サンローランの門前には、入門を希望する人間の列ができていた。数はざっと数十人ほどか。
列ができる早さもなかなかだが、解消されていく速度も早いので、さほどのストレスはない。
サンローランの門の前には小さな小屋が五つあり、それが順繰りに、人を吸い込んでは吐き出していく。
驚くのは、並んでいる人間のなかに、ちらほらと異種族が見えることだ。
ほとんど……七割が人族なのは土地柄というものだが、後の三割は明らかに異種族である。おかげで、ティルトやお付きの青年の青い肌も、さほど目立たない。
この町で、魔族は、珍しい存在ではないのだ。
アラン、ティルト、そしてお付きの青年二人は待つこと数十分で、その小屋の中に入った。
入門の審査官は、猫の耳をもつ獣人族だった。
アランたちを見て、猫の目がギラリと光る。
思わず体を固くしてしまうアランをよそ目に、ティルトは気にもしていない様子ですたすたと彼に近づく。アランも慌ててその後ろを追った。
獣人族との間には、横幅が長いテーブルが置かれていた。その上には、一抱えはありそうな、大きな石がある。
獣人族の若者は、男か女かわからない掠れたハスキーヴォイスで挨拶する。
「よくサンローランの町へお越しくださいました! さて、簡単な審査があります。こちらの石に手を触れて下さい」
石は、銀色の上に緑青をまぶしたような色で、金属色が混ざった美しい色模様をしていた。
磨かれておらず、表面はごつごつとしていて、見る角度を少し変えると、虹色のプリズムが出る。
磨いてもいない無骨な石、と見る人もいるだろうが、アランは掘り出してきたばかりのようなその野性味を、とても綺麗だと思う。
その石に手を触れる。表面は冷えていて、金属と石が混ざった感触がした。
そのまま、質問される。
「さて、かんたんな説明をさせていただきます。我がサンローランの町は、異種族が共存する町です。これをわかりやすく言いますと、人族を優遇しない町です。ご了承いただけますでしょうか」
「はい」
「町の中には無数の異種族がおります。あなたは、その異種族と仲良くする……必要はありませんが、傷つけることは許されません。よろしいでしょうか」
「はい」
「もちろん、異種族もあなたを傷つけることは許されません。この町では、種族に関わりなく、罪はきびしく罰せられます。人族であれば他の種族を傷つけてもいい、という考えは通りません。よろしいでしょうか」
なんで当たり前のそんなこと、わざわざ聞くんだろう―――と思いつつも、
「はい」
とアランは頷いた。
そして、それだけで終わりだった。
「次の方どうぞ」
次はティルトで、石に手を当てて同じことを説明され、それでおしまいだった。
お付きの青年二人も、同じだ。
説明されることはごく当たり前のことで、なぜわざわざ――と、思ったところで、気づいた。
――その、「当たり前」が、受け入れられない人間が、多いからだ。
四人全員が終わると、獣人族の若者はにっこり笑って、通行証を渡した。
「サンローランの町へ、ようこそ!」
◆ ◆ ◆
アランたちはサンローランの町に入ってすぐ、馬車を下りる事になった。
特別な許可のある人間以外、馬車を預けて徒歩で歩きまわるのがこの町のルールらしい。
その理由は、すぐにわかった。
地面が地面でないのだ。
「……浮いてない?」
「ふわふわしているな」
木の皮を裂いて、ひも状にして、編んだ敷物のように。地面は、細かい木の枝が覆っていた。その上を歩くと、地面とは違い、かすかな弾力がある。
踏む足を跳ね返す弾力は、落ち葉が幾重にも降り積もり堆積した豊かな森を歩く時に、よく似ている。
ティルトは感心しきったように言う。
「なるほど。よく出来ている」
「なにが?」
「ここは、真実、森の精霊族の
領域なんだ。森だ。エルフたちは結界の維持にもほとんど力を使う事がなく、使った力を循環できる」
「へえ……」
「あの壁がそのまま結界の境界だ。この町は広い。いくらエルフでもこれだけの範囲を結界で覆うのは大変だろうが、森がそれを補助している。使った分はすぐに他から補充され、補われる」
魔法に詳しくないアランは、こう理解した。
――要するにすごいんだな、と。
その時、アランの視界をよぎった人影があった。
目を剥いてしまう。
「ふわあわわわ……エルフだ、エルフだよ、ティルトっ」
「……ほんとうだ……」
ティルトも阿呆面でその後ろ姿を見送った。
長い緑の髪、尖った耳、細い肢体。顔はわからないが、どう見ても、あれはエルフだろう。
そのエルフは、一行の注目などなんのその、注視に気づきもしない軽やかな足取りで、すぐに見えなくなった。
そうして町を見てみれば―――顎が落ちそうな光景だった。
当たり前のように町を歩く、獣人族、人族、魔族。
顎を落としているアランと比べ、ティルトはそれほどでもない。免疫があるからだ。
しかし、場所柄を考えれば、驚きである。
ティルトは顎に手を当てて唸る。
「……ううむ、人族の町の光景とは思えんな。まるで魔族の町のようだ」
「え? なに? 魔族の町ってこんななの!?」
「もちろん、もっと魔族の比率が多いがな。まぜこぜ具合ではこんなものだ。……魔族は、人族とは違って余計な劣等感など持っていないからな……」
小さなティルトの呟きをうっかり耳が拾ってしまい、アランは衝撃を受けた。
……そう、人族の偏見は、劣等感の裏返しだ。
なんの特殊技能も持たない人族は、そうでない種族がうらやましくてならないのだ。
「――アラン?」
「あ……ああ、ごめん」
つい、物想いに耽ってしまったアランは顔を上げた。
