パルが宿に戻った時、部屋の空気はどんよりしていた。
原因は―――二つある寝台のうち入口から見て右側の寝台の中央で、とぐろを巻いている竜である。
竜族の表情は判りにくいものだが、さすがにコリュウとは長い付き合いなので多少はわかる。
コリュウはいじけていた。
パルは視線をエルフのマーラに移す。
寝台の敷き布をよじ登り、ベッドの上で腰掛けているエルフの膝に昇ると、そこでやっとマーラは小人に気づいた。
口元を彩るのは、森の精霊族の名にふさわしい、柔らかな笑み。
「ああ……おかえりなさい」
「ただいま。……コリュウに何言った?」
「ちょっとばかり、あの子の幸せのために心を広くしなさい、とね」
「ああ……」
やっぱりか、と思う。
予想通りの答えだ。
クリスがどこかの男と結婚するにあたって、どうしても無視できない問題が、コリュウである。
生後六年……つまり六歳という年齢を考えれば仕方ないが、コリュウはクリスにべったりで、起きている時も寝ているときも終始一緒である。
あの少女の初めての恋を応援しているマーラが、手を打たないはずがなく。
パルたちが出掛けている間に、おはなし、したのだろう。
「あの子は、コリュウが泣いて我が儘言って頼んだら、ぜったいに勝てませんから」
「そうだなあ」
それには、パルも同意する。
コリュウがなつくのと同じぐらい、少女もコリュウを溺愛している。そう、自分の子どものように。
少女が注ぐ愛情があったから、コリュウは健全に健やかに成長してきたともいえるのだ。
だから、子どもの必殺技、
お母さんはその男の人と僕とどっちを取るの!?
をやられたら、少女は負ける。間違いない。
コリュウを取って、芽生え始めた気持ちに蓋をして、枯死させてしまうだろう。
出来かけの恋など、栄養をやらなければ、すぐに消えてしまうものだ。
―――だからこのエルフは、コリュウに、釘を刺したのだ。
「……で、納得したのかい?」
「頭では納得しても、気持ちがついていかない、ってところですね。仕方ないですよ。まだ生まれて六年なんですから」
そして、不貞腐れて寝ているらしい。
マーラはパルに手を差し出し、パルはその手によじ登る。
目線を合わせると、マーラは尋ねた。
「……それで、どうでした? 首尾は」
「……見てただろ」
「まあそれは。コリュウもなしに外に出す以上は、ね」
自分のやっていることが褒められたものでないことを自覚しているマーラは苦笑する。
四六時中少女にひっついているコリュウは、護衛でもある。寝ている時に一緒なのもそうだ。
竜族の気配察知能力はなかなかに優秀で、少女の感覚を狂わすことができる者がいても、竜族の感覚を狂わす者がいても、その両者を同時に誤魔化せる者は、そうそういない。
そのコリュウがいればとりあえず一応の安心はあるが、装備もない、お供もいない、いるのは戦闘能力がないパルだけ、なんて状態で外に出して、万が一の可能性を排除できず、マーラは探索糸(盗聴機能付き)を少女につけていた。
魔力を持たない少女は、そういった魔法関係にひどく弱い。(だから、敵の術者に同じことを仕掛けられないよう、マーラは気を配っている)。
まして、魔法の熟練者であるマーラが仕掛けたものを察知なんて、とても無理だ。
「声は伝わりますが、視覚までは。詳しい話を聞かせてください」
「その前に。あの若旦那、転ばせたのあんただろ」
「はい」
……あっさり頷かれて、パルは表情に困った。
「あの子が技能を使うかどうかは賭けでしたが、まあ、使ったら惚れてくれるかなあと」
「……まあ、いいけどよ。結婚を前提としたマジメな交際を若旦那が申し込んで、押されて勢いでクリスは頷いた」
マーラは唸った。
「……やりますねー。あの子相手に押しの一手でそこまで持ち込みましたか」
「ドトーの追い込み? って感じで、クリスもうっかりつられて頷いたみたいな感じだったな。で……、聞いてたなら知ってるだろうけど、なんか、魔族の子どもがいきなり出てきたんだよな」
エルフはさらりと言う。
「少年の家については調べましたよ」
「…………いつもながら手の早いことで」
マーラの耳となる魔法生物を放って、情報収集したのだろう。
「父親は伯爵ですね。魔族の爵位システムっていうのは、物凄く独特でして……知ってますか? 私も、あの子とパーティ組むまで知らなかったんですが」
「知らん。どんなふうに決めるんだ? まさか勝ち抜き戦とかか?」
なんせ、魔族の王を決めるやり方がアレである。ひょっとしてその方法を下の人間も踏襲しているのでは、と考えたのだ。
「近いですね。魔族は魔族なりに、より強い仲間を生み出そうと昔から研究し、画策していたんですよ。そして、出た答えが、『強い両親から生まれる子どもは強くなりやすい』」
「…………まあ、色んな種族で適用されてる考え方だーな」
古来から、優生論は根強い。
強く美しく優れた者から生まれた者は、そうでない者から生まれた者より、優れた人間になる確率が高い―――そういう、考え方である。
「はい。そこで、魔族は、一定以上の強さの者に、貴族の称号を設けたんですよ。そして、強さでその称号を引き継いだ。わかりやすく言うと、子どもが親の称号を継ぐには、強くないといけない」
「なるほど」
