サンローランの町では各種族がそれぞれの区画に住んでいるので、エルフの居住区画では樹木が生い茂って天然の天蓋をつくり地面にも縦横に根が這いまわって独特の踏み心地の地面になっているし、水棲種族の居住区画は港の隣にあって海の中だし、鉱物種族の居住区画はずばり、水晶の森のようになっている。
空を見れば小さな飛竜が飛んでいて、道を歩けば人族以外が平気でカッポカッポと歩いている……確かに、普通の人なら見るだけでも面白いかもしれない。
「異種族がそんなにたくさん仲良くいるなんて、面白いよね。機会があったら行ってみたいな」
その口ぶりに、あれと思う。
「気持ち悪いとか……思わない?」
「え? なんで?」
「えーと、私は平気だけど、ほら、聖光教会とか……」
そろそろ全面戦争もあり得るぐらいに緊張感あふれる関係を構築しつつある、人族で最大派閥の宗教集団は、異種族のことを「邪悪な獣」と公言してはばからない。
少女から見れば、寝言は寝てから言え、というところだ。
だが、その教会の影響力はかなり強く、だから異種族への風当たりもまた、強いのだけれど……。
「いや、そんなの嘘っぱちだろ」
アランはあっさり言った。
少女はぽかんとしてしまう。……こうも飄々と聖光教会を全否定する人に会ったのは、初めてだった。
「君が信じてないように、異種族とまともに付き合ったことが一度でもあれば、あんなの嘘っぱちだってすぐわかる。ティルトに聖光教会の教義を教えたら、爆笑されたよ。それで、言われた。人族が作りだしただけあって、ずいぶんと人族に都合のいい宗教だな、って」
少女はますます目を見張る。
「……神様が授けた教義だっていうの、信じてないんだ」
少なくとも、聖光教会はそう主張している。
この世界では、神は実在している。
「人族の神」が、聖光教会に、下賜したこの世界の真実こそが教義なのだと。
「ティルトにズバッと言われるまでは、正直言って少しは信じてた。でもさ、ティルトの側、つまり異種族の側からみたら、もう歴然としてるだろ? 僕らにとって、都合良すぎる教義じゃん。宗教家が作り上げたでっちあげに決まってるって」
はい、その通りです。
少女はよっぽどそれを言いたかったのだが、―――言えないのが、つらい。
聖光教会が闇に葬った歴史を、『大地の勇者』である少女は知っている。
別段公表するつもりもない。
今からおよそ、五百年前―――設立当時の聖光教会が、そうしたでっちあげをしなければならなかった苦渋も理解している。
ただ―――当時の、さまざまな苦難に満ちた中で教会を作り上げた創設者たちの切なる願いが忘れ去られ、置き去りにされ、教義だけが拡大解釈され歪ませられていることを、腹立たしく思う。
人族に誇りを、尊厳を。
それを与えたくて教会を作った彼らのその想いは、決して非難されるべきものではなかったのに。
今となっては創設時の理念は忘れられ、拡大解釈された教義が独り歩きしている。しかも、えてして信者たちは、その教義を、純真に信じているからタチが悪い。
アランは内緒だよと口元に指を置いた。
「あ、コレ、他の人に言っちゃ駄目だよ? 僕が苛められるから」
少女はくすりとする。
「それじゃ、私も同罪ね」
「あ、賛成してくれるの?」
「ええ。あなたの、言う通りよ」
ほんの少し、少女は瞑目する。
ふつうの少女らしい甘酸っぱい思考を押しのけて、冷徹な冒険者としての思考が脳を満たした。
―――戦ったら、まだ、負ける。
時期じゃない。まだ。
聖光教会にとって、少女は邪魔であるのと同じように、少女にとっても聖光教会は邪魔だ。
聖光教会は大陸全土に版図を持つ巨大な組織であり、人員数、資金ともに少女など比べ物にならず、吹けば飛ぶ、に見えるが、実はそうではない。
名声、という奴は厄介だ。
大陸全土に鳴り響く、大地の勇者の名声。
各国の有力者を後援者にかかえる人脈。
少なくともこの地域では、彼女は聖光教会の影響力と拮抗しうる。
なんといっても、他の冒険者の手に負えない規模の魔物出現があれば、少女たちに頼るしかない―――、それがこの地域の実情であるのだから。
全面戦争することになれば、お互い、タダでは済まないからこそ、睨み合いで済んできたが……。
―――あの歪んだ教義を、野放しにしておく気は、彼女にはない。
食事が終わって店を出ると、アランは自然な様子で手を繋いできた。
顔が赤らむのを感じながら、少女はそれを受け入れた。
異性と手をつなぐ、なんていうのは本当に久しぶりのことで、今はもう霞んで思い出せない父親に手を引かれた頃にまで遡ってしまう。
「あのさ、これ……悪い意味じゃないんだけど」
「え?」
「手、固いね」
耳朶が熱くなった。羞恥で。
「ご、ごめんなさい。いろいろ……家で仕事してて、それで」
「ううん。全然、悪くない。初めて会ったとき、それで驚いたんだよ」
「ええ?」
「だって、すごく手のひらが固いから。びっくりして、働き者なんだろーなーと」
アランは少女の方を見て笑う。
心拍数が、急に、早くなった。
体の中が、すべて心臓に変わったようだった。
心臓の音しか、聞こえない。
「あ、そっち危ないから」
アランが繋いだままの少女の手を引く。
一度ぱっと手を離し、反対側にまわって、また手をつないだ。
「馬車来るから、女の子は、こっち」
少女が馬車と正面衝突しても、壊れるのは馬車のほうなのだが。
絶えて久しくなかった「女の子扱い」に、どぎまぎする。
「普通の女の子」は、こんな風にされるんだと、感動すらしてしまう。
「あのさ」
「う、うん」
「やっぱ君の身元保証人って、町長夫人……なのかな?」
「え、ええと……たぶん、そうだと、思う……」
いわば、「保護者代わりの人」だ。
普通は両親だが、二人とも死んでいるのなら、働いている奉公先の主人がなるのが普通だ。
「町長さんとこには、何人ぐらいの人がいるの?」
さあ知りません。
「……ごめんなさい。奉公しているお家の事は言っちゃいけないことになってるから」
「そうか。それはそうだね、ごめん。いつか、町長夫人にご挨拶に行ける日が来るといいな」
―――えーと。それは、つまり。その。そういう意味、ですか?
