うきうき、らんらん、という書き文字を背中に背負ったアランが待ち合わせ場所についたとき、少女は男に声をかけられている真っ最中だった。
「お断りします」
「そんなこと言わずにさー。お昼おごるよ」
「いりません」
「まあまあ。美味しい料理屋知ってるんだ。行こう行こう」
男はきっぱり断る少女の腕をとり、強引に引っ張ろうとするのだが……その顔はすぐにあれという表情に変わる。
足に根でも生えているように、びくともしない。
どんな少女でもここまで力を込めればよろめくぐらいはする程本気で力を入れても、微動だにしない。
「―――手、離して下さい」
少女は眉一つ動かさずにきっぱりと言って、自分の腕にかかった男の毛深い手を、簡単に引き剥がす。
「ごめん、待った?」
頃合いと見て、アランはそこで顔を出した。
「あ……」
張りつめた顔の少女が露骨にほっとした顔になり、アランは優越感にひたる。
「ごめん。ほんっっとにごめん。じゃ、行こう」
男を無視して少女の手を取り、歩き出す。
追ってくるかと思ったが、そこまで見苦しい真似はしなかった。
「ごめんね、(男にからまれて)怖い思いさせて」
「……はい。怖かったです(怪我させるかもしれないから)」
少女の意味と、アランの意味はかなり食い違っているのだが、もちろん突っ込む者はいない。
アランはしげしげと少女を見つめ、満面の笑顔で言う。
「それにしても……今日はかわいーねっ」
長い黒髪は艶を増し、手首には白い樹皮の腕輪に首元には着色した木の実をいくつも繋いで作った首飾り。
着ているものは下したての一張羅だろう。柔らかい木綿の、洗い皺も着古し感もない木綿のドレスだ。
少女の努力がうかがえて、胸の奥がふわりとする。
可愛い女の子が、自分の為にお洒落してくれる、というのは、なかなかどうして嬉しいものだった。
「そ、そうですか? 友達が、その、いろいろ見立ててくれたんですが」
緊張して敬語が復活している様子に、アランは首を傾げていう。
「あのさ、丁寧語、使わないでいいよ? この間みたいに、自然に、自然に」
「……は、はい……あ、うん」
アランはお勧めの料理店に入り、鶏肉の香草焼きとポテトのスープを頼んだ。
少女も同じものを頼む。
そこで、アランは悪戯っぽく笑った。
「……足りる?」
「う……っ」
大喰らいの少女は図星だった。
「親父から聞いたし。遠慮しないで、頼んでいいよ? けっこう、懐には余裕があるから」
「え? ……わたし、自分のぶんは払うけど?」
きょとんと、少女は言って、アランは目を丸くする。
「……え?」
「お金、ちゃんと持ってきたし」
「ちょ、ちょいまった。女の子に払わせるような無様なことできないって」
「……え? だって、自分の食べた分を払うのはあたりまえでしょ?」
本気で判っていない少女は首を傾げ……しばらく、どちらが払うかの論争が勃発した。
―――この場合、この世界の考え方にのっとると、常識知らずなのは少女のほうである。
男尊女卑のこの世界では、デエト、なるものの一般常識では、男が全額払うのが当然なのであった。
男尊女卑のぶん、男には責任が大きいのだ。女性は庇護されるべき存在であり、ワリカンなんてもってのほか、なのだった。
頑固な少女に、やがて、折れたのはアランだった。
「……ほんと、男慣れしてないね……。ひょっとして、男と一緒に食事するの初めて?」
と、問われ、少女は思わず、これまで諸々の依頼人との会食やら護衛対象者との食事やら仲間との食事やらを思い出してしまったが、いかに彼女といえど、さすがに、そういうことを聞いているのではないことは判る。
異性とデートして食事するのは、これが初めてだった。
こくりとする。
「うん。初めて。だって、私もてないし……」
「―――もてない、ねえ……」
アランはさっき少女を誘っていた男やら、魔族の少年やらを思い出して遠い目になる。
悪戯っぽい笑みで話を振った。
「……の割には、この間は熱烈な求婚を受けてたけど?」
「あ、あれは……その、何かの間違いだってば。付き合ってくれって言われたのだって、あなたが初めてだし」
そりゃあ、全身装備に身を包み、見るからに冒険者で、更に肩の上に緑竜をのせている女の子に声をかける度胸のある男はそうそういないだろう。
「……ほんとに初めて?」
「ええ」
結婚してくれとは言われたが。
「どこに住んでたの?」
「森の中。母と一緒に」
「そういえば、魔族の知り合い、いる?」
少女はぎくりとしたが、頷いておく。
「ええ。いるわ。母の知り合いで、私とも友達になってくれたの」
「やっぱり……。魔族のあの青い肌に怯まないから、そうだろうとは思ったんだ」
たかが肌の色。
されど、肌の色だ。
青黒い肌の魔族を見慣れていない人族は、皆、一様に、恐れおののく。
「昨日のね、男の子、オースティンっていうんだけど、僕はティルトって呼んでる。世話になっているから、っていう理由で、この町の近くの荘園に滞在している間は、僕の家からパンを一括で納入させてくれてるんだ」
「ええ」
「でね、僕としてもティルトが可愛くってさ。奥さんになる人は、魔族に偏見ない子がいいなって」
そこでアランは照れ臭そうに笑う。
「ティルトも、君のこと気に入ったみたいだし。……ちょっとばかり気に入りすぎてるみたいだけど」
イエ、それは、ただ単に、自分が強いからなんですが。
「あ……そうだ」
少女は思い出した。
古布を裂いて編んで作った手提げの中から、古びた白い木の皮で編んだ腕輪を差し出した。同じものを、彼女も付けている。
「これ、上げる」
「……なにこれ?」
「私の母が、私に残してくれた物で、守護の魔法がかかってるの」
アランは硬直した。
「……なんだって……?」
「え? だから、守護の魔法がかかって……」
アランは、しーっと口元に指を当てた。
「そ、そんなこと、こんな場所で言っちゃ駄目だってば! 誰が聞いているのかわからないんだから!」
「……え?」
少女はぽかんとした。
アランは恐る恐るその白い樹皮でできた腕輪を手に取る。
古びているそれは、言われなかったら素人が作ったあまり見栄えのしない装身具としか見えない。
「……これ、魔法道具(マジックアイテム)?」
「え、ええ。身につけていると、守護の魔法が自動でかかって、思いっきり殴られても打撲程度で済むって……。私のぶんは別にあるから、それはあなたに」
アランは、額を押さえて、深々とため息をついた。
「……こんな高いもの、ほいほい人に上げちゃ駄目だよ……」
「―――高いの?」
アランが、とびきり深いため息をついたことは、言うまでもない。
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