少女は額を押さえた。
少年の方を向いて、はっきりと、言う。
「あなたと結婚する気はないわ」
「それはあなたが僕のことを知らないからだ! 知ってくれればきっと……!」
そういう少年は、自分の身分と財に自信があるのだろう、結構なことだ。
子どもだが、良家の嫡男で十二ともなれば、そろそろ縁談や、言いよる相手が出てきてもおかしくない年頃である。
だが、少女は、そんなもので心動かされた事は一度もない。
「あなたが、どれほど偉い貴族だろうと、王族だろうと国王だろうと、私はあなたと結婚する気はない」
少女は冷気すら漂わせて断言した。
「え……」
泣きそうな顔になった子どもに、ちょっとばかりキツかったかと少女は少し反省した。
「あのね、さっき、初めて会ったばかりでしょう? 結婚なんて考えられないわ。それに、あなたの親御さんたちだって、絶対反対するわよ」
……そのとき、アランが少女の服をそっと引いた。
小声で囁く。
「あのー、その子は、この町の近くに荘園を持っている貴族の嫡男で……」
少女は少し表情を変えた。といっても、アランが思ったのとはまるで違う方向に。
同じく、小声で囁く。
「私が、ここで手ひどく断ったら、あなたの立場が悪くなる?」
少女の知り合いということで、アランにまで敵意が向くと、町で暮らしにくくなるというのなら対処を考えないといけない。
アランは戸惑った顔になった。
「あ……いえ、そういうことは、ないけど……。でも、なんていうか、玉の輿が……」
少女は頬を掻いた。
「玉の輿、ねえ……」
玉の輿? 何それ?
というのが、少女の偽らざる本音だった。
玉の輿なんて、そんなものに乗るより自分で稼いだ方がずっと早いではないか。
それに……言いたかないが、魔族の貴族だから強い事は強いだろうが、少女の方が強いだろうし、ということは魔族社会の中では少女の方が重く礼をとられて尊重されるだろうし、そもそも魔剣一本売るだけでたぶんこの少年の家の資産を越えるだろうし……、というわけで、ここにいる人間の中で、少女とパルしか知らないが、え、玉の輿ってどこが、という状況なのだ、今。
少女は少年の方を向いて、キッパリハッキリ言った。
「ごめんね、でも、私は、玉の輿に乗りたいって思ったこと、一度もないの。私は、財産を結婚の判断基準にはしない。財産目当てで結婚する気はないの。一生、何があってもね」
その爽快な啖呵に少年は顔を歪め、アランは目を見張り、先代はほうと感心した顔になった。
「……わかりました。でも、諦めません。どうか、僕のことを知ってください。機会を、下さい」
「十年経ったら考えてもいいけど、今は駄目」
力への好意を、恋と履き違えている子どものたわ言など、まともにとりあっていられない。
少年は、最後の頼みもすげなく断られ、ひどくしょげた顔で帰っていった。
少々胸は痛むが仕方ない。
錯覚の恋など、とっとと断ち切るに限る。
わずかな希望も残さず、断ることが最良の選択だと、少女はそう信じていた。
少年が出ていった後の店内で、ぽつりとアランがたずねた。
「……魔族が嫌いなの?」
予想外の質問を受けて、少女は目を丸くする。
「え? べつに?」
首を傾げながらの、何の含みもない、無邪気な答えだった。
よく、魔族の青黒い肌が奇異で気持ち悪くてしょうがない、という声を聞くが、少女から見れば慣れの問題だ。
人族にも肌が黒い人種がいて、そういう肌を見たことがなかった者が抱く感想と、魔族のそれは、よく似ていた。
見慣れりゃ普通に見える、小さな頃から見慣れていれば、気持ち悪いなんて思わない、肌の色なんて、そんなものだ。
少女も慣れた。
もう魔族の青黒い肌を見てもちっとも何とも感想がないあたり、慣れの力というのはすごい。
少女のあっけらかんとした裏のない答えに、アランは自分の思い違いに気づいて答えに困り……、別の話をした。
「あの子の一家、一年に何回か、この近くに持っている荘園に滞在するんだけどね、あの子は町に下りてくるんだ」
「珍しいわね。護衛とかいないの?」
いかに魔族でも、多勢に無勢。
人族の町で、わずかなきっかけで集団私刑が始まりでもしたら、命が危うい。
はああああ……、と、アランはため息をついた。
「そうなんだよ、そこなんだよ。いくら魔王協会統一法があったって、やっぱ魔族だし気持ち悪いって思う人いるだろ? あの青い肌だし。でもさ、あの子、そういうのほんと判んないみたいで、この国は魔王協会統一法に批准しているんだから、人族の町の礼儀さえ守っていれば危険があるはずないって堂々と来ちゃうんだよ」
「……それはそれは……」
少女は含み笑いしてしまう。無謀で考えなしの行為だが、そういう少年特有の青臭い若さが、少女は嫌いではなかった。
