蝶はまさに劇的な効果を表した。
店を冷やかせば、
「あ、勇者さまのお客様ですね! どうぞどうぞこちらをお持ちになってください。お代? いりませんよ!」
食事をしに店に入れば、
「勇者さまの縁者の御方ですね。どうぞこちらに。お席を用意させていただきました」
と、明らかに特別室を用意され、
用意してもらった宿に入れば、
「お待ちしておりました。どうぞ、こちらの部屋になります」
と、最上級の部屋に案内された。
その部屋というのがまたオソロシイもので。
「……ティルト。ここで寝るの?」
「何か不都合があるのか?」
と、貴族の少年は言う。
「…………今僕の靴の下に敷いている敷物のほうが、僕が普段寝ているベッドよりずっと質がいいと思う……」
「蝶の御利益だな。アランには魔力がなく、メッセージを伝えることができないから、あの女性に代弁してもらったんだろう」
「大地の勇者って一体どんだけ……」
ティルトはさらりという。
「この町の、主人のようなものだ。実質的な、な」
「主人?」
「これだけの規模の町が、たったの三年でできることは、普通ない。だが、この町はできた。何故だと思う?」
「……ええと」
「エルフが、その魔法で、山を削り、壁を築き、土地を平らにしたからだ」
この世界で、エルフほど魔法に長けた種族はいない。そして、ここには、そのエルフが集団でいた。
人が作れば数年かかる城壁も、開墾も、建築も、山を均すことさえ、エルフが束になって魔法を使えば容易なことなのだ。
「エルフが築いた壁だから、広げるのも自由自在だ。地面をならすのもな。普通の石壁なら、あの都市壁を作るだけで優に三年はかかる」
アランも頷いた。
「そして、そのエルフは、大地の勇者に親愛を誓っている。わかるか? 彼女のためなら、エルフは動く。無論、彼らにも意志があるから何でもとはいかないだろうが、……自分たちと同じように故郷を追い出された種族に安住の地を与えたいから協力して、と言われれば、協力しないわけにはいかないだろう。数年前の自分たちなのだから」
「……」
ティルトは諭すように言う。
「わかるな、アラン。実質的に、彼女は、この町の主だ。そして、お前は、その主の賓客だ。町の人間の態度も、それなら納得できるだろう?」
「…………頭が混乱してきた」
どさりと、体を投げ出すようにして寝台に座る。
そうすると、旅の疲れをどっと意識した。
サンローランの町は見るものすべて珍しく、興奮していて今まで気がつかなかった。
宿に荷物を置いたらもう一度観光に行こうと思っていたのだが、どうにも体にからみつく泥土のような疲れと、清潔で柔らかいベッドは拭いにくい誘惑と化してアランを襲う。
三日間、馬車に乗り続けだったのだ。
いかに貴族の馬車であっても、さすがに疲れた……。
「……今日は僕はもう休むことにする。ティルトは?」
「アランなしじゃ、行く気になれない。私もそうする」
恐ろしいことにこの部屋は、「主人用の部屋」と「召使い用の部屋」とくつろぐための部屋という三間構成となっている。
アランとティルトがいるのは、もちろん主人格の部屋だ。
「……そぼくな、フツーの女の子と思っていたんだけど、なあ」
「普通の女は、私の求婚を一蹴しないと思うぞ」
「う……」
ティルトは、アランの髪についたままの黄色い蝶をそっと両手ですくい取る。
蝶を目の高さまで持ち上げると、ティルトは生真面目に話しかけた。……蝶に。
「明日、異種族立ち入り禁止の区画に行きたい。受け入れてくれるだろうか?」
「……何してんの?」
アランは声をかけた。普通の相手なら、気でも違ったかと思うところだ。蝶相手に話しかけるなんて。
「マーラとか言っただろう。この蝶のあるじは。彼に話しかけている」
アランは首を傾げた。
「…………それ、蝶じゃない?」
「ああ。それが?」
平然と返され、首をますますひねる。
「……その蝶がその、マーラっていう人なの?」
「いや、これは彼が生み出した魔法生物だ」
「まほうせいぶつ?」
「…………」
要領を得ない質問攻めに、さすがにティルトにもうんざりした表情がよぎる―――が、少年は見上げた忍耐力を見せた。
苛立ちをぐっとこらえ、丁寧に説明する。
「……アラン。高位の魔術師は、自分の目となり耳となる生物を生み出し、使役することができる。この蝶がまさにそれだ」
