火炎狼(サマセット)の大群の繁殖。
本拠地であるサンローランに戻った彼女たちに告げられたのは、その依頼だった。
「火炎狼! ……近くに炎の竜脈が?」
十把ひとからげの他の冒険者とは違い、彼女たちにはギルドの人間も一室を用意してくれる。
そうして用意されたギルドの奥の別室にて、彼女たちはギルドの職員に依頼の説明を受けていた。
「わかりません。ですが、可能性は高いかと」
炎の竜脈とは、火山の溶岩脈のことである。
この大陸では、全ての火山の根は大陸中央にある『炎神の御座(みくら)』に繋がっていると考えられている。
その炎の竜脈上に、吹き溜まりのように発生する魔物。それが、火炎狼だった。
炎の精霊力が凝ったものなので、実体を持たず、通常の刀剣では対処不能。
魔法、もしくは魔法をかけられた武器でしか倒せない厄介な魔物である。
「その孵化直前の卵が、大量に見つかりました」
「火炎狼の大繁殖の予兆……か。わかったわ。大量発生してからだと手がつけられなくなる。すぐに出発するから」
人族は、魔法適性値が低い。
だから魔法を使えない人族がほとんどだ。
よって、こういった実体を持たない特異モンスターの対処にいつも手こずる。
魔法さえ使えれば、あるいは少女のように実体を持たない自然物をも切れる規格外の武器を持っているのでなければ、さほど対処としては難しくないのだけれど。
そうした特殊モンスターに対応する技能を持つ冒険者は少なく、彼女が所属しているラグーザ冒険者ギルドでは、彼女と、あと今はまだ中堅ランクにいるパーティしかいない。
そして、中堅ランクのパーティでは荷が勝ちすぎる。そんな『期待の新鋭』に今回の仕事を回して、死んでしまったら元も子もない。
他の冒険者組合も大同小異の状況で、ラグーザ冒険者ギルドにお鉢が回ってきたようだ。
ほかに適任者がおらず、切羽詰まった状況という訳ではなく、金はかかるが確実な相手が、いるのだから。
「依頼料は近隣の町が出し合って用意いたしました。よろしくお願いします」
ギルドの職員は深く頭を下げた。
冒険者は、大抵が冒険者組合に所属している。そういった組合は大小取り混ぜてこの大陸に数百は下らないだろう。
そういった冒険者組合は繋がりをもち、依頼情報をある程度共有している。もちろん、例外もあるが。
「マーラ、どう? 動ける?」
飛翔呪文を唱え、移動したばかりの繊弱な青年に少女は尋ねる。マーラは頷いた。
「いけますよ」
無理をして体調を過大評価する事の危険を、彼は知っている。その上での答えなので、信用できた。
その答えを受けて、少女はすっと立ち上がった。綺麗な立ち姿だった。
「―――じゃ、すぐ行きましょう」
◆ ◆ ◆
彼らの強みは、移動時間が極めて少ないことだ。おかげで、こうした手遅れになったら大惨事になるような事例にも、急行できる。
空を飛べる竜に、それに捕まって移動できる戦士に、飛翔呪文を唱えられる魔術師が二人。(最近ひとりふえた)。
魔法が使える、というのは、人族の中で、極めて大きなアドバンテージとなる。
空飛ぶ絨毯で現地まで急行しながら、少女はボヤいた。
「まったく……聖光教会の馬鹿者どもが悪いのよ。異種族を奴隷扱いしてこき使おうとするから。そんなことすれば誰だって避けるに決まってるじゃない」
異種族は知性がある。
知性があるということは、交渉ができるということだ。
そして、知性があるという事は、経験から学習し、自分に害がある相手からは逃げるという選択をできるということでもあった。
平たく言えば。
人族は世界中から嫌われているのだった。まる。
人族の少女はその事を思うと悲しくなるのだけれど、人族の町で異種族が変装しなければならないのと同様、異種族の町では人族は変装しなければ歩けない(鷹揚な魔族の町除く)。
たいていの異種族の町で、人族は嫌われていた。
それはそうだろう。
聖光教会の信者のあの尊大な態度に一度でも遭遇すれば、一発で嫌いになることは間違いない。
しかし、おかげで、人族に力を貸そうという異種族は滅多におらず……、おかげで、魔法の使い手の価値は上昇の一途、その余波で、奴隷市場における魔法の使える種族の値段もダダ上がりである。
「ねーマーラ。聖光教会と全面戦争したら負けるよねー。どうすれば勝てるようになるかなー?」
そんな物騒な質問を突然されたマーラは、少しの間考えて言った。
「聖光教会の教主のところまで忍びこんで、服従の呪文をかけてしまえばいいんじゃないでしょうか」
「あ、それいい!」
「これだけ広範囲に勢力が広がっている宗教集団は、叩きつぶすのは至難の業ですしねえ。クリスが知っていることを公表しても、証拠はと言われればそれまでですし。上の人間の頭をちょっといじくってしまうのが一番では? そして、ジワジワと変えていく、と」
