少女の方も修羅場だったが、言い逃げされたアランの方も、それなりに嵐だった。
言い逃げされてよかったかも、というのはアラン自身がそれを理解するのに多大な時間がかかったせいだろう。
……え?
……ええ?
大地の勇者? 大地の勇者って……誰が?
理解できずにいる間に相手はさっさと去ってしまい、残されたアランは時間をかけてやっとその事実を咀嚼した。
とはいえ、すぐに信じられなくても、無理はないだろう。
単なる村娘だと思っていた相手が、実は大陸全土に名を響かせる英雄でした、なんて言われて、すぐに信じたらそちらの方が心配である。特に詐欺師関係に。
かといって、あの少女の真摯な態度を思えば妄想と片づけるのも躊躇われ……とんでもない妄想家か、あるいはホンモノかと悩んでいた所に、ティルトがやってきた。
アランは弟のように可愛がっている魔族の少年を見つめる。
そういえば、この少年は貴族なのである。
英雄であるあの勇者とも、面識があっておかしくない。
そう思うと矢も楯もたまらず尋ねた。
「ティルト。クリスなんだけど、彼女が大地の勇者だって」
いうんだけど、本当? と聞くつもりだった。しかし、その言葉を言いきる前に。
「あ、名乗ったのか?」
何でもないことのように、ティルトが言葉を返した。
「……!」
絶句してしまったアランを真っ直ぐな目線で見つめ、ティルトは言う。
「黙っていてすまない。彼女が、素性を隠しておきたいようだったから」
固まったアランが、口だけを動かす。
「…………今日、デートでね、言われたんだけど」
「ああ」
「……ほんとの、ほんと?」
「ああ」
「…………いつから知ってたの? 最初から?」
「最初は、王に誓って気づかなかった。でも、アラン。私は、魔族だ」
「……うん、それが?」
「魔族は、強い相手に無条件で好意を抱く。そういう性質を持っている。当初、私は彼女に一目ぼれしたのかと思ったが――大地の勇者が、この町に来ているという噂を聞いた。できれば会って、もっとできれば一度立ち合いたいと思ったが、気がついた。勇者の容姿と、一目惚れした彼女の容姿は、共通点が多いことに」
十代の、長い黒髪の、飛竜の幼生を連れた少女。
これが、世間一般に流布している大地の勇者の姿だ。
気づかないのも無理はない。飛竜があまりにも特徴的過ぎた。
飛竜という特徴をとっぱらってしまうと、黒という色はありふれているし、女性ならば髪を伸ばすのが当然の常識である世界である。
「長い黒髪、青い瞳。……アランから聞いた、クリスという名前。そして、アランが貰ったその腕輪」
ティルトは、アランの左腕にはめられている白い腕輪に目を落とす。
アランも、それに手を添えた。
「……そうか……。彼女は、仲間のエルフに頼んだんだね……」
大地の勇者がエルフと親交があるのは、有名な話だ。
「だから、たぶん、彼女はそうだろうと思っていた。私が恋と勘違いしたあの衝動は、彼女が持つ力へのものだろうと」
「………」
「さすがは大地の勇者。我が師より、上位貴族より誘引力は上だ。王と戦い、退けられたとは言うが、それでも私などとは比べ物にならない」
誇るような、感心するような声だった。
アランはさすがにムッとしてティルトを睨む。
「ティルト……どうして教えてくれなかったんだ?」
「彼女は、隠しておきたかったんだろう。それを勝手に言うなんてできない。確証もなかったしな。相手が詐欺師や性質の悪い相手なら一も二もなく教えるが、相手は勇者だ。だったら黙っていたって問題はない。実際、アランは実害ないだろう?」
「それはそうだけど、でも……!」
憤懣やる方ない様子のアランに、ティルトは小首を傾げる。
「なぜ怒っている?」
「な、な、何故って……!」
「黙っていられたことを、騙されたと感じて、傷ついているのか?」
質実剛健、実用第一、おおざっぱにして度量が大きい、弱肉強食にして空気を読むのがとことん苦手、好意も悪意も直球ど真ん中ストレート、な魔族の一員であるティルトには、アランが不機嫌なことはわかっても、理由がよく分からない。
「確認したいが、彼女が、自分から、素性を明かしたんだろう?」