「これが?」
「そうだ。この蝶が見聞きしたものはすべて主人に届く。そして、マーラとかいう人間は、この町でも主要な人間だろう。彼に許可をもらえれば、私たちでも入れるはずだ」
「……行きたいの?」
「飛行種族……有翼人を見てみたい」
アランもこれにはぐっときた。
彼の住む町は、サンローランから近い。そのため、サンローランから飛び立ったり、サンローランに戻ろうとしている有翼種族がよく上空を横切るのだ。
いつも、あっという間に通り過ぎてしまうのだけれども―――翼持つ神秘の種族への興味は、アランにもある。
有翼人は、獣人族ではない。空の精霊族である。
しかし、空を飛べる、という一点において鳥獣系の獣人族と共通しているため、彼らをひっくるめて飛行種族と呼ぶこともある。
このサンローランの町で、彼らはその特殊能力を生かして「郵便屋」をやっていた。
早馬でもひと月の距離が、彼らの翼ならひとっとびである。料金は少々高いが、早さと確実さがなにより重要な場合、これほど役に立つものはない。
「アランからも頼んでくれないか?」
少し悩んだが、少しだけだった。ティルトには今回借りがたくさんできてしまったし、アランも見たい。
「……わかった。僕も見たいしね」
アランはティルトの手から蝶を譲り受けて、頭を下げた。
「お願いします、マーラさん」
蝶はアランの手の中で
翅を閉じ、しばらく考えるふうだったが、やがてその翅を広げた。
ふわりと舞い上がり、ティルトの頭に着地する。
ティルトは口を開いた。
「……許可する、と言っている気がする」
「気がする?」
「種族が違うから、伝達がうまくいかないんだ。アランは魔力がないから聞くことすらできないが、私は魔力があっても種族が違うから、大まかな意志しか伝わらない」
人族はほとんどが魔力を持たない。
そのため、魔法学について、他の種族より無知だ。
「ふうん……」
と、アランは頷いた。
何が何だかよくわからないが、そういうものなのだろう、ということで納得することにしたのだ。
これは少女も同じで、自分にはないし理解もできない「魔力」について説明されても、「よくわからないけどそういうものなのだろう」というのが、精一杯の理解である。
誰が悪い、というものではなく、人は、己が持たない能力について説明されても、理解できない。そういうものなのだ。
「聞いておきたいが、アランは、彼女と結婚したいのか?」
「……」
アランはティルトを見返した。
少年の顔は引き締まり、少しの甘さもない。
彼は、真剣にそれを聞いていた。
思えば、彼にとって彼女は初恋だろう。
その進退に関わることだ。無関心では、いられない。
アランは、右の手首を押さえ、黙って首を横に振った。
「いいや。ティルトにはわるいけど、その気はないよ」
何もかも捨てて彼女を選ぶ、というほど強い思いは、アランにはない。
……それに、覚悟もない。
この広大な町を実質手中にしている彼女と結婚なんて、恐ろしさが先に立つ。
「……。この町はいいところだぞ。ほら」
ティルトは、窓を開け放つ。夕暮れに染まりつつある町のそこここに、明かりがぽつぽつと灯り始めていた。
それ自体は、珍しいものではない。が―――。
「……なに、あれ……」
「精霊族の、捧げものだ」
町の角によく見かけた、石造りの細長い灯篭。
そこに青白い燐光が宿っていた。
おかげで昼間同然とはいかないが、道を手燭なしで歩けるほどには闇が薄い。
「あの灯篭は、この町に受け入れてもらったとある種族が謝意で送ったものだという。夜になると、自動的に明かりがともるあれのおかげで、この町には、真の意味での闇はない」
「……ティルト、詳しいね……」
初めて来たと言っていたのに。
感心して言うと、ティルトは頷いた。
「ずっと来たいと思っていたから、いろいろ聞いていた。さいわい、ここは魔族も拒絶しない珍しい町だから、ここを訪れたことのある人間をつかまえては話を聞いた」
旅立つ前の情報収集は常識だ。
ティルトは生真面目に、念を押すように尋ねる。
「いいのか? その気になれば、アランはこの町の主になることだってできるんだぞ?」
アランは苦笑してかぶりをふった。
「僕はそんな器じゃないよ」
アランは自分で自分を知っている。
町一つの主になるだの、勇者の夫だの……とてもじゃないが怖気づくことしかできない凡人だ。
