少女がパルに尻を蹴飛ばされ、デートの準備の買い物に行くその前夜。
もちろん、マーラはダルクにしっかりと釘を刺しておいた。
優先順位としてはコリュウが上だが、ダルクを放置して問題ないはずもない。
何と言っても彼らは高レベルのパーティであり、ダルクは高位の魔術師である。
嫉妬のあまり……なんてことになれば、大地の勇者の名声は地におちるだろう。そして、監督不行き届きとして、少女も罰を受ける。
マーラは、部屋でダルクと二人きりになって、単刀直入に切り出した。
「クリスに好きな相手ができました。一般人です。あなたは応援してあげられますか?」
その瞬間のダルクの顔は、見ものだった。
青黒い顔をあんぐりと開けて、間抜け面をさらしている。
「……え?」
「クリスが、この町の住民に恋をしました。あなたは、応援してあげられますか?」
「…………あいつが?」
「はい」
「…………一般人に?」
「はい」
「―――どうしてそんなことになった!」
かなりの声量だが、そんなこともあろうと事前に部屋に結界を張ってある。
「さあ……私も、詳しいことは知りませんが。きっかけとタイミング、でしょうね。クリスが、ここのところ落ち込んでいたのは、あなたも知っているでしょう?」
マーラも、パルから、大まかなことは聞いている。
暢気な村人の、少女の素性などまるで知らない慰めが、少女にとってとても温かく、心休まるものだった。
「とても、嬉しかったようですよ。彼からかけてもらった言葉が。そして、あの子は恋をしました」
ダルクは唸った。
「……失敗するに決まっているだろう。あいつが、単なる町人と結婚? できるはずがない」
パルの懸念と、同じ言葉をダルクは口にした。
マーラも、それは否定しない。
「そうかもしれません。――でも、今、私が聞いているのは、あなたが、応援できるかどうか、ということですよ」
「そんなもの……っ」
言いかけ、ダルクはふと言葉を呑んだ。
気づかなかった。
魔力の輪(サークル)が、ダルクを取り囲んでいる。すでに包囲は終了していた。
憎々しげな目で、ダルクは自分より遥か高位の魔術師を見やる。
「……そこまでやるか」
「かの種族の占有魔法は、さすがに真似できませんが……、似た効果は出ますから」
「この間、俺がその気なら協力するとか言っていなかったか?」
「いいですか、ダルク」
マーラはにっこり笑った。
「私は、あなたのことは『気に入っている』ですが、あの子のことは『愛している』んです」
どちらを優先させるか、言われなくても判るだろうと言われ、ダルクはほぞをかむ。
そう、マーラが、いざとなったら誰を優先させ、誰を選ぶのか、全員わかりきっていることだ。
「それでも、あなたのことは気に入ってはいるんですよ。殺したくはないぐらいには」
「……」
「あなたが、無辜の人民に危害を加え、殺害したら、あなたを殺さねばならない。……くれぐれも、短気な真似はしないように。そして―――あの子の事を思うのなら、応援してあげてください」
「できるか!」
即答に、マーラは目を見張る。
ダルクの体を取り囲む輪が強くなる。
ダルクは憤激に体を震わせる。
あの少女が、一人の女として、自分ではない別の男を選ぶ。そいつに恋をし、恋情の籠もった瞳で見上げ、口づけ、抱き合う。
そんなの、想像するだけで―――!