「あそこに案内所がある。どこに行けば彼女がいるのか、聞いてみよう」
ティルトが指さす方を見れば、案内所という大きな看板と、地図があった。
この町の全景図だ。
アランは吸い寄せられるようにその前に立つ。
サンローランの町は、南を海に接した、卵型をした町だ。
卵の底の部分は海岸によって切り取られている。そして、卵の天辺と、その両脇に、門があった。
彼らがいるのは、北門だ。
北門からまっすぐ南にのびる大通りを、どこまでもどこまでもいくと、港に行きつく。
そして、町はいくつものブロックに区分けされ、許可なくして立ち入り禁止の場所が、たくさんあった。
どうやら、アランのような観光客が入れる区域は、限られているらしい。
「……もういいか? 案内所で聞こう」
地図に見入っていたアランははっとして振り返り、頷いた。
「こんにちは。どのようなご用件ですか?」
前に数人いたので少し待ち、中に入ると、そこにいたのは――アランは顎を落っことした。
透き通るような白い肌と、青い髪。長い睫毛の奥の瞳は森深く水をたたえた泉。とても美しい女性だった。
人族には青い髪はいない。明らかに異種族だ。しかし、どの種族かまでは判らない。
トーガのような、体に巻きつけるような衣を着ている。その衣装が、またよく似合っていた。
こんな傑出した美女に出会うのは初めてで、どきまぎしながらアランは言葉を紡ぐ。
「あ……その、大地の勇者に、会いたいんだけど……」
彼女の美しい容貌に、一瞬、警戒の気配が走った。
けれどもそれはすぐにかき消えて、彼女はにこやかに尋ねる。
「お仕事のご依頼ですか?」
普通の身なりの人族+上等な身なりの魔族の貴族の少年が一人、その従僕らしい青年が二人。
見るからに、何をしにやってきたのか分からない一行である。
「いえ、その……」
なんて言えばいいのか、言葉を探しあぐねていると、どこからか黄色い蝶が入ってきた。
手のひらほどもあるその蝶は、ふわりと優雅に空を飛び、女性の青い髪に止まる。
その瞬間、女性の動きが止まった。
アランが目を丸くして見ていると、五秒ほどして、女性は深々と頭を下げた。
「たいへん失礼いたしました。勇者さまのお客様の、アラン様ですね。マーラ様より、ただいまご指示を承りました」
「マーラ……?」
初めて聞く名だった。アランは首を傾げる。
「勇者さまのお仲間にして、エルフ族でいらっしゃいます。あなた様のご訪問を察知なさり、使いを遣わされました」
サンローランの町に一歩入った瞬間、アランがはめていた腕輪に、結界が反応したのである。
そして、結界担当のエルフが腕輪の魔力を感じ取ってマーラに連絡したのだ。
「使い? ……あの綺麗な蝶?」
「はい。賓客として、くれぐれも失礼のないようにせよとのご命令をいただきました」
「ひ……っ、賓客とか、そういうのじゃないですよ! 普通でいいですから、普通で!」
焦って手を振ると、彼女は小首を傾げた。
「ふつう、に対処いたしますと、アラン様が勇者さまに御面会を申し込み、受理されるまで半年は優にかかるかと思われますが……」
その時間に、唖然としてしまう。
「…………半年?」
「お身元の調査、面会の理由などの聞き取りを何度かいたしまして、問題ないようであれば受理されます。それに約半年ほどはかかります。その後、順番を待ちまして、面会が実現するまでに一年ほど更にかかります」
顎が落ちるかと思った。
「……みんなそんなに待つの? てか、仕事のときとかどーすんの?」
そう言いながらアランはあることに思い至り、納得した。
そうか、これは、つまり、庶民レベルで考えているアランの方がおかしいのだ。
相手を国王陛下だと思えば、この対応はまるでおかしくない。普通だ。むしろ、時間さえかければ会ってくれるというのなら、ずっと寛大だ。
「お仕事のご依頼ですと、勇者さまではなく、ラグーザ冒険者ギルドの管轄になります。依頼人と勇者さまの直接の接触は認められません。あくまでご依頼人はギルドに依頼、という形となります。勇者さまへの最低依頼金額は、五十万からになります」
アランは茫然と、つぶやく。
「………………五十万?」
冗談ではない。アランの年収だ。
ティルトの申し出に、少女がまったく心揺れなかった理由が、うっすらとわかってきた。
彼女は、つまり、ティルトより―――。
「マーラ様より、アラン様には最大級の便宜をはかるように、とのご命令を受けております。御面会を望まれるのでしたら、明日の夕刻よりギルドでお待ちしているとのことです。お受けされますか?」
「…………はい」
半分以上、茫然としながら、アランは頷く。
「それでは、そのようにご用意させていただきます。宿の方はもうお決まりですか?」
「……いえ」
「それではこちらでご用意させていただきます。また、こちらの蝶ですが」
彼女は自分の髪にとまった黄色の美しい蝶を、両手ですくい上げるようにして取り、アランの髪に置いた。
「こちらは、勇者さまの賓客であるという証になります。そちらをつけているかぎり、この町での安全と身分は保障されますので、どうかそのままにお願いします」
彼女の青い長い髪に、黄色の蝶はまるで髪飾りのようによく映えていた。
男が同じことしてもなあ……とは思ったが、この場合は仕方ない。大人しく受け取り、髪に置いた。蝶は大人しく、重さもないのでほとんど存在を意識させない。
アランの髪の上で、蝶は一度、展翅を広げ、そして、閉じた。
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