頭上で『大地の勇者』のパーティが見守る中、四回目の詠唱を成功させた魔法使いは、体を二つに折って胸に手を当てた。
心配そうに見守っていた仲間がすぐに駆け寄ってくる。
「ウィルっ、だいじょうぶか?」
「……だいじょうぶ、だ」
「少し休憩しよう。な?」
「駄目……だ。あと、もう一度だけ―――」
悠然と自分たちを見下ろしているあのパーティがいる。
―――エルフの分際で!
そんなことを思ってしまう己が情けない。エルフが虐待されていればなんてひどいと憤るくせ、どうどうと道を闊歩し、魔術師として自分より遥かに優秀な相手を見ると、胸の内で貶める思いが湧いてしまう。
―――エルフのくせに!
……種族しか、貶める材料がないから、それにしがみつくのだ。そんなこと、自分でもわかってる。
そんな自分の小ささに、情けなくなる。
あの勇者のように、種族の違いなどまるで気にせず、一人の人間として、相手が己よりずっと優れた魔術師であることを忌憚なく認められればいいのに――その度量は、自分には、ない。
「あと、もう一度だけやったら、休憩にする」
あと一度。それぐらいの魔力は残っている。
稀有な人族の魔法使いは、気合を入れて詠唱を始めた。
人族で、魔力を持つ者は珍しい。
そして、教会に取り込まれなかった者は、もっと珍しい。
世界で最も魔法能力に長けたエルフは人族とは仲が悪いし、他の種族も同様。そんなわけで、彼はどこのパーティからも引っ張りだこの存在だった。
至る所でちやほやされた彼の鼻っ柱を、完膚なきまでに砕いてくれたのが、サンローランを本拠地とするあのパーティだ。
噂は聞いていた。
でも、実際に、エルフという希少種族を見たことはなかった。
この広い世界で、その全種族の中で、最高の魔法適性値を持つ、森の妖精族。
それがサンローランの町では平気で闊歩している。
サンローランの町に来て、エルフとすれ違った。
それだけだった。
それだけで、彼は相手の力量を察知した。相手も。
そして、彼の方はその一瞬で生涯忘れられない刻印を受けたのとは対照的に、相手は、気にもせずに通り過ぎていった。
道端で、ほんの一瞬、すれ違っただけ。
―――それだけで、打ちのめされた。圧倒的だった。一生を鍛錬に費やしても、追いつけもしないだろうと思わせられた。
そして、それだけの傷を負わせておいて、相手は、それに気づきもしなかった。
悔しかった。
だからサンローランに来た。そこにある冒険者ギルドに加入した。魔法使いは貴重だったから、彼は諸手を上げて歓迎された。
……そして、毎日、屈辱を味わった。
悔しかった。
追いつきたかった。
彼らのいる場所に、行きたかった―――。
「ウィル!」
はっとした。
気づいた時には、魔法は手の中からすり抜けていた。
まずい、魔法が甘い!
魔力を精製し、魔法へと加工し、放つ。その過程の中途で魔法が解放される。
氷の嵐は、中途半端な威力で世界に具現する。
火炎の卵の表面を削り取り、そして中身の炎とのせめぎ合いに負け、氷の嵐は表層を削っただけで対消滅する。
それは、つまり。
最も最前列の火炎狼と、目があった。
うつくしい、深紅の瞳だった。
卵の中で眠っていた炎の獣が、むくりと体を起こす。
一瞬を凝縮した時間の中で、ありとあらゆる選択肢が脳裏をよぎり、消える。
……魔法は詠唱が間に合わない。
走って逃げようにも相手の方が足が速い。
肉弾戦は、論外。
―――死ぬ、と覚悟した。
上から下へ。斬撃が炎を切り裂いた。
そして彼は襟首を掴まれ、放り投げられる。
成人男子である彼が、十数メートルもの距離を投げられたのだ。
仲間の腕に抱きとめられ、彼はしばし呆然とする。
彼を軽々と小毬のように投げたのは、長い黒髪の少女だった。
そして、その数秒で、彼女は効果範囲の火炎狼すべての処理を終えていた。
神速の歩行で孵化しかけていた狼の間を駆け巡った少女は足を止める。
ちん、と、十数匹の狼を切り裂いた剣を、鞘に戻した。
そして、一触即発の危機をあっという間に片づけた彼女は、落ちついた瞳で言う。
「ここまでね」
そう言った少女を、もちろん彼も知っていた。
『大地の勇者』。
クリス・エンブレード。
