二度目のデートの時は、とうとう言えなかった。
三度目のデートの日、ついに、言った。
その日、帰ってきた少女は、コリュウを抱きあげて顔を埋めた。
「……コリュウ……」
ひし、と抱きしめられて、コリュウは察した。
「……言ったの?」
「うん」
こくり。
「言った。それで……ごめんなさいって謝って、お別れしてきた」
「……え?」
予想外の言葉に、じたばたとコリュウが身をよじる。
「アランが、逃げたの?」
「ううん。アランが何か言う前に、さよならって言ってきた」
「……それは、ないんじゃないかなあ? 駄目だろうけどさ、アランはひょっとしたらそれでもいいって言うかもしれないよ?」
「言ったとして、どうなるの?」
鋭い矢のような声だった。
コリュウは息をつめてクリスを見つめる。
「……ごめん、コリュウ。でも、どだい、無理でしょ?」
捨てるものが多すぎる恋だ。
「人族の町で、コリュウは暮らせない……! 結婚したら、コリュウと離れなきゃいけない。マーラとも、みんなとも! それに、いつ何時、襲撃があるかもわからない!」
―――異種族から嫌われまくっている人族は、嫌われているがゆえに、異種族との交流が少ない。
「異種」への本能的な忌避感や、反発を、抑える術を知らない。異種族との付き合い方を、知らない。
アランが魔族の少年を思いやったように、ひとりひとりは善良であっても、それが町という共同体になった時、彼らは、異種のコリュウの存在を、許してはくれないだろう。
そして、アランは、パン屋の主人だ。
「……生まれ育った家と、故郷と、稼業を捨ててくれなんて、言える立場じゃない。そして……そして、私は、たくさんの守らなければならないものを抱えている!」
サンローランの町の、実質的な主人は、彼女だ。
彼女がいて、彼女が庇護した異種族たちが移住して、その異種族の特技目当ての人がやってきて……そうして、この町は大きくなった。
異種族を排斥する聖光教会がはこびるこの地域で、サンローランが誰にも恭順せず、独立を保っていられるのは彼女の力だ。
彼女が一声かければエルフたちが動く。
助けられた異種族すべてが動く。
その武力は、一国の軍勢さえも蹴散らす。
そして、大地の勇者を敵に回せば、彼女と親交の深い各国や、その庇護が受けられなくなった地域住民からも非難が上がる。
その勇名が、サンローランの町を守っているのだ。
その彼女が、一市民として勇者の名を捨て移住するなど、できない・・・・。
コリュウは、抱きしめられたまま、悲鳴のような少女の声を聞いていた。
「……ほんとのことを言って、逃げられたり、怖がられたりするのが、嫌だった?」
酷く長い沈黙があった。
「………………うん」
「だから、相手の答えを待たずに、お別れしたんだ?」
「………………うん」
コリュウは、息を吸い込む。
……クリスがアランと結婚したら、一緒にはいられない。そんなの、とっくにコリュウは承知している。
その時は、飛竜の里に、行こうと思っていた。
そこへ行き、実母や実父の親戚を探そうと。
そう考えるのはつらかった。
まだまだ、コリュウはクリスを独占していたいのだ。本音は。マーラにああまで言われて、仕方ないからその気持ちを押し殺しているだけで、コリュウだけのクリスでいてほしいのだ。
だから、うまくいかないといいと、心の中で強く思っていた。
だから、この展開は、すべてコリュウの願いどおりの、はず、なのに……。
―――あなたは、クリスの不幸を望むのですか?
……心に、深く、強く、マーラの杭が突き刺さる。
他人の無責任な押し付けじゃない。
マーラはクリスが好きだった。
これだけ一緒にいるのだ。あのエルフがどれだけクリスのことを大切に思っているのか、好きなのか、自然と伝わる。
優しく、包み込むような、泣きたくなるほど切ない想い。
この間まで、それがどういったものか、よくわからなかった。どういう種類のものか、分類するにはコリュウは幼すぎたし、マーラがクリスをとっても好きだということさえわかればよかった。
でも、この間、マーラが魂を自ら売り渡す人間のような荒んだ顔をしているのを見て―――わかった。
マーラはクリスが好きなのだ。
とっても、とっても、大好きなのだ。失う事を考えるだけで、あんな顔をしてしまうほど。
なのに、マーラは、クリスの味方だった。
パーティの中で、クリスが結婚することにいい顔をしなかったみんなを、マーラが説得した。クリスの為だ。
初めての恋に怖気づいていたクリスを説得した。クリスの為だ。
サンローランの町に帰って来てから、エルフの仲間と忙しそうに何度も話し合っているのも、クリスの為だろう。
クリスが立ち止まるたび、その背を押していたのを、コリュウは知っている。
……暁の竜騎士団は、全滅した。
よく、覚えている。強いパーティだった。今の自分たちが相手でも、不覚をとるかもしれないぐらいに、強い相手だった。負ける、とは思わないけれど。
―――十年後、クリスが生きている確率の方が、少ない。
恋の成就なんて、その人が生きていることの幸福の前には、些少にすぎない。
ことばではなく、態度で、マーラはそう言っていた。
だから、マーラは、クリスの為に……。
そして、コリュウは、そんなマーラを見て、やっと、クリスと離れる覚悟をした。
クリスが結婚をしたら、離れなくてはならないけれど、その時は飛竜の里に行こう、と思えた。
そうしなくてはいけないと、思えたのだ。
でも、本音は。
クリスと離れるのがいやでいやでたまらなくて、クリスがアランを選んだらその時は仕方ないから離れるけれど、心の中は呪いでいっぱいだった。上手くいかなければいいと、呪っていた。
「……ごめんね、コリュウ。あんなに応援してくれたのに。駄目なお母さんで、ごめんね……」
そんなことないよ!
うまくいかないほうが嬉しいよ!
クリスにとって、自分がいちばんであってくれるのが一番いいんだよ!
醜すぎる、自分の声。とても聞けたものじゃない。
クリスはコリュウを抱きしめて、そのまま動かなかった。
その顔を覗き込み、コリュウはぎょっとする。
食いしばった歯。日焼けした頬を、透明な涙が通り過ぎていく。
嗚咽を食いしばり、涙だけに変えて、彼女は自分の恋を弔っていた。
ごめんなさい。
コリュウは何度も何度も心の中で謝った。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
……上手くいかない事を願っていて、ごめんなさい。
→ BACK→ NEXT
- 関連記事
-
スポンサーサイト
Information
Comment:0