その日、少女とパルが出掛けたあとで、伏せっていたマーラはコリュウを呼んだ。
「なーに? マーラ」
ぱたぱたと飛びながら、コリュウはマーラに尋ねた。
「すごく大事な話があります。ちょっとその寝台の上に座ってください」
「うん。なに?」
コリュウは滑るように羽根をたたみ、前脚と後ろ脚を揃えてちょこんと寝台の上に立つ。その様は、鳥類が枝にとまる時によく似ていて……。
―――あの子はコリュウがこのポーズをとると、かわいーって叫んでよく抱きしめてたなあ……。
確かに、飛竜がその巨大な翼を畳んで、ちんまりとしている姿は可愛いと思う。コリュウは翼が大きく、尾が長いので大きく見えるが、両方をしまいこんだその姿は小型犬並みに小さくなる。
「クリスに関わることです」
さっと、コリュウの表情が変わった。
「クリスの?」
「ええ。彼女の一生に関わるとても大事なことで、あなたにしか、お願いできないことです。クリスの為に、力を貸してくれますか?」
嘘は言っていない。嘘は。
「もちろん!」
コリュウは即答する。
クリスべったりのこの竜族は、クリスの為なら何でもする意欲まんまんだ。
「暁の竜騎士団が、昨年姿を消したのは知っていますね?」
「うん。もちろん。僕らと同ランクの冒険者なんて、そうそうないもの。知り合いだし」
大陸最高峰、と呼ばれている自分たちだけれど、そう呼ばれているパーティはこの大陸に、他に四つある。
……いや、三つか。
この広い大陸で、彼らはお互いのカバーできる領域が重ならないよう、点在していた。
それでも大陸は広いため、彼らの手がまわらない場所は多い。
少女たちも、本来こんな誘拐事件なんて木端仕事を請け負うパーティではないのだ。
この地域全域で、他の冒険者がこなせない高難度依頼を持ち込まれる先、いわば最後の駆け込み寺のような存在だった。
「あれだけ高レベルのパーティが、痕跡一つ残さず消えるなんておかしい話です。ですが……向こうのリーダーも勇者の称号持ちなので、とんでもない事態に巻き込まれた可能性は、低くないですね」
勇者の恩寵は、勇者の称号の所有者に、幸運と釣り合うだけの厄介事を呼び寄せる。
これは、もちろん少女に限った事ではない。
他の勇者にも聞き取り調査して確認済みだ。
彼らも、自分たちの厄介事吸引率の高さを訝しく思っていたようで、マーラの推理を聞いて納得していた。
「暁の竜騎士団――彼らがどこに行ったのかは、わかりません。ですが、ある日忽然と姿が消え、一年以上たった今に至るまで、その行方はようとして知れない……。生存は、絶望視されています」
遠方に位置するパーティだが、交流はそこそこあった。
暁の竜騎士団は、構成員は人族で占められていた。
そして、熱心に少女とコリュウを勧誘してきたのである。理由は―――リーダーが竜好きだから!
いやあホンマものの竜使い、初めて見たぜーと、いい年して子どものようにはしゃいでいた暁の竜騎士団は、少年期に竜に憧れ抜いた少年がそのまま成長して作ったようなパーティだった。
エンブレムは竜。
装備にも竜の紋章。
パーティ名にも竜。
……まあ、マーラも、竜好きの冒険者が少なくない……というより、ほとんどの冒険者は竜好きだということは認める。
それが高じて冒険者になり、大陸最高峰のパーティを作りあげたことについてはもはや呆れを通り越し、感嘆の吐息しか出ない。
いやはや、好きの一念はすごいもんである。
そんなパーティが、竜使いで冒険者の少女を見過ごせるはずもない。熱烈に勧誘したのである。
少女としても、もし、冒険者稼業を始めてすぐ、この辺りに暁の竜騎士団がいたら、加入していただろう。
だが、彼らの位置は遠く離れていて、そんな遠方にまで届くほど少女の勇名が高まり、暁の竜騎士団が少女の噂を耳にしたときには、遅かった。
その頃には、少女には、面倒を見なければならない異種族が集う町を抱えていた。サンローランである。
異種族にその町を紹介した責任、元から住んでいた町人に、移住させてもらった異種族との橋渡しをする責任があった。
暁の竜騎士団に加入し、あの町を遥か遠くに置き去りにするわけにはいかなかったのだ。
一方の暁の竜騎士団も、これまでずっと地元の最後の頼みの綱として活動しており、その当時の少女たちよりよほど人々の信任厚いパーティである。
