「……わ、若様……?」
自分より遥かに大きなアランの体を軽々と持った少年は、従者の一人に渡す。
「ゴーント。アランを連れて、とにかく逃げろ。ここは戦場になる。お前が守れ。傷のひとつもつけるな。いいな」
もうひとりの従者は、混乱しきった様子で言う。
「な、なにをなさるのです? ここは大地の勇者の領域。事を起こせば、かの者が黙っておりません! 大地の勇者と全面対立するのはあまりにも危険が大きすぎます!」
彼らは、何も聞いていない。突然の主の行動に、混乱していた。
ティルトは頷く。
「大地の勇者と対立するのは、確かに危険が大きいな。だが、ここで私が大地の勇者を討ち取ったらどうだ?」
「……」
息を呑み、魔族の青年は主人を見つめた。
「あと十分もすれば、勇者はここに駆けつけるだろう。そのとき、私がその首を取ったら? ここにいる希少種族すべてを支配下におけば、どれほど我が国の利益となると思う?」
青年は深く押し黙り、やがて目線を上げ、推し量るように、問う。
「……勝算が、おありだと?」
「ある。まあ見ているがいい。あの女の生首を手に入れ、あの体を喰らってやる。そうすれば、お前も、意見を変えるだろう?」
どうしようもなく湧きおこる違和感に、従者は戸惑っていた。
若君はいったいどうしたのだ。
彼の知る主人は、年若いが思慮深く、決断は果断だが、決して、無謀ではないし愚かでもない少年だった。
こう言っては何だが、主人に、大地の勇者が討てるとは思えない。
一対一ならまだしも、ここは勇者の本拠地だ。力を貸す人間など、いくらでもいる。仲間の招集も容易だろう。
同僚を見れば、同じ困惑の最中にあることがわかった。
「ゴーント。早く行け」
主人が退避をうながす。混乱しながらも、命じられた命令が実行に躊躇があるようなものではない同僚は主人の友人を抱き抱えて走りだそうとした。
―――その時には、すべてが終わっていた。
「この町で、狼藉しようとするような愚か者は、ひさしぶりね」
予想より、ずっと早く、そう声がかけられたのだ。
女性の、アルトの声。
ぴんと引き締まった絃を思わせる、適度な緊張感のある声。
強すぎる絃は弾けて切れる。弱すぎる絃は音すらしない。
恐怖に恐れおののく声でなく、さりとて平常時の緩みきった声でもない。僅かな恐怖をスパイスに、己を律し、緊張によってその存在を高みに追い上げている声だった。
―――早すぎる!
いまだ、主人が空の精霊族に乱暴してから五分と経っていない。
魔族の少年にとっても、その速度は予想外だったのだろう。驚愕の顔で、声のした方向へ振り返ろうとした。
その喉元にぴたりとつきつけられた。
少年の動きが、上半身を捻ったその状態で、止まった。
そこにいたのは、無論、彼女だ。
「―――動かないで。魔法を使おうとした瞬間、私はあなたを殺すわ」
落ち着いて冷えた声の、宣告。
……彼女はやるだろう。子どもであっても。
そう思わせるものがあった。
数知れない人間の命を奪ってきた者の凄みが、込められた声だった。
二人の従者もすぐに
それに気づいた。―――いつの間に。
捕縛の魔法に囚われて、一歩たりとも動けない。いったいいつ、と考え、この町に入った瞬間から足裏に『森』を踏んでいたことを思い出した。
術者の指令ひとつで自由を奪えるよう、魔法の下準備をされていたのだ!