「そんな簡単に……諦められるか! 俺は、その程度の気持ちであいつを見てたわけじゃない!」
それを見つめるエルフの眼差しは、憧憬と、憐憫と、蔑みに似たものが混ざった複雑なものだった。
はっきりと、自分の気持ちを口にできるダルクが羨ましい。だが、同時に、腹立たしかった。
「……なら、どうして、何も行動を起こさなかったんです?」
ダルクが、行動を起こしていたのなら。
パルも、コリュウも、マーラも、対応は違っていただろう。
なにより、少女自身が違っただろう。
「あの子は、真剣に想いを告げさえすれば、考えて、きちんと答えを出してくれます。どうして、そうしなかったんです?」
ダルクは答えない。
……怖かったからだ。今の、この関係を壊すのが。
しばらくはこの関係を壊すような者は出ないと、いつの間にかそう、考えていた。
「――どうして、私がこんなことを言っているのか、わかりますか? クリスが好きになった男が、クリスに告白したからですよ。結婚を前提に、付き合って欲しいとね」
ダルクは驚愕の表情でマーラを見た。
その顔を見て、マーラはああと思う。
……そんな顔をするのなら、もっと早くに、行動を起こせばよかったのに。
この世に二つとないものを奪われようとする人間の、絶望で彩られた顔。
「あなたは、言わなかった。彼は、言った。その差です」
あの町人が、口にしたその瞬間に、マーラは決めた。
「彼女にふれるのも、口づけるのも、褥を共にするのも、告白し、受け入れられた以上、彼の正当な権利です」
もし……ダルクが、ほんの少しの勇気を持って、少女に想いを告げていたら、全ては変わっていただろう。
少なくとも、少女は考えたはずだ。
まじめに、真剣に、考えてみたはずだ。ふたりで紡ぐ未来を。
そうして、ダルクを選び、冒険者を辞める未来すら、ありえただろう。
けれど、ダルクは言わなかった。
そして、あの町人は言った。
行動に伴う結果を、人は負わねばならない。
「何もしない」という行動への、責任を。
だから……これは、怖気づき、現状に甘んじていたダルクが受け取らなければならない、結果だった。
マーラは正面からダルクを見つめ、断罪した。
「―――いつまでもぐずぐずして、今の心地良い環境にひたりきって、何も行動を起こさなかったあなたの、自業自得です」
「……っ!」
その瞬間、マーラは視線で殺されるかと思った。
「……あの子は、幸せになります。しあわせに、ならなきゃいけない子なんです。勇者の称号など捨て、一介の、平凡な町民の妻になって、愛されて、子を産み、育てる……。とても、素晴らしい未来でしょう?」
ダルクは、溜まりに溜まったものが爆発するように叫んだ。
「あいつに……あいつに、そんな暮らしができるはずないだろう!!」
「何故?」
マーラは揺らがない。
凛と佇み、言葉を返す。
ダルクが言いそうなことはすべて、マーラも考えていた。
「あいつの命を狙う奴らはどうするんだ! 闇世界で、あいつは最大級の賞金首だぞ! さんざん色んな組織を潰して恨みを買っているんだ!」
「それは何とかします」
「あいつの周りにどれだけ厄介事が湧いて出てくるか……!」
「それも、何とかします」
淡々と、マーラは返す。
彼女の幸せの為に、その障害となるものはすべて、排除する覚悟が、彼にはある。
「……あいつの素性を、その男は知っているのか?」
「いえ。まだ、知りません」
「なら……!」
「―――確かに、耐えられないかもしれません。怖気づいて、逃げていくかもしれません。でもそれは、クリスと彼の間の問題です。私たちが、彼女を応援するかどうかとは、関係ありません」
マーラは、そっと囁く。
「……クリスの幸せを、あなたは願えますか?」
ダルクは、自分を取り囲む輪を歯ぎしりして睨みつけた。
―――傀儡(かいらい)の魔法。
約束したことを絶対に破れない特殊な契約魔法は、とある種族の占有魔法だ。一度、マーラが研究して、再現しようとしたができない、とぼやいていたのを聞いたことがある。
だが、傀儡の魔法をアレンジすることで、近い効果は出せる。
マーラの魔法が迫る。
この魔法を受け入れれば、もう、彼女を応援することしかできなくなる。邪魔することもできず、できるのはせいぜい不機嫌な顔をするぐらいになるだろう。
ダルクは、絶望が心を浸していくのを感じながら、その魔法を見やる。
傀儡の魔法のアレンジである以上、弱点も引き継いでいるはずだ。
抵抗(レジスト)に成功すれば拒絶できる。要は魔力と魔力の殴り合いだ。
でも……エルフと半魔族では。
心に侵入される激しい痛みが襲いかかってきた。
―――これが、今を変える事が怖くて、二の足を踏むばかりで行動を起こそうとしなかったことへの、報いなのだろうか。
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