……そういう意味以外何があるんだよ、と冷静な突っ込みが頭の一部からした。
顔を真っ赤にしてとうとう地面にうずくまり、少女はアランを見上げた。
「……アランってもてるよね?」
「え? ぜんぜん。僕はもてないよー」
「うそだ~~っ!」
嘘だ嘘だぜったい嘘だ。
生活安泰なパン屋の主人で若くて独身。ハンサム……ではないけれど、醜男ではない顔で、おまけに優しくて口が上手い。
これでもてなかったらおかしい。
「だって、僕と結婚するってことは、魔族のティルトとも付き合うってことだよ?」
「……それ、そんなに重大なの?」
少年が遊びに来るのは、時期限定だろう。こんな「お買い得物件」を、逃すほどのことだろうか?
「結構重労働だし」
「……そう?」
「小麦粉の袋、すっごい重いよ~。今からはっきり言っておくけど、結婚したらある程度は手伝ってもらう事になると思う」
少女は乾いた笑いを漏らす。
―――すみません、私、それを十袋まとめて担げます。片手で。
「それに、今度案内するけど、でっかいパン焼き窯があって、熱いのなんの」
すみません、多分私、窯の中で焼かれながら歌を歌えます。
「その燃料になる薪を運んだりっていうのも、かなりきついし……」
すみません、以下略。
「ってわけでさ。思っているほどラクじゃないよ~ってことをやんわり言うと、大抵は逃げてく」
「……なのに言っちゃっていいの?」
「言わなきゃフェアじゃないでしょ」
何気ないその一言は、少女の胸にぐさりと突き立った。
そう、こんな重大事項を話さずに結婚を前提とした交際を進めるなんて、相手への重大な背信行為だ。
―――言え、早く。
そう胸の声がせき立てる。
だが。
「―――なんで、私なんかを好きになってくれたの?」
そう聞かれて、アランは少し言葉に迷った。
正直なところを言えば、大抵の男は好みの女の子が自分に気がありそうで、自分も相手もフリーだったら、声をかけてみるものだ。
最初に声をかけたのは単なる親切心。心にひっかかったきっかけは容姿だ。周りから一歩図抜けた可愛さに気を引かれた。
そして、次に会った時―――魔族のティルト相手でもぴしゃりと言える気の強いところと、それとはまるでアンバランスな、男慣れしていない初心(うぶ)さのギャップに、強烈に引き付けられた。
おまけに魔族にも偏見なく、身元もしっかり、働き者らしい、更にはどうやら自分に気がある様子、ともなれば、勇気を出さないのはヘタレだ。まちがいない。
しゃがみこんでしまった少女の隣に、アランもしゃがみこむ。
目を目を合わせて、ぽんぽんと頭を撫でだ。
「凛々しいところと、可愛いところが一緒にあるとこ、かな。さっきだって、誘われてもはっきり断ってたし」
言いながら、アランはあれと思う。
この子は、断るのは、きちんとできるのだ。すぐに真っ赤になってあたふたするのは、そういえばアランに対してだけだ。
その発見に微笑みながら、アランは言う。
「同じこと聞いてもいい? 君は、どうして僕を好きになってくれたの?」
「……え、う、そ、それは……その、落ち込んでいる時に、声かけてくれて、すごく、嬉しかったから……」
アランは微笑む。
たまたま、自分が通りがかって声をかけたから。
可愛くて、気が強そうなところも男慣れしていないところも好みだったから。
お互い、恋の理由を並べたらとても平凡で単純。
とても簡単に、ありふれたきっかけで、恋が始まった。
アランは、正直なところを言えば、まだ恋かどうかも怪しい。可愛い彼女が好きだけれど、ティルトのあののぼせっぷりを思うと、あれぐらいになって初めて恋というのかも、と思ってしまう。
そして、それは彼女も同じだろう。
気にはなっているだろうけど、好意は持ってくれてるだろうけど、恋かと問われたら、迷ってしまうだろう。
でも、アランはそれでいいと思う。今は。
何と言ってもまだ出会ったばかりで、これが一回目のデートだ。
最初よりたくさん彼女のことを知って、いろいろ驚かされたけど、呆れはしなかったし幻滅もしなかった。
もっとよく知って、もっとお互い好きになって、恋にしていけばいい。
焦る必要なんて、ない。
アランは立ち上がり、少女に手を差し伸べた。
「焦らなくていいよ。少しずつ、行こう?」
差し出した手に、少女の手が重ねられる。
「……うん」
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