「あなたには、束縛の魔法がきかないみたいね。なぜ?」
「……準備を、してきましたから」
剣を突きつけられ、下半身はそのまま、上半身だけをひねった状態で動きを止められた少年は、苦しい声を上げた。
「……向き直ってもよろしいですか?」
「ゆっくりと、振り返りなさい」
許可をもらい、少年はゆっくりと、向き直る。
その顔を見た瞬間、少女は息を呑んだ。
「お久しぶりです、わたしを、覚えておいででしょうか?」
「―――あなた、誰?」
固い声で、少女は返す。
少年とは前に一度会っただけだ。覚えていなくても無理はない。
「以前一度だけご尊顔を拝する栄に浴しましたがお忘れですか。私は」
「そんなことを聞いているんじゃないわ。
―――その子の体を乗っ取ったあなたは、誰!」
従者も、マーラも、コリュウも、目を剥いた。ダルクはいない。彼は外出中だ。
従者二人はその言葉を聞いて驚くと同時に、腑に落ちた。らしからぬ態度も、それですべて納得がいく。
「ゆ、勇者さま! 若君は、体を乗っ取られているというのですか?」
少女は厳しい目で少年を見ていた。
「……どうやって、入口のチェックをくぐりぬけたのかと思ったけれど、そういうこと……」
町の入口で、すべての入門者は、石に手を当てて質問に答えた。
あの石は、実は鉱物ではない。鉱物種族なのだ。
彼らの特長は、「嘘を見抜く」力。
本心を隠し、表面だけ綺麗なおべんちゃらで済ませようとしても、彼らの目はごまかせない。
体に触れなければならない、という制約があり、また、その時は本心でもその後心変わりしない保障はないものの、とても有用な能力である。
サンローランを訪れる者はその力で、邪なたくらみがないか、検査されるのだ。
単純だが強力な、守護だった。
「クリス……ほんとうに? 傀儡の魔法も、遠隔操作の魔法も掛けられてる気配はありませんよ?」
背後から、マーラの疑念を含んだ声がかかる。
竜族のコリュウも、目をいっぱいに見開いて少年を見つめても何もおかしなところがなく、迷う様子だ。
少女には、魔力がない。
だから、他のメンバーにわかっても少女にはわからないのならわかる。
なのに―――。
注視の中、少年は唇に笑みの形を宿す。
「……さすがですね。あなたには、見破られるかもしれないと思っていました」
少年は、諦念の中にもかすかに嬉しそうにそれを認めた。
落雷のように、驚きが走る。
「犯人」が犯行を認めたことで、憑依は事実として確定した。
「……間違いないわ。私の目には、この子の顔に二重写しになって、白い顔が見えている……。みんな、本当に見えないの?」
逆に、他の皆が見えないのが信じられない。
少女自身、なぜ自分にだけかと困惑があるが、見えるものは見える。
「他の者に私のことがわからないのは、仕方ありませんよ。むしろ、私がわかるあなたが特別なんだ」
「……」
「私を見破れるのは、この世でただひとつの職業だけです。勇者、というね―――」
驚きの波が、二人の魔族の青年とマーラ、コリュウの間を駆け抜けた。
そして、少女は表情を変えない。ぴたりと首元に剣を突きつけ続ける。
それを無視し、悠然と、少年は言う。
「あなたがこの体の首を落としても、私は死なない。この場にいる誰かを乗っ取るだけです。お次は、あなたのお仲間に移りましょうか? あなたは、大事な仲間を殺せますか?」
少女は即座に返した。
「その身体から出て、誰かに憑依する前に、殺すわ。私の剣は比類なき名剣。精霊さえも斬るこの剣に、斬れぬものはないわ」
「残念ながら、それは間違いです。それは魔剣。魔に属するもの。神聖系の魔法に弱いことからも、それは明らか。魔に属する力では、私は滅ぼせない」
敵の言葉を信じるほど、愚かなことはない。
真実である保証はない。
口からデタラメを言っているかもしれない。
可能性は高い。……でも、本当のことを言っているかもしれない。
見破る方法はなく、賭けるものが、大きすぎる。
ここで、少年の首を落とすのは容易だ。だが、それは、何の罪もない子どもを犠牲にするだけかもしれない。そして、次にはコリュウやマーラに移るかもしれない。
少女は内心でうめく。
戦場の駆け引きで、完全に上手をとられた。一か八かをするには……あまりにも、賭けるものが大きすぎる。
ひとりの、罪なき子どもの命。
得るもの少ない賭けに出るには、賭け金が大きすぎた。
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