「そして、強ければ平民でも貴族の仲間入りをできる、貴族との婚姻もできる、原則として、貴族と平民との結婚は禁止です。貴族制度そのものが、貴族同士で結婚して、より強い子どもをつくろうってものなんですから」
「――じゃ、いくら強くたってクリスはムリだろーが!」
「……何事も、例外がありまして……」
マーラはため息をついた。
「あの少年の父親とクリスが会ったとします。どうなると思います?」
「………………うわ。ちょっと嫌な想像が」
「奇遇ですね、私もです。魔族は一事が万事、強さがすべてです。強けりゃ横車も通ります。あの魔王だって、クリスに求婚したじゃないですか。反対していた親がコロッと意見を翻して結婚賛成とかになりそうで怖いです。ま、クリスにその気はまるでないようなんで、それはいいとして」
マーラはそこで話を脇に置いた。
「その魔族の少年と、パン屋の若旦那は、年の離れたいい友人関係みたいですよ」
「ああ……確かにな。魔族がひとりで町を歩いてりゃーそりゃあ危険だが、一人でも人族が隣に並んでいれば、だいぶ危険は減るからな」
「あの少年はそれを狙っていたんじゃ、とも思いますがね」
「どういう意味だ?」
「魔王協会統一法で、みだりに人間を殺せませんが、相手から襲われたとなれば話は別ですから」
「……」
マーラは、片頬だけで笑ってみせた。
「あの少年、継嗣だそうですよ。つまり、魔族の中で、貴族の称号を名乗れるほどの力がある、ということです。力自慢の無鉄砲で高慢な貴族の若君が、人族相手に力試し―――ありえそうな話じゃないですか。ま、町に初めてきたのはもう五年も前だそうなので、もしそうだとしても、その気はなくなっているでしょうが」
「……もしその想像が本当だとしたら、自分が付き添う事で馬鹿な真似をやめさせたのが、あのアラン……てか」
「そういうことになりますね」
パルは口笛を吹いた。
「下手すりゃ大量虐殺になりかねんのを止めたってか。やるじゃねーか、パン屋の旦那」
魔族は、種族的傾向として攻撃魔法に優れる。
貴族の継嗣として認められるほどのとなれば、子どもでも、この町を半壊させる規模の魔法を使えて不思議はない。
「悪意は、善意に弱いですから」
マーラがぽつりと言った言葉は、重かった。
そう言えば、とパルも思い出す。―――マーラのいた部族もまた、人族への復讐を企てたことがあるのだ。
それを止めたのは、力でもなく、説得の言葉でもない。ただの、平凡な村人たちの優しい思いやりだった。
パルもそれを何度か見てきた。
善意は、圧倒的な悪意の前に、儚くか弱く散る。温かな善意が、圧倒的な質量の悪意の前に、踏み砕かれて無になるところを、何度も。
―――けれども、同時に、悪意がたった一言の優しい言葉で砕かれるのも、見たのだ。
「彼は、想像もしていないでしょうね。無鉄砲で無謀な魔族の少年を心配して付き添ったことが、自分の住む町すべてを救ったなんて」
魔族の貴族の幼い子どもの思考などたやすく想像できる。
魔族は力こそ正義。つまり、翻れば、弱い人族など十把ひとからげで見下していた。
そんな人族たちをいたぶってやろうと町に下りて、ところがどっこい。心配性の気のいい若者が少年を心配して行く先々についてきた。
そうして関わりを持ってみれば、幼い心は可塑性に富む。人族もまた、「人間」であることに、彼は気づいたのだろう。
「クリスを任せても、大丈夫そうなやつか?」
「身辺調査は一通り終わりました。ま、何も問題なかったです。……あの子が、幸せなら、私はそれで構いません」
マーラは寂しげな、遠い過去に置き去りにした忘れ物を振り返る顔になった。
パルは、深刻な同情を抱きつつも、彼の矜持を考えて口には出さなかった。
マーラは、己の存在にかけて、言わないと決めているのだ。それを覆せるのは、本人だけだ。
彼の胸には重い楔が突き立っている。死した半精霊族の子どもが、彼の想いを殺す。
それが、遠い日に一人の子どもを苛めぬき、見殺しにした、代償だった。
「あと……町長夫人にはすでに、『昔の友人の子どもで、親が亡くなって家で勤めている孤児』について問い合わせされたら適当に答えるように言ってありますが、念押ししておきましょう」
そういう素性を作ったのは、囮捜査の関係である。
誘拐組織は、女性を攫う時、後腐れのない相手かどうか、調査して攫っているかもしれない。
だからもし誰かが尋ねてきたら、確かに家にそんな子はいると、そう言ってくれと、あらかじめ口裏は合わせてある。
いろいろな方面から、少女の為に手配しているマーラの横顔をパルはじっと見て、聞いた。
「ダルクはどうする?」
「もちろん、釘を刺しますよ? どう考えてもコリュウの方が優先順位高かったので後にしましたが」
コリュウに泣いて頼まれたら少女は断れないが、ダルクに頼まれてもさして気にしないだろう。
でも、パルは知っている。
「―――えっと、この間、ダルクに協力するとか言ってませんデシタカ……?」
「やだなあ、パル」
マーラはにっこりと、清らかな笑みで答えた。
「私が、ダルクの意向とあの子の意向、どっちを優先すると思っているんです?」
→ BACK→ NEXT
- 関連記事
-
スポンサーサイト
Information
Comment:0