そんな様を見れば、まあぴんとくるもので。
「倅は、どこでお嬢さんと会ったんだい?」
「あ……偶然道端で声をかけられて、少し、雑談したんです。……近くまで寄ったので、どうしてるのかな、と思ってお礼を言いに……」
答えながら、少女は決心していた。
実直なパン屋の先代主人。そして、パン屋を継いだ彼。
……町で、パン屋の主といったら、実は結構たいしたものだ。
町で店を起こすには、いろいろな権利を買わなければならず、特にパン屋は組合の力関係が強くて、新規参入者を厳しく拒む。
だから、もし誰かがパン屋をやりたかったら、既にパン屋をやっている人間から、『組合権』を譲ってもらわなければならないが、至難の業だ。
そして、パンは、誰もが毎日口にする主食である。
絶対に落ちぶれることはない、収入が約束された仕事―――そんな商家の主である彼が、身寄りのない一介の村娘に心惹かれるなんてありえない。
とっとと退散して、後は時の風化がこの気持ちを過去のものにしてしまうのを待とう。
そういう後ろ向きの決心を固めた時、カランと木彫りの鈴が鳴って、扉が開いた。
お客だろうと、少女はカウンターから一歩退き、その動きのまま、来訪者の隣をすり抜けて帰ろうとした……のだが。
一般人にも視認できる程度の、普通の早さで動いたつもりだった。
そして、こんな日常の動作では、誰もが無意識のうちに体を寄せて、すれちがえるようにするのだが、その来訪者は店のど真ん中で立ち尽くし、おかげで少女も足を止めざるを得ない。
「……あなたは……」
少女はげっとなる。
青黒い肌―――魔族の少年だ。
珍しい……人族の町で、魔族は忌避される対象なのだけれど。
そして、魔族だという事は……。
彼は上気した頬で少女の方に身を乗り出してきた。
「あなたは、なんというお名前ですか? 僕は、オースティンと申します。あなたほど綺麗な方を初めて見ました。どうかお名前をお聞かせください!」
やっぱりか!
少女は思いっきり心中で叫んだ。
魔族の子どもは、まだ自分の情動を制御できない。
少女を見て、無意識に込み上がる好意を、大人なら「力への好意」だと認識できるのだけど、子どもの場合、憧憬や恋と直結しているのだ。
一歩詰め寄られ、少女は一歩下がる。
しかし、狭いパン屋の店内だ。
下がっても、すぐに追いつめられる。少女は腹をくくった。
にっこりと微笑んで言う。
「……坊や、いくつかな?」
「十二です。僕は確かに子どもですが、父は貴族の位にあります。僕はあと五年もすれば一人前になり、父の財産の一部を引き継ぎます。僕の父は荘園をいくつか持っています。あなたと結婚するためにあなたのご実家にその一つを寄贈してもかまいません!」
「え、えーと、いやその、落ち着いてね?」
カウンターから、先代の、物凄く面白がっている目線が注がれている。
……そりゃ、自分だって同じ立場なら面白がるだろうけど!
「あのね、坊や。私は、人族なの。坊やは魔族でしょ。結婚なんてできないわ」
「どうしてですか? 父は説得してみせます!」
「……いや、だからね、落ち着いて。キミと私は、ついさっき会ったばかりでしょ。いきなり結婚もなにもないし、だいたい、キミ子どもだし。お父さんだって、人族と結婚なんて、反対するわよ」
魔族と人族は混血できる。
混血できるからこそ―――身分の高い魔族、名門と呼ばれる魔族は、純血にこだわる者が多い。(ただ、これは一部の名門貴族の考え方だ。魔族は弱肉強食をつきつめた考え方をしている。力さえあれば、というのが、魔族の基本的考え方である)。
「ち、父はなんとか説得しますから……」
「とにかく! 私は、あなたと結婚する気はない。わかった?」
少女は威圧を込めて、自分の胸ほどの身長の少年を見据えた。
力量差を背景に少女がかけたプレッシャー。
訳が分からぬままに、それでもそこにある威圧にねじ伏せられた少年は、仕方なく頷いた。
「……わかりました」
魔族の町に行くときは、少女は常に冒険者とわかる格好で、ほとんどの場合コリュウを肩に乗せている。
冒険者で強くてだからこんなに好ましく見えるんだ―――と頭でわかっていても、それでも、魔族の子どもたちは少女になつく。
彼の場合、そういう目に見える理由がない。単なる村娘に急激な好意を抱いてしまったわけで、これが一目ぼれというものか! と情動の理由を誤解したのだろう。
……いきなり求婚されたのはさすがに初めてだが、似たような事は何度もあった。
その時またカラコロンと扉が開いた。
そちらに目をやった少女はびっくりする。
「大丈夫ですか!?」
少女は駆け寄った。
パン屋の若主人は、出て行った時とはまるで違った格好で帰ってきた。
服に泥がこびりつき、よろよろと右手で左腕を抱えている。
少女はざっとその状態を診察した。
「腕……どうしました? 折れてますか?」
「……わからない。動かすと、痛くて……」
「ちょっと痛むかもしれませんが、さわりますね」
少女が少し力を込めて触診すると、アランの眉間に力が入った。
……骨の状態は、大丈夫だ。折れてはいない。
小さなヒビがあるかもしれないが、それはここではわからない。
「よく効く傷薬を持っているんです。塗りますね」
懐から出した小さな木の容器には、確かに軟膏が入っている。森の精霊族のマーラが直々につくった―――「傷薬」である。
創傷には効果抜群だが、打ち身痣骨折にはあまり効果がない。
少女はその傷薬を塗りながらこれぐらいならいいかと、こっそり技能を使った。
被傷代替。
前衛職の定番技能ともいえる。後衛が負った傷を、前衛が肩代わりする。
一般人の骨のヒビなど、少女にとっては打ち身ていど、しかも十秒ほどで完治するものに過ぎない。
打たれ強さと回復力は、前衛職の必須条件だ。
そんなこととは知らないアランは目を見張った。
「痛みがなくなった……! すごい、よく効く薬だね……!」
「怪我なんてどうしたんですか?」
「あ、えーと、それが、ドジってね……。転んで、とっさに手を突いたんだけど、そのときにヘンな突き方をしたせいで腕の中の骨がぴきっと」
「気をつけてくださいね」
「うん。……雨で足が滑ったのかなあ? 何もないところで、急に足がもつれてね」
「……」
なんとなく、いやーな予感がした。
ひょっとしてひょっとしてひょっとすると……。
「それより、君のお陰ですっかり良くなったよ! ありがとう!」
アランは満面の笑みで少女の手を握り締めた。
その瞳に表れた好意の色に、少女はまたも顔に朱が昇るのがわかった。
少女の誤解や見間違いでなければ、これは……。
「ええと、はい。ありがとう、ゴザイマス……」
好意を持っている異性に好意を寄せられることにまったく耐性のない少女は、あたふたとお礼のお礼を言うという珍妙なことになっていた。
「―――アラン。いつまでその女性の手を握っている」
思いっきり不機嫌そうな声がかかったのは、その時だった。
振り返るとそこにいたのは魔族の少年で、少女をそっちのけにして、顔見知りらしい二人は話を始める。
「アラン。この女性は誰だ? アランの知り合いなのか? 名前は何という?」
「あー……いえ、俺も知りませんが……。あの、ぼっちゃま? どういう……?」
止めようとしたが遅かった。
魔族の少年は胸を張り、堂々と言った。
「私は彼女に一目惚れをした! 今求婚して断られたところだ!」
「―――」
「―――」
カウンターの内側で、先代が、盛大に吹き出す声が響いた。
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