「……ああ」
「なんて言っていた?」
「……囮捜査の為に町娘の姿をしていたときにあなたに出会った、黙っていてごめんなさい、と……」
「最初から騙そうとしていたわけじゃない。仕事で町娘の格好をしていて、その時アランと出会って、言いだせなくなってしまったんだな。誤解の原因も聞いた。謝罪もされた。実害は何もなかった。何が不満なんだ?」
直球でばしばしと斬りつけられて、アランは考え込んでしまった。
胸の奥にわだかまる、暗く苦い感情。
「……裏切られた気持ちになったから、かな……」
「アラン。ひょっとして、どうして彼女が言えなかったのか、わからないのか?」
魔族であり、子どもであるティルトにさえわかること。
アランはさすがにカチンときてティルトを見返す。
「わかるっていうのか?」
「ああ。わかる。―――アランの事が好きだからだ。それ以外、あるわけないだろう?」
アランはぽかんとした。
「ためしに聞くが、もし最初から、彼女が勇者だと知っていたら、アランはどうした? 交際どころか話すことも躊躇われただろう?」
「……う……」
アランは苦い顔になったが、否定しなかった。
平凡な一庶民である彼にとって、大地の勇者は雲上人だ。普通に話しかけることもできない。
「彼女もそれがわかっていた。だから、隠したんだ。でも、良心の咎めか、なにかで、事実を打ち明けた。――そういう、ことだろう?」
「…………」
俯き、黙ってしまったアランをしばし見やり、ティルトは尋ねる。
「どうする?」
「どうする、って?」
「大地の勇者である彼女と、付き合い続けるのか?」
「……あ、そうか。言っていなかったっけ。振られた」
「―――振られた?」
「素性を…、言った後、もう二度と会わないって、言われた」
ティルトの目の色が深くなる。労わりの眼差し。
「……アラン。私は、あなたの気持ちを聞いているんだ」
思いやりのこもった深い声音だった。
「彼女が、アランに別れを告げた理由は、わかる。ただの村娘ならともかく、彼女は大地の勇者だ。正直なところ――アランでは支えきれないだろう。だから、素性を言うと同時に、終わりにした。でもな、アランは、アラン自身は、どう思っている?」
「……」
「素性を知り、怖気づいたのなら、たぶん、それが、いちばんいい。彼女が抱えるものは、一介の町人が受け止めるには重すぎる」
ティルトの言葉をアランは―――否定できなかった。
「だが、もし、アランが、それでもいいというのなら。彼女が大地の勇者であるという事実を受け止めて、彼女にまつわる様々な危険を丸ごと承知の上で、それでも彼女が好きであるというのなら、私は、アランに協力しよう」
少年の、生真面目な中にもせいいっぱいの好意の滲んだ言葉に、アランは、黙って目を閉じた。
……彼女が好きだった。
くるくる変わる表情、その生気に溢れた色々な顔。照れたり恥ずかしがったり笑ったりする顔。――それと裏腹の、時折見せるひどく老成した顔。
そのギャップに、強く惹きつけられていた。
二度目のデートの時には、約束通り手料理を持ってきてくれて、その張りこんだだろう豪華な内容に驚きつつも舌鼓を打った。
可愛いなあ、と。そういう、単純で、裏のない恋だった。
でも、彼女が抱えるもの、その背景を知って、それでも好きかと言われれば。
……心が怯む。
荷が重い、そう、荷が重すぎる。勇者の夫なんていう立場は、英雄譚に出てくる超人ではなく、ただの庶民として生まれ死んでいく自分には、荷が、勝ちすぎる。
葛藤するアランに、ティルトが話しかける。
「……自分には対処できない事象に対して、足がすくむのは、恥ずべき事でも何でもない。当たり前のことだ。そこで、意地を張っても、悲惨な結果を生むだけだ。怖いものは、怖い。できないものはできない。自分の恐怖を直視するのも、勇気だ」
―――自分の恐怖を、直視するのも、勇気。
その一言で、腹をくくった。
「……ティルト、ごめん。彼女と会いたい。連絡をつけられるかな?」
ティルトは、頷いた。
→ BACK→ NEXT
- 関連記事
-
スポンサーサイト
Information
Comment:0