「でさあ、あの子に何かあったら、すっごいマズいことになるだろ? だからさ、あの子がこの町に下りてきたとき、時間が合う限り僕がいっしょに付き添うことにしてるわけ」
「……あ、それであの子、ここに来たの?」
「たぶんね。……悪い子じゃないよ。ホント。それは保証できる。買い物したらちゃんとお金も払ってくれるし、魔族の貴族だからって威張ったりもしてないし」
アランは、窺うように少女を見た。
少女は、その目線を受けて、ん? と首を傾げる。さすがに、その意味はわかる。
「悪い子ではないなーとは思ったけど、まだ子どもじゃない。おまけに会って数秒で求婚だよ? ちょっと無理」
「……会って、数秒?」
「ええ。ついさっき、ここでばったり会って、で、いきなり」
先代もうなずく。
「そうそう。俺も見てた。驚いたぞー」
「……そりゃ、頷けないよなあ……」
アランもそれを聞いて、考えを改めた。
いくらなんでも数秒はあんまりだ。
おまけに相手は魔族で、こっちは人族。
「一本気な子だから、コロッと気が変わるとかはあんまりありそうにないけど……」
少女はくすくす笑って手を振った。
「あの年頃の子どもの好きです結婚してくださいを信じていたら、世界中の女の人は重婚だらけになるわよ。―――あなたも、子どものころ近所のお姉さんに憧れたりしなかった?」
アランは力強く頷いた。
「あ、あーあー、やったやった。そうだよなー、俺もやったよ」
「でしょう?」
そう微笑む少女の黒髪は艶やかで、腰のあたりで揺れている。
日焼けした健康的な肌と、大きな青い瞳。
その青い瞳は感情豊かで生き生きとしていて、とても魅力的だ。笑みを含んだその目に見つめられると、心拍数が急に上がる。
―――どうしよう。
アランは困った。可愛い。……本気で可愛い。道端で可愛い女の子を見て思う可愛いじゃなくて、ほんとうに、「可愛い」。
―――本気になりそう。
今の毅然とした啖呵にも感心したし、さっき傷の手当てをしてくれたときは、まるで痛みが吸い取られるように急に消えていった。(実際そうなんだが)。
好みの女の子に手当てされるだけで傷の痛みが飛ぶとは、自分は何て単純なんだと感動すらしたもんである(いやだから以下略)。
しかしそれを認めるのはこそばゆく、遠回しな言い方になった。
「ちょっとばたばたしちゃったけど……、ごめん。それで、どうしたの?」
何の用で訪ねてきたのと問われて、少女は返答に困った。……あなたの事が気になって、なんて言える性格では毛頭ない。
結局、迷った挙句に、さっきと同じ言葉を口にした。
「いえ、用っていうほどの、用じゃないんだけど……、近くに用があったから昨日の御礼をって、ほんとにそれだけで」
「……それだけ?」
「ええ」
少女の言葉からはさっきの一幕ですっかり敬語が取れていたが、アランは気にする素振りもないので、少女はまあいいかと通すことにした。
パン屋の若旦那は、小首を傾げて、たずねた。
「てっきり、僕に会いに来てくれたんだと思ったんだけど―――、ぬか喜び?」
ど真ん中直球で聞かれて、少女は思わず思考が停止してしまった。戦闘時ならどんな非常事態が起こっても勝手に体が動くのに。
「……違うの?」
だから、そう、じいっと目と目を合わせて聞いてこないでほしいのだ!
何と答えていいのかもわからなくなってしまって頬はフライパン、頭は空回りになってしまうのだから!
硬直して答えられない少女を見て、やっと少女が男慣れしていないということに気づいてくれたらしく、彼はすっと視線を外して、距離を開けた。
「君の名前、そういえば聞いてなかった。なんて言うの?」
「ク、クリス……」
思考停止状態の彼女は、問われるまま本名を言ってしまった。
普通の村娘は姓を持たない。
「クリス……」
大切なものを確かめるように、彼は口中でその名前を転がす。
それだけで頬が更に熱くなった。
少女の胸ポケットにいたパルはおおと身を乗り出した。
アランの表情、それは、さっきの少女のものとそっくりだった。
「クリス、ちょっと聞きたいんだけど―――」
「は、はい?」
「付き合っているひと、いる?」
怪訝な顔で、少女はぷるぷると頭を横に振る。
「結婚してたりとかする?」
もう一度、ふるふる。
「よかった」
アランはふわりと笑う。
とうの昔にパルは話の流れを悟っていた。―――というか、この時点で悟らないのは、世界でも少女ぐらいのものである。
いくら親でもこんな場面にいちゃ悪いと、先代はカウンターの奥に引っ込んだ。
それを横目に見ながら、アランは切り出した。
「じゃ、僕と付き合ってくれないかな? もちろん―――結婚を前提に、真面目に」
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