「問題は、上層部の人間が、邪魔になった教主を『取り替えて』しまわないかってところだよね」
「それについては……」
朗らかに、かつ楽しそうにそんな会話をしている二人のとなりで、ダルクはコリュウに話しかけた。
「……あいつら本気か?」
「…………半分は冗談だと思うよ?」
「半分は……?」
……恐ろしいのは、行動力だけは無駄に満ち溢れている少女がその気になればすぐにでも実行可能なところだ。
侵入にはパルもいるし、足音をこそりとも立てずに歩ける上に闇夜をものともしない少女もいる。
彼らが夜中に侵入して、教主のところまで辿りつくのは、難しくはあっても不可能ではない。
「ダルクは実感ないだろうけど、クリスと聖光教会、ほんっっと、仲悪いんだよ。クリスはああだし、あいつらはああだし。仲いいはずないでしょ?」
ダルクは二者を頭の中で思い描いた。
クリス―――同じ大地に生きる者同士、仲良くしましょ。
聖光教会―――異種族は人族に奉仕するために造られた存在です。私たちに無償で奉仕しなさい。それが当然です。
「―――仲いいはずがないな、たしかに」
思いっきり納得した。
「ダルクが入る前に、いろいろあって。クリスが大地の勇者として名声をほしいままにしてなけりゃ、絶対に破戒者として破門宣告受けてたよ」
「……? あいつは別に信者じゃないだろう? 破門されたって……」
「うん。クリスは気にしない。僕らもね。クリスに助けられた異種族のみんなも。でも、人族にとって、破門宣告っていうのは、すごく影響力あるんだよ」
「……そうだな」
ダルクは思い浮かべ、深く頷いた。
ダルク自身は信者ではないが、信者の人間を知っている。彼の住んでいた町には教会があり、毎週の決まった祈りを捧げる日には、みんなして教会へ通ったものだった。
もちろん子どももつれて。
そうして、水が馴染むように自然に、聖光教会の教義に染まっていくのだ。
「全面戦争したらさすがに負ける。それはクリスもわかってる。だから、正面切って対立はしてない。でもさ、いろいろあって、……ね?」
「ああ……」
胸ポケットにいたパルも参加した。
「そもそもの根本の主張が、正反対だかんな。なかなかクリスと聖光教会が仲良くするのは難しいだろうよ」
だから、半分本気、なのだ。
実際に実行はしないが、彼女の中で、聖光教会に対する怒りは、積もり積もっているのだろう。
「きっかけ一つありゃあ、爆発するだろうな」
背筋がサムくなる言葉で、パルはその話題を締めくくった。
空飛ぶ絨毯が目的地に近付く。
上空から見下ろした地面に見えるのは、見事な紅の絨毯。
火炎狼の、卵である。
「……よかった。孵化に間に合ったみたい」
「千単位の数がありますね。孵化に間に合ってよかった。薙ぎ払えば終わりです」
これが孵化していたら、火炎狼は足が速い。
近づく者すべてを燃やす獣がその足で逃げまどったら、被害は爆発的に拡大する。
追いつけるのはコリュウぐらいで、少女でさえ全力で駆ける狼の足には追いつけない。そして、コリュウはひとりしかいない。
千匹以上の狼をすべて捕捉するのは不可能で、恐ろしく厄介な事態になっただろう。
「……って、アレ!」
少女が一面の赤い花畑の一角を指し示した。
そこにいたのは、顔見知りの冒険者の……。
「―――アーネストですね」
同じギルドに所属する、魔法使いを擁した中堅パーティである。
「あの、馬鹿!」
すぐにでも絨毯から飛び下りようとする少女をマーラは止めた。
「まあまあ。駄目だったときのフォローは我々ができますし。やらせてみましょうよ」
「でも……」
「少し高望みの相手を相手取る事を繰り返して、人は成長していくんですよ。あなたも憶えがあるでしょう?」
マーラが諭すと、少女は考え、頷いた。
後進を育てるのも、上に立つ者のつとめだ。
「……そうね。絶対安全な敵をいくら倒しても人は成長しない―――幸い卵は孵化前。いざとなったら私たちが保険としている。ここは、任せましょう」
一面の荒れ野を、一抱えほどもある無数の紅の卵が覆っている―――それは、美しいとさえいえる光景だった。
炎の精霊力が凝縮されたその卵は、透き通る美しい紅色をしている。どんなルビーも、これほど美しくはないだろう。
「コリュウ。ダルク。氷呪文を用意しておいて。マーラは回復呪文を。もし、孵化しはじめたら即介入するから」
人族の魔法使いをメンバーに抱える彼らも彼女たちに気づいた。
最初リーダーはげっという顔になった。悪戯を見つかった子どもの顔だ。
少女たちは留守だったし、無理な連続仕事はできないマーラもいる。来る前に処理できると思ってやってきたのだろう。
しかし、間に合わなかった。
リーダーは気まり悪げな顔をして、しかし少女たちが動かずに見守っている事に気づいてあれという顔になり、少女たちの意図に気づいて、最後にはニッと笑って手を振った。―――もし、自分たちになにかあったら、よろしく、との意味を込めて。
