしぶしぶ頷いた。
「じゃあ、俺が……」
と、お供をダルクが切り出す。
これは、護衛の意味もある。
いのちをねらう暗殺者がぞろぞろいる少女をひとりで町に出すのは、やはり躊躇われるのだ。
しかし、ダルクのその言葉を遮ったのがマーラだ。
「ダルク、あなたには、やってほしいことがあります。残ってください」
マーラがそう言ってダルクを引きとめ、そうして少女は一人で出掛けることになったのだった。
◆ ◆ ◆
ここだけの話だが。
少女の胸ポケットには、こっそりパルが入っている。
ひとりで戦っても無類の強さを誇る少女だが、暗殺者という人種は正面きっての果たし合いからは正反対のところに生息する生き物だ。
万が一の用心に、パルが同行することになったのだった。
「お! そこそこ! そこの角を右!」
「うん」
そうして意気揚々と町へと繰り出した少女の道案内をつとめるのはパルである。
この小人族は、しばしば、ふらりと姿を消す。
そして戻って来た時にはその土地の地理に精通しているのだ。
本日の目的地は、もちろん、メイリーフ通りの、赤い三角屋根の、パン屋である。
少女の格好は……村娘のものだ。
どうしても、自分の素性を言うのは躊躇いがあった。
なんといっても、これはまだ恋にまで育っていない想いだからして、自分が幻滅とかするかもしれないし、実際会ってみたらそれで満足するかもしれない。
あの青年にとっても先日の記憶は「落ち込んでいた女の子を慰めたいい記憶」のはずで、これが恋でないのなら、そのままその綺麗な思い出を壊すことなくお別れしたい。
実はあなたが声をかけた女の子は、鬼より強い、悪人とはいえ無数の人間を殺してきた殺人鬼ですよ、なんて……言いたくないのだ。
少女は手のひらを陽に透かす。
血にまみれて生きてきた手だ。
他人を殺すか、自分と仲間を生かすかの二択で、躊躇いもなく前者を選んで生きてきた手だ。
それを、恥じたことはないけれど……一般の人が、彼女を見て、その勇名を知って、どう思うか、知っていた。
パルの案内は確かで、少女はその店に辿りつく。
パン屋らしく、パンの絵の描かれた扉の前で、しばらく少女は躊躇った。
「……どうしたんだよ?」
少女は、胸の小人に情けない顔を向けた。
「……こわいよお」
「―――ここまで来ておいてそれかよ!」
「だだだだ、だって! 足がすくむんだよ、しょうがないじゃない! どうしてみんな平気なのっ!」
「魔物よりずっと怖くねーだろーが!」
「こっちの方がずっと怖いよー!」
ああもう! とパルは地団太踏みつつもそういやそうだったと嘆息する思いだった。
彼女は、恋愛沙汰に免疫ないんだった……。
でも! どうして! この少女は! こうなのか!
命のかかる戦場において、誰より勇敢に先陣を切り、味方の盾となって被弾するくせに、恋愛沙汰には滅法耐性がない。
「……告白しようってんじゃない。会いに! 行く! だけだろうが!」
「会いに行く時点で、告白してるようなもんじゃないの~~~!」
ま、それはパルも一理あることを認める。
ちょっと道端で話しただけの女の子が、翌日訪ねてきたら、百人中百人の男はこう思うだろう。
―――あ、この子、俺に気があるな。と。
しかも、今回それはどこを否定すればいいのかというほど正解だ。
クリスはあの青年に「気がある」から、訪ねてきたのだから。
「恥ずかしいよ~、怖いよ~」
ついにしゃがみこんで地面に○を描き始めてしまった少女を見て、パルは真剣にこれはほんとうにクリスだろうかと疑惑を抱く羽目になった。
勇気りんりん、命のかかる修羅場を駆け抜ける彼女とは到底思えぬ醜態である。
パルはとうとうしびれをきらした。
「―――どんなに悪くたって、殺されるこたーねえ! お前がいつも行ってる場所に比べりゃ天国だろ、とっとといけ!」
「……パルがいじめる~~」
うっうっうっと泣きまねをしながら少女は立ち上がり、深く息を吸い、止め、拳をドアノブに伸ばし―――向こうからドアが開いた。
「あ、お客さん?」
予期せぬ不意打ち。
扉を避けた少女は思わず硬直してしまう。
扉を開けたのは、昨日の青年だった。
とりたて美形ではなく、とりたて醜悪でもない、人のよさそうな、悪く言えば騙されやすそうな気の抜けた顔をして、鳶色の瞳に、亜麻色の髪をしている。
彼は、扉にぶつかる直前に素早くとびのいて回避した少女を見て目を丸くした。
昨日会った少女については、彼も良く憶えていた。
何故なら──少女の手のひらが、これまで触れた誰よりも固かったからだ。青年の手よりも、父のあの、岩石のような手よりもなお。
「……あれ? 昨日の女のコ?」
「あ、は、は、はい! そうです!」
うわあ。
クリスは自分の反応に戸惑った。
自分でも、頬に朱が立ち上るのが、わかる。
なんたることか。
「あ、あの、その、あの、昨日は、どうもありがとうございました。そ、その、昨日は勇気を出したおかげで仕事もうまくいきまして」
そこまで言ったところで、彼は笑った。
「よかった」
その笑顔に、胸がじんと熱くなった。
そして、また、ぽんと頭に手のひら。
「がんばったね」
うわあうわあうわあうわあうわあ。
駄目だ。駄目だ。とっても駄目だ。
恥ずかしくて、死ぬ……。
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