地元に根づいていて、こっちに引っ越してくる訳にもいかず……仕方なく引き下がったのだった。
ちなみに、その時コリュウが「竜族と交渉すれば?」などといらんことを言ったおかげで、とある竜族に会いに行くハメになったのは別の話である。(交渉は不調に終わった)
「……あのおじさんたち、死んじゃったんだね……」
「おそらくは。―――食われていないといいんですが」
コリュウはびくりと体を震わせる。
人族の高レベルパーティのメンバーが死亡したとき、必ず、決まってといっていいほどある噂が流れる。
魔王協会統一法を破って、どこぞの魔族が狩ったらしいぞ―――と。
実際、根も葉もない話ではないのだ。
少女たちも、人食い目当ての魔族から何度も襲われている。すべて返り討ちにしてきたが。
魔王協会統一法ができて以来、公然と行っていい人食いはただひとつだけ。
魔王に挑戦し、失敗した人族を食べることだけだ。
クリスは、本当に、危ないところだったのである。
あの魔王が奇特で助かった……。
「彼らの肉を魔族か、あるいは能力吸収型魔物が食ったら――悪夢ですね」
少女と知り合い、また、彼女と互角の戦士を何人か知り、マーラも人族という種族の強さについて、開眼している。
魔力もない、力も弱い。
でも―――強い人族は、ほんとうに、強いのだ。
少女をふくめ、人族の高レベル戦士たちは、化け物ぞろいだった。
そんな彼らの力がどこかの魔物に吸収されているなんて、想像するのも恐ろしい。
「うん……怖いね」
「いつか、あの子にも同じことが起こります」
コリュウの動きが止まった。
愕然と、こちらを見やる、竜族の大きな瞳。
極上の硝子のように澄んだ水晶体と、その奥の金色の瞳。
「コリュウ。私は、怖いんです。負ける事がじゃない。死ぬ事がでもない。あの子が―――負けて、穢されて、食われることが」
マーラは精霊族だ。
コリュウは竜族だ。
ダルクも半魔族。
パルも小人族だ。
このパーティの中で、人族は、あの少女しかいない。
彼女が食われ、その力が誰かに奪われる事を思うと、眩暈がする。
「で、でもっ。クリスは強いし、ボクも、マーラだってっ。大丈夫だよ! 僕たち強いんだからっ!」
マーラは哀れみに似た、苦痛の表情を浮かべた。
「まだそんなことを言っているんですか? ついこのあいだ、私たちは―――全滅したじゃないですか」
コリュウは、反論の言葉もなくしてしまったようだった。
こんな稼業だ。少女も、覚悟はしているに違いない。
魔王に取引を申し出られた時、即答したことからもそれは窺える。
「コリュウ。……私は、彼女に冒険者なんてやめてほしいんです」
強さには、限りがない。
これだけ強くなれば大丈夫なんて、そんな保証は、どこにもない。
強くなれば。以前はマーラもそう思っていた。
そして、彼らは、大陸でも最高峰のパーティにまでなった。
それでも。―――それでも、魔王ひとりに、負けた。
マーラは、コリュウの目を覗き込んだ。
「暁の竜騎士団は、今の私たちでも、まともに戦ったら勝てるかどうかわからないパーティでした。……それでも、負けたんです」
強さには限りがない。
上には、上がいるのだ。
「彼らは、明日の私たちの姿です」
勇者の恩寵は、強運と同時に、不運をも招く。
死ぬのは、怖くない。少女に助けられなければ、早晩尽きていたはずの命である。
でも、少女が不幸になるのは、嫌だった。
「私は、もう、彼女に、冒険者なんていう職業をやめてほしいんです」
血を吐くような、マーラの叫びだった。
「…………」
コリュウは答えられない。
なぜなら、コリュウにとって、何にも勝る最優先の相手が、それを望んでいないからだ。
マーラの言う事はわかる。
よく、わかる。
でも、クリスは、コリュウの世界で一番大事な人は、それを望んでいないのだ。
黙ったまま、答えられないでいるコリュウに、マーラは切ない微笑みを向けた。
「あなたが頷けない事は、わかっています。では、コリュウ。クリスが、自分の意志で冒険者をやめると言ったら、あなたは賛成しますか?」
「う、うん。もちろん」
「本当に?」
「うん!」
「――クリスが、誰かと結婚するから辞めると言っても?」
コリュウの動きが止まる。
