にっぱにっぱにっぱにっぱ。
アランが手はしっかり動かしつつ、顔は不気味なにやにや笑いを全開にしていると、それを見咎めた人物から突っ込みが入った。
「……幸せそうでいいな」
そう言ったのは青黒い肌の魔族の少年で、アランは振り返りもせず、不気味なにやにやをそのままに言い返した。
「まったくだ。幸せで幸せだよ羨ましいかー?」
「…っ。なんでだ! 私の方がずっと将来性豊かなのに! そりゃあ年はちょっとばかり足りないけどそんなの五年もすれば問題なくなるのに! やっぱりあれか、種族の差か……っ!」
「わっはっは。彼女は財産には全く興味ないっていってたしなー。貴族の地位にも興味ないんだろう。……っていうか、ティルトを選んだらお妾だろ? 普通に考えて嫌だろ、やっぱり」
ティルトというのは少年の愛称である。オースティンというのが本名だ。
「私を侮辱するつもりか?」
本気でムッとした様子で、少年は返す。
「彼女をそんな日陰者にするつもりなんてない! 父を何とか説得するつもりだ」
アランは少しばかり、反省して見直した。
てっきり単なる少年期の一時の熱情と思っていたのだか、子どもなりに本気だったらしい。
現在アランはティルトに昼食を作っていた。
アランの料理の腕はなかなかのもので、ティルトはよくねだって作ってもらうのだ。
少年は拳をふるふると震わせる。
「他の有象無象に取られるよりはアランのほうがいいが……っ、それでもそのにやけ面が腹が立つっ」
「可愛い女の子を好きになって、その女の子に告白して、オッケーしてもらえて、どうして仏頂面しなきゃいけないんだ?」
「それはわかる、わかるが……っ」
少年だって、彼女にオッケーして貰えたら天にも昇るような気持ちになるだろう。
やがて苦悶する少年はため息をついた。
「……まあいい。彼女がアランの奥さんになるんなら接点はこれからも続くだろうしな。そう、どこかの見知らぬ人族に嫁がれて行方知らずになられるより、ずっといいというものだ!」
アランは意外に思って見返した。
「……なに? 諦めないの?」
「どうして諦めねばならん! 十年たったら考えてもいい、と彼女は言ってくれたんだぞ。十年というのは人が行方知らずになるのに充分な時間だろう。相手が人族である以上、配下の者に見張らせるわけにもいかんしな。居所がはっきりしていたほうがいいというものだ」
「……ティルト、君ねえ……、将来の旦那の前で、いつか奥さんと不倫するぞ宣言する奴がどこにいる」
「魔族で略奪婚は普通だぞ?」
平然と見返され―――アランは料理していた手を止めると、少年の頭に一発拳骨を落とした。
「なにをするっ!」
「人族では不義密通は大罪だっつーの!」
「そうなのか? 人族では、魅力的な異性によろめくのは悪いことなのか?」
常識の違いを痛感しながら、どっと疲労を感じつつ、アランは諭す。
「……伴侶を得ている場合は、とっても悪い。特に女性は重罪だ」
男が妾を持っても、養う財力さえあればさほど言われないが、女性の場合の対応はまったく違う。
名家であれば、夫は妻を斬ることさえ許されるのだ。町家では、離縁された上、町でひそひそ話されるぐらいだが。
「そうなのか……」
しょんぼりする少年。アランは不思議に思って聞いてみた。
「魔族じゃ、ふらふらよろめいてもいーのか? じゃあ旦那さんはどうやって奥さんの子どもが自分の子どもだってわかる?」
「婚姻関係中は、不義はしない。別れてからやる。魔族にとって婚姻は、結婚している間は他人に目をやらないという約束だから、他人に魅力を感じたら別れるのは当たり前だ」
「……どっちか一方が離婚はいやだと言ったら?」
「合意は必要ない。婚姻には両者の合意が必要で、その合意の一方が取り消された以上、解消するのは当然だろう」
アランは、初めて聞く魔族の婚姻生活のドライさに眩暈がした。
「子どもはどうなるんだ?」
「貴族の場合は、位が高い者が引き取る。庶民の場合も、似たようなものらしい」
種族的価値観の違いに、アランは頭がくらくらしてきた。
愛があれば種族の差なんて、とはよく聞く言葉だが、現実はそうもいかない。
