「……あなたは、何者なの」
少年は、表情を消した。真顔で、彼女を真っ直ぐに見つめる。まるで、恋をした少年が想い人を見やるような真摯さで。
「わかりませんか?」
「……え?」
「私を、覚えていませんか?」
少女は記憶を攫うが、もちろん、会ったことなどない……はずだ。こんな、人に乗り移り意のままに操るタイプの魔物は、会ったことも聞いたこともない。
少女は探りの質問をする。
「いつ、私があなたに会ったというの? 何年前? あなたが、誰かに憑依していないとき?」
こんな、顔の脇にもう一つ顔が見えるような人間に会ったら、絶対に覚えているはずだ。
「あなたが、いまのあなたとなるまえに」
「私が、
勇者になる前……?」
その言葉を、彼女はそう解釈した。
魔族の少年は、朗らかに笑う。
「剣を引いて下さい。さすがに、首が寒いです。あなたも、罪のない宿主を殺すつもりはないでしょう?」
「……その子の体から、出て行きなさい」
「嫌ですよ」
即答。それに激しく反発したのは、少年の従者たちだ。
「な……っ! 貴様! 若様を解放しろ!」
「そうだ! 体が必要なら私の体をやろう! だから若様を解放しろ!」
少年は鬱陶しげに、騒ぐ彼らを一瞥する。
「私たちは、宿主の記憶も、感情も、所有します。宿主が大切にしているものは私にとっても大切です。ただし、強い想いでないと、共有はしません。だから―――」
少年が腕を上げる。
従者たちが飛び退く。
掌から放たれた巨大な力が、その場を通り過ぎた。
「―――
五月蠅い。大人しくしてろ」
「魔法? 気?」
呪文の詠唱がなかった。魔法道具を使う様子もなかった。
となれば後は特殊スキルの領分だが―――その場合特定は至難だ。可能性は種族の数だけある!
「マーラ! 今のわかるっ?」
「わかりません!」
焦りながらマーラは叫ぶ。
これまで見たことのあるどんな力とも違う。異質な力だ。
この、憑依をこなす種族特有の能力である可能性は、かなり高い。
「さて、大地の勇者。甘くて甘くて仕方のないあなたは、何の罪もないこの少年を殺せない。殺したら、あなたの大事な仲間が次の犠牲者になるかもしれませんしね。さあ、どうします?」
少女はこの少年を殺せない。
そして、不気味な防ぎようのない力を持っている。
少女は冷静に、口を開いた。
「―――要求を聞きましょうか。あなたは、一体何のためにここに来たの?」
「空の精霊族」
即答だった。
「ひとりでいいんですよ。空の精霊族が、欲しいんです。それと、この樹の一枝が」
少女はそれを聞いても何の反応もなかったが、マーラは気づいた。
「まさか―――あなたは」
少年は眉を上げる。
「さすが最古に近いほど古くより続く種族。知ってましたか。そう、私たちは、天空を統べる神に、会いたい。それだけです」
「―――空の精霊族が、聞くはずがないでしょうっ!」
少年は微笑した。いや、子どもの浮かべる微笑ではない。もっと、ずっと、ぞっとする笑顔だった。
「問題ありません。取り憑けばすむことです」
「―――クリス! 捕らえてください! 殺しちゃ駄目ですよ!」
ムズかしいこと言ってくれるなあと、思いつつ。
少女は剣をふるった。
「!」
初撃をかわされた。
動揺を抑え、剣を返し、連続で剣を叩きこむ。二撃、三撃。閃光に等しい速度の彼女の斬撃すべてがかわされ、そのまま距離を取られる。
彼女の剣をかわした!
コリュウも呆気にとられつつも、きちんと己の仕事をした。
かぱりと口を開き、火炎を吐き出す。背後にそびえる樹に被害が及ばぬよう、抑えた炎だが移動半径を著しく狭める。
そこに距離を詰めた少女が迫る。
今度こそ避けられないと確信しながら放った一撃は、硬質の音で迎えられた。
少女はとうとう