自分は、しがないパン屋の主人で、それ以外の何者でもない。そんな大役を果たせるような人間じゃないのだ。
アランは、手首を押さえながら言う。
「……僕がここにきたのは、そういう理由からじゃない」
◆ ◆ ◆
その日はそのまま宿に泊まって旅の疲れを癒し、翌日は早朝から町へ出た。
サンローランは、とにかく変わった町だった。
街中、いたるところに異種族がいる。
そして、人族は大きく二極化した。
ぽかーんとそれを眺めているアランのような外部からの客と、当たり前のように接している住民と。
「―――あれ? 聖光教会の教会、ないね」
町の中央には、たいてい、聖光教会の大きな教会があるのだが……。
そう言うと、ティルトは呆れた顔をした。
「異種族は人族の奴隷です、なんて言っている宗教がこの町で受け入れられるはずがないだろう」
「……ごもっとも。えと……、でも、そこまで露骨なことは言っていないと思うよ?」
「暗に言っている。人族を助けようとしないのは
獣だとか、助け合いの精神を理解しないのは人間ではないとか、いろいろな」
「……うう」
反論できずに、頭を抱える。
ティルトはそんなアランをちらりと見ていう。
「人族にとっては、心の支えということでいいんじゃないか? ……押しつけさえしないでくれれば、私もアランの宗教が何だろうと気にしない」
世の人族がほとんどそうであるように、アランもまた、聖光教会の信者である。
アランの住む町では聖光教会の信者であることが、良識とイコールで結ばれているほど影響力が強く、ほぼ全員が信者なのだ。そうでなければ村八分にされてしまう。敬虔かどうかは、また別だが。
足元の柔らかい感触にも、すぐに慣れた。
歩きにくさは意外にもない。
体重を優しく受け止めてくれる心地良さがある。
町はかなりの賑わいを見せていた。
行きかう人々は異種族も沢山いて、最初は一々驚いたり思わず身を引いたりしていたアランも、すぐに慣れた。
道の両脇には樹木が生えていて、その樹木と樹木の間に日よけの布をかける形で、店があった。
いわば、柱の代わりを木がしている状態だ。
壁は煉瓦で、木と木の間を詰めるように築かれている。
「なんだろう、あれ」
露天にならぶ、変わった形の赤い石を見てアランは首を傾げる。赤と、ピンクのグラデーションになっている石で、ねじったような形をしている。
店を出しているのは人族ばかりではなく、異種族も多い。
主に、食べ物や加工物系が人族で、異種族は素材を売っている事が多いようだ。
「
赤蝶貝だな、その隣のものは私も知らない。あ、あれは南国の果物だ。港から陸揚げされたか、飛行種族が持ち込んだのか……?」
珍しいものがたくさんあって、つい足を止めてしまう。……が、そうして店を眺めていると相手もアランの方を見る。
そうして蝶が見つかると「おもてなし」が始まってしまうので、アランは早々に蝶を頭から外した。
「すみません。見られると、ちょっと厄介なことになるので、ポケットに入っていてください」
と、謝って胸ポケットに入れた。
それからは大仰にもてなされることもなく、気楽に店を見て回ることができた。
そうしながら、アランは尋ねた。
「ティルトは、どうして来てくれたのかな?」
「――? 何度も言っただろう。私自身が、サンローランには前から来たいと思っていた。ちょうどいいきっかけだったからだ」
アランはため息をついた。
「ティルト……。僕を、そう見損なわないでほしいな」
少年は体を強張らせた。
「君とも長い付き合いだ。君が、僕になにか隠し事をしているのぐらいは、気づいているよ」
じっとりした目で見つめてみるが、少年は顔を強張らせたまま、口を開こうとしない。
しばらく待ったが、ついに諦めた。
苦笑しながら、その頭を撫でる。
黒髪、黒い目、青い肌。どこから見ても魔族の貴族の少年は、取るに足らないひ弱な人族の青年に、黙って頭を撫でられていた。
「……助けてもらったことは確かだから、聞かない。でもね、ティルト。君が僕を助けてくれるように、僕だって、君に何か困ったことがあったら手助けしたいと思っているんだ。僕に手伝えることがあったら、言うんだよ?」
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