つまり、つまりだ。
あの少女がもし求婚を受けた場合、この少年が飽きたら即座に離縁され、追い出され、子どもも奪われる、と。
―――うわあ。
額に手を当てて言ってやった。
「……あのさあ、ティルト、それ、人族の女性で結婚する人、いないよ……」
「そうなのか? 私の妻になれば、生活の苦労などさせない。贅沢できるぞ?」
「あー……金に目がくらむ女性は、受けてくれるだろーけどなあ……」
まあ、あの少女の身なりは、間違っても裕福でなかったことは認める。
アランは商家の主人なので、同世代の男に比べれば懐に余裕がある。少年が滞在中の間、彼の家のパンはすべてアランが納めているし。
今度、服でも買ってあげよう―――そう思っているアランは知らない。彼女が普段身につけているものは、この町を一つまるごと買えることなど。
少年はしょんぼりしていう。
「人族では、結婚した女性はもう異性と交際できないのだな? 知らなかった……」
ンなこと改めて聞くな、と言いたいところだが、異種族で常識が違うのだから、もうこれは仕方ない。子どもだし。
アランは悄然とうなだれている少年の頭を撫でで、釘を刺した。
「そーそー。だから、僕の奥さんを誘惑なんかしちゃ駄目だぞ。本気で怒るからな」
今でこそ笑い話ですむが、本人が何度も主張する通り、五年もすれば少年は立派な大人になる。
そして、ティルトは、青い肌にさえ目をつむれば、結構男前になりそうな顔立ちなのだ。
おまけに金持ちだし。
金持ちで美形の若者と人妻の火遊び……なんて昔っからよく聞く話ではないか。
しょんぼりした少年は言う。
「わかった……。僕はアランに嫌われたくない。彼女がアランと結婚したら諦める」
率直な言葉にアランは頬をかく。
この少年とは振り返ってみれば長い付き合いだ。いろいろ手も焼かされたが、結局のところ突き離せなかったのは、こうした素直さからだ。
『ついてくるな!』
『そういうわけにもいかないよー』
『邪魔だ! 鬱陶しいっ!』
『おー、もう鬱陶しい、なんて言葉使えるんだ。でも、駄目だってば。君みたいな子が一人でふらふら歩くのはほんとに危険なんだから。嫌なら次からお家の人と一緒に来なよ?』
それが、二人の出会いだ。
初めて会った時は、少年の素性も知らず、ただ単に、魔族の子どもが人族の町に迷い込んだとしか思わなかった。
青黒い魔族の肌は、人族の町では死ぬほど目立つ。
人ごみに警戒のざわめきが走り、自然と人が避けるほどの威力があった。
そんな露骨な反応に、少年は戸惑った。
『……なんだ? 僕は何か変か?』
アランはため息をついて、少年に教えた。
『君が、魔族だからだよ』
年端もいかない、八つかそこらの魔族の子どもが人族の町をうろうろする―――良識ある大人なら、誰でも頭痛を感じる。
もし誘拐やら集団私刑だのにあったらと思うと放置もできず、アランは仕方なく、少年の面倒を見た。
そしてそれきり縁が切れたかと思ったら、翌日、今まで会ったこともない貴族の御方から、最上の小麦をふんだんに使った高級パンの注文がどっさり来たのだった。
年に数回、少年の一家はこの地方に来るらしい。
その間、少年はちょくちょくアランの家に顔を出す。
町の人々も今ではもう慣れたものだ。
最初の頃のような露骨な視線もなく、アランと連れだって歩く姿を、微笑ましそうに眺めている。
「ああ……でも、羨ましい。ものすごく羨ましいぞ」
身をよじる少年に、アランは昨日の真偽を確かめた。
「会って数秒で求婚したってほんと?」
「ああ」
カラリと頷かれる。
育ちがいいせいか、こういうところ、嫌味がない。
「あんなに綺麗で美しくて可愛い女性は初めて見た。彼女が私の妻になってくれたら毎日幸せだろう。毎日彼女と会えるのだから」
なるほど、これが恋は盲目というやつか―――アランは非常に納得した。
彼女は可愛いことは可愛いが、絶世の美女かといわれると首をひねる。
が、ティルトには絶世の美女に見えるのだ。それが、恋というものである。
アランは動かしていた手を止め、完成品を少年の前に置いた。
「ほい、できた」
「いただきます!」