人族の魔法使いが詠唱体勢に入る。
「さて、お手並み拝見と行きましょうか」
マーラは楽しげに言って見物体勢に入る。
こちらは文字通り、高みの見物である。
「まず問題になるのは、効果範囲ですね。ダルク、あなただったらこの見渡す限りの卵畑、どれぐらいで焼き払えます?」
ダルクは絨毯から四方を見回す。
そして、脳裏に地図を取り出して目測で計測した卵畑の広さを記入し、自分の呪文の効果範囲をその卵畑に重ねた。
こんな高所から、広さを目測で測る、というのは実はかなり難しいのだが、魔術師にとって極めて重要なのが、己の呪文の効果範囲の把握だ。
だから魔術師は、高位であればあるほど、空間把握に優れる。
そしてダルクも、その一人である。
考え込んでいたのはわずか数秒。ダルクは答えを出した。
「三回……いや、それだと端の方は処理しきれないから、四回だな。俺の氷系最大呪文を使っても、それだけかかる」
「人族の魔法使いに、それだけの魔力あるの?」
少女は疑問を呈した。
マーラも頷いた。
「そこが、まず最初の壁ですね。これだけの広範囲です。魔力がもつかどうか」
種族的傾向として、魔族は攻撃呪文に優れる。
ダルクが攻撃魔法を放つ時、魔力消費は少なく、威力は上がるのだ。
そして、
混合種の特権。人族の特長をも兼ね備える。
人族は補助系に優れた種族であるため、要するにダルクは、攻撃系も補助系も両方負担が少ない……はずなのだが。
エルフのマーラもそれを期待して、ダルクの補助系を鍛えているのだが―――、人間そう公式通りにいかないもので、ダルクは純魔族と同じほど攻撃魔法に高い適性がある一方、純魔族と同じほど、補助系が苦手だ。
魔族としての血が濃いのだろう。
「ダルクがこの畑を焼き払うのに必要な魔力は、全体のどれぐらい?」
「四分の一、というところか。全魔力の四分の一も使えば充分だろう」
攻撃魔法に高い補正がかかるダルクですら、全魔力の四分の一。
「……つまるところ、純粋な魔力量の問題ね」
少女は呟く。
少女の脳裏では今、とある言葉が踊っていた。
適材適所。
確かに、人族でも高レベルの魔術師はいる。いるが、それは「天才」と呼ぶべきごくごく一握りの例外だけであり、更にその天才ですら、全種族中最高の魔力を持つエルフ族には敵わない。
どんな泳ぎの名人でも、ただの魚に敵わないのと同じことだ。
「マーラ。アーネストのところの魔術師、会ったことあるでしょ?」
「ええ」
「できるかな?」
見ただけで相手の魔力量を判断する、ということを、少女はできないが、マーラはできる。
「ま、ぎりぎり……でしょうかねえ。最近会ったことないので、その間の成長次第、ですね」
マーラは眼下の魔法使いに目を移し、魔力を感知できない少女の為に解説する。
「考えましたね、魔法に少しアレンジを加えて効果範囲を広げています。そのぶん、威力は下がりますが――おや」
「どうしたの?」
マーラは目を閉じて魔力の流れをしばらく追う。やがて言う。
「……どこかの誰かの補助を受けてますねえ」
「もう一人、魔法使いがいるっていうこと?」
珍しい、という声音を隠さず言う。
人族で魔力のある稀有な人間は、ほとんどが教会に囲い込まれる。
例外もいるが、それは一国に二三人、という規模なのだ。
「いえ。エルフの道具ですね」
「ははあ……」
「威力増幅の魔法がかかった道具が補助して、範囲を拡大したぶん弱まった威力を穴埋めします。これなら、やり遂げられるかもしれません」
「つくってもらったのかな?」
ラグーザ冒険者ギルドは、サンローランの町にある。そう、エルフと共存している町に。
自然とある程度の交流は生まれるもので、彼女としてもそんな交流は嬉しい。
「ちゃんと代金をとっていれば、いいんですが―――」
マーラは懸念の滲む声で言う。
実際、一度、あったのだ。
マーラが小手先で腕輪を作ったように、エルフという希少種族にとっては、付与魔法も大して難しいものではない。
そのため、人族での価値を理解できず、ひとりのエルフが仲良くなった相手に気軽にあげてしまったのだ。
すると……ダニが湧いた。
―――その後の醜悪極まる流れは、口にしたくもない。
それ以来、エルフ族は無償で人族に魔法のかかったものを譲渡することを禁じている。
そのとき仲裁にはいり、そのルールを決めたのは、少女だ。
だから、少女でさえも、見合った金を支払っている。
「大丈夫よ」
マーラに、少女は微笑む。見た者に元気を与える笑顔だった。
「仮に無償だったとしても、あの子たちはそれを口外するほどバカじゃないわ」
「そうですね……」
マーラも、そこでこの話を終わりにした。
「白きつぶてよ、我が手に集まり嵐となれ!