「そ、そんなの嫌だよ」
「……」
「クリスはボクのお母さんなんだからっ! ボクが一番でなきゃやだっ!」
この年の子どもに、分別を求める方がおかしい。自分の幼い頃を遡れば、母親への愛情と独占欲丸出しだったと思う。
だから、マーラは辛抱強く言葉を重ねた。
「コリュウ。クリスは、いくつだと思います?」
「……十八……」
「女性には、子どもを産める時間制限があります。男なら四十になっても子どもを作れますが、女性はそうもいきません」
「……いやだよ」
「コリュウ……」
「クリスはボクがいればいいって言ってくれたもん! コリュウがいてくれて幸せって言ってくれたもん! クリスの子どもは、ボクだけでいいじゃないっ!」
ぱっと、狭い室内に竜の翼が広がる。そのまま、コリュウは開け放してある窓に向けて突進した。
―――が。
窓の前で、結界に弾かれた。コリュウはころんと後ろに転がる。
やれやれとマーラは額に手を当てた。
「……いつも宿では窓に結界張るでしょう? 忘れちゃ駄目ですよ」
暗殺対策である。
「……いたいー」
「ほら、癒してあげますからこっち向いて」
竜の鱗があっても、結界に全速力で突進して弾かれれば痛い。自分の硬度が逆に仇になるのだ。
「ううう……」
コリュウも回復魔法は使えないので、大人しくマーラの膝の上に抱きあげられ、傷に手を当ててもらう。
癒しの魔法をかけながら、マーラは囁いた。
「クリスね……いま、好きな男性ができたんですよ」
「誰? ……まさか、ダルク?」
「まさか」
あの、告白さえもせっついてもできないヘタレがそんなわけはない。
一言の下に切り捨てるマーラもヒドかったが、
「だよね」
とすぐに納得するコリュウも負けず劣らずヒドかった。
「じゃあ、だれ?」
「その前に。コリュウ。あなたは、クリスの恋を応援してあげられますか? さもないと、教えられません」
「…………」
じんわりと、マーラの温かな光が傷口に染みいってくる。
痛みを焼き払い、傷を癒す光。
「…………クリスは、それで、しあわせに、なれるの……?」
「なれるように、応援しましょうって話ですよ」
沈黙は、重くて長かった。
「……クリスは、ボクよりその人が好きなの?」
泣きそうな、子どもの声だった。
いささか良心が痛む。
「いいえ。あなたの方が、ずっと好きでしょうね」
だから困るのだ。
「クリスはあなたが好きで、あなたを一番に考えているから、あなたがそうやって駄々をこねたら、あっさりと恋を諦めてしまうでしょう。あなたが成人……成竜して一人立ちするまで、恋はいいやと。―――でもね、コリュウ。その頃には、彼女は、生きていない可能性の方が高いですよ」
今、コリュウは六歳。
人族では、十五、六程度が成人となる。
あと十年―――少女は、生き延びられるだろうか。
少なくとも、これだけは言える。
十年、生き延びられる確率は、五分五分以下だ、と。
「……」
また、黙ってしまったコリュウの鱗を、マーラはゆっくりと撫でた。
「ねえ、コリュウ。難しいことは判っています。クリスは、あなたの、お母さんなんですから。でも……どうか、認めてあげてください」
結婚すれば、自動的に冒険者稼業は廃業だ。いや、マーラが無理矢理廃業させる。
なんせ、結婚すれば妊娠のリスクがある。
妊娠初期の気づきにくさと妊娠初期の流産しやすさを、あの少女が音を上げるまでみっちりと解説し、説得してやる。
愛しい男との愛の結晶を無自覚のまま殺すような事になっても冒険者をやりたいのかと、それこそ一日中でも。
勇者の称号も破棄してしまえば、幸運はなくなるけれど、凶運もなくなる。
無償で手に入る恩寵などない。
暁の竜騎士団が全滅したように、「勇者の恩寵」は、いつ何時、自分たちの手に負えない規模の厄介事を呼びよせるか判らないのだ。
「コリュウ。あなたは、クリスの幸せを、願いますか?」
治療が終わり、マーラが手を離すと、さっとコリュウは膝から飛び立ち、隣の寝台の上で丸くなった。
それきり、ひとことも口を利かない。
けれど―――。
マーラは微笑む。
沈黙の中に、コリュウの、不承不承の了承を、感じていた。
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