この少年が来たときは、アランの手料理をふるまうのがいつもだ。
お得意様、ということで、父もティルトの面倒を見ることについては反対していない。
「それ食べたら、今日はもう帰んなね」
「………………彼女とデエトするのか?」
「そう」
少年は手を止めて、じいっとアランを見た。
「なんだ?」
「アランは変な奴だな」
「……は?」
「魔族の私を怖がらない」
「それ、そんなに変?」
「すっごく変だ。子どもの頃は知らなかった。でも、私も、今では以前の私がどれほど危ないことをしていたのか、理解できるぐらいには大人になった、と、思う」
青黒い、魔族の肌。
褐色や白い肌しか知らない人々は、見た瞬間にぎょっとする。個人差はあれ、みな。
……ぎょっとするものなのだと、今ではティルトにもわかるようになった。
だが、アランはぎょっとはしたが、魔族の子どもに対して、親切だった。
ティルトを心配して、行く先々についてきてくれた。怖がる町の人々との間に立って、ティルトがまともに買い物できたのは、アランのおかげである。
……おかげで、すっかり「その気」が失せてしまった。
作ってもらった食事をもぐもぐしながら、ティルトは言う。
「アランも変だけど、彼女も変だ」
「……え?」
「魔族の私を見ても、気味悪がらなかった。彼女は、魔族の知り合いでもいるのか?」
アランはあっさり頷いた。
「いるかもねー。いてもおかしくないと思う。だって、魔族に何の含みもない人って珍しいだろ」
少女に否定された時からその考えは胸にあった。
人は、魔族を怖がる。それは、未知のものを恐怖する本能といっていい。
たかが、肌の色。
されど、肌の色だ。
アランはティルトとの付き合いが長くなって見慣れたので青黒い肌も平気だけれど、普通は、気味悪く思うものなのだ。
「町はずれで住んでいたっていうし、その可能性はある。気になるなら聞いてみたら?」
「……」
ティルトは、少し考え込んだ。
「……そういえば、彼女の名前、なんていうんだ?」
「クリス、だけど?」
答えを聞き、きゅっと、少年の黒い眉が寄る。
そして、それきり、眉間に皺を寄せてしまった。
「それがどうかした?」
怪訝そうに、アランは問い返す。
よくある名前である。村娘が二十人いれば、一人はいるほどの。
やがて、ティルトは思いきったように尋ねた。
「―――大地の勇者がこの町に来ているという噂があるのは知っているか?」
「ええ!?」
アランはびっくりした。
もちろん、彼もその勇者の名前は知っている。
近年急速に力を伸ばしている「ラグーザ冒険者ギルド」のトップランカーにして極めて異色の冒険者。
竜を友とし、無数の異種族を盟友にし、その力でもって本拠地の田舎村を、あっという間、そうたったの数年でこの近隣で最も栄える町にまで育て上げた勇者。
大陸全土に名をとどろかす最高ランクのパーティは何組かあるが、そのなかで最も年若く、最も急激に栄光の階段を昇ったパーティだった。
アランは青ざめた。
「彼女が? え、え、なんか強大な魔物でも近づいてるわけ? この町に!?」
彼女が出張る、ということは、他の冒険者では手に負えないレベルの事件が起こった、ということになる。
ティルトは焦った様子のアランの顔をじっと見て、それからゆっくりとかぶりを振った。
「―――いや。そういうわけでは、ないらしい」
アランはほっとした表情になる。
「―――アラン。私は、お前のことを友人だと思っている。お前は人族なのに、幼かった私の身を案じてくれた。だから、私も、言おう。お前に助けられたから、私もお前を助けたい。もし、お前に何か困った事が起きたら、頼ってくれ」
少年は生真面目な口調でそれを言い、直球で言われたアランは照れた。
「い、い、いや~~。ありがとう」
魔族は、人族とは違ってストレートに感情を伝える。好意を率直に伝えられて、照れるけれどやはり嬉しい。……悪意も率直だが。
照れるアランを、ティルトは複雑そうな顔で見つめていた。
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