氷嵐!」
詠唱が完成し、第一陣の氷の嵐が紅色の卵を薙ぎ払う。
魔法によって生み出された氷が、純粋なる炎の精霊力の結晶と激突する。
互いに相反する属性同士の衝突。
自らを押しつぶし掻き消していく氷に、炎が決死の抵抗をする。
吹きつける氷。
抵抗し、ますます美しく鮮やかに紅色が咲き誇る。
数瞬の拮抗。
敗れたのは、炎だった。
氷は次々に卵に着氷し、その力を対消滅で削っていく。
卵は見る見るうちに数を減らし、ゼロになった。
……魔法の範囲内は。
「おーやりますね」
「初回は無事成功、と。あと何回やればこれだけの数処理できる?」
「十回ぐらいは必要ですねえ……」
となると最初の問題に舞い戻る。
「魔力、もつかな?」
アーネストのパーティに加入している魔法使いは、人族だ。魔力適性値がめちゃめちゃ低い、人族である。
大多数の例にもれず、魔力がかけらもない少女なだけに、心配だった。
初回が成功し、魔法使いの顔にほっとした色が浮かぶ。他のメンバーたちもワッと湧き、肩や背中や頭をばんばん叩いて功をほめたたえる。
そして二回目、三回目と順調に初回の要領で成功させるが……。
「……そろそろ休憩入れた方がいいんじゃない?」
少女は心配になっていった。
魔法関係は分からないが、体調はわかる。
魔術師は胸に手を当て、荒い息をしていた。
「苦しそう……体力が持たないんじゃない?」
「魔法力は限界まで振り絞って空っぽにした方が成長しますから。限界まで見守りましょう」
マーラのにこやかな言葉にダルクはそっと天を仰いだ。
眼下のメンバーが魔法使いを労わり、小休憩をしようと申し出たが、魔法使いはそれを断って詠唱に入る。
「……火急の事態でない今は、安全策を取った方がいいんですけどね」
ひとの命がかかっている事態ではない。
なら、石橋を叩くよりなお慎重なほうがいい。
命は、ひとつしかないのだから……。
「私たちが見てるってことで、意地になっちゃってるんじゃないかな」
マーラはあの魔法使いを思い出す。何やらこちらに、敵愾心を抱いているような素振りがあった。
いや、敵愾心というより、同じ魔術師としての対抗心と言っていい。
「……人族がエルフに魔法で勝てっこないってこと、どうして判んないんでしょうかねえ……」
マーラはエルフとしては平均的な魔力の持ち主である。
だが、人族でマーラと肩を並べられる魔術師は、超がつく大天才、という事になる。
そう、「国割り」カールイーラルや、「山鎮め」パドレディンなどの、歴史上に名が残るほどの大魔術師だ。
そして、今現在、人族にはそんな魔術師はいない。
いま、人族の魔術師の中に、マーラに比肩できるほどの魔術師は、ひとりたりともいないのだ。
それが、生まれおちた種族の差だった。
敵わないものは敵わない。それをわきまえればいいのに、とエルフのマーラは思うのだが、少女は苦笑する。
この問題に関して、少女は彼と意見を異にする。
「あら、いいじゃない。目に見えるはっきりした目標があれば、追いつこうという意欲がわくわ。そして、いつかは本当に追いつくかもしれないわよ? 少なくとも、可能性はゼロじゃないわ。かのパドレディンだって、人族だったんだから」
その絶え間なき欲、上昇欲こそが、人族の最大の武器だ。
言いながら、少女は準備を始めた。
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