大陸最強の勇者が話しかけたのは彼ではなく、彼を支えているリーダーのアーネストで、アーネストもほろ苦く頷いた。
「ああ。ここまでだ」
あの一瞬、上空に控えていた彼女が飛び下りて狼を斬り捨ててくれなければ、間違いなく彼は死んでいただろう。
少女は自パーティの魔法使いを振り返る。
「お願い」
「はい」
「了解」
エルフと魔族が、それぞれ魔法を放つ。
……彼とは、規模も威力もケタ違いの魔法を。
それを見ながら、パーティの仲間に介抱されながら、彼は必死に涙をこらえる。
―――これ以上、みじめには、なりたくなかった。
◆ ◆ ◆
ものの数分で、火炎狼の大群生は壊滅した。
彼が、半分を潰すのに一時間以上かけていたのは雲泥の差だった。
報酬は話し合いの結果、二分割することになった。アーネストは危ないところを救われたということで辞退しようとしたのだが、もらっておきなさいと言われたのだ。
勇者指定の仕事の報酬は彼らのような中堅からみれば極めて高額で、たとえ半分であっても、パーティの財務状況は非常に助かる。
依頼を解決し、帰途につく。
大地の勇者一行は華麗に飛翔呪文で帰っていったのに比べ、彼らは徒歩だ。
ショックを受けていた彼が、そのことについてメンバーの一人がブツブツ言っているのに気づいたのは、少ししてからだった。
「ひどいよね、乗せてってくれたっていいのに」
落ち込んでいて、しばらく外界の音が聞こえない状態だった彼は、そこでやっと顔を上げ、文句を言っている盗賊と、アーネストおよび他全員のうんざりした顔に気づいた。
「……何言ってるんだ? そんなの当たり前じゃないか」
「なんで? 自分たちだけ飛翔呪文でさっさと帰ってさ。そこは乗っていかないって声かけるところだろ。自分だけずるい!」
彼はしばらく唖然とする。
そして、アーネストと目と目で会話する。
―――どうする? これ。
―――お前に任せる。
―――冗談じゃない! リーダーはお前だろう。
―――ちっ。
押しつけ合って、貧乏くじを引いたアーネストが口を開く。
「あのなあ……、あのパーティは、俺たちのお守り役でもなんでもねーんだぞ? 好意で助けてもらって、しかも報酬まで分割してくれたのに、その上要求すんな」
「なんでさ! ウィルが半分やっつけたんだから、半分貰うのは当たり前だろっ。同じ依頼を共同でやったのに自分たちだけ勝手に帰るなんて自分勝手すぎるじゃないか」
何を言っているんだ?
本気で彼は相手の頭と正気を疑ったし、それはアーネストも同じだったらしい。
冒険者は、「自分のことは自分で」が基本だ。
相互扶助は美しい概念だが、今回、自分たちは一方的にあのパーティに迷惑をかけ、一方的に助けてもらい、あまつさえ報酬まで分割してもらったのだ。
それ以上を、どうして望める?
しかも命がかかっているわけでも何でもない、移動手段なんてことで。
「……たのむ、ウィル。俺、もう限界……」
アーネストは降参し、バトンを渡された彼は舌打ちした。
向き直る。
「―――じゃ、お前は大規模作戦で共同作戦したパーティ全員と一緒に帰るのか? 俺たちは馬車で帰るけど金がないから徒歩で帰るってパーティがいたら、そいつらのぶんまで金出してやるのか?」
「金かかることじゃない。乗せてくだけだろ」
「同じことだ。飛翔呪文は重量に応じて魔力を消費する。俺たちパーティ六人全員乗せたら消費量は倍以上だ!」
ごつい筋肉隆々の大男と、少女では体重が違う。
残りは魔術師ふたり。どちらもさほど重くない。飛竜は論外。自力で飛べる。
だが、なおも盗賊は言い張った。
「それぐらいいいじゃないか。仲間だろ」
彼はリーダーの方を向いた。
「………………アーネスト、悪い、俺も駄目だ」
アーネストは派手な舌打ちをした。
「いいからもう黙れ! 黙んねえと力ずくで黙らせるぞ!」
リーダーにして戦士であるアーネストの言葉に、盗賊は不承不承口をつぐむ。
魔法使いは、初めて彼らに同情した。
このような人間が、一人だけとは思えない。似たような事は、沢山あっただろう。
有名税とはいうが、彼らの苦労も、並大抵ではないだろう。
そう思うと、少しだけ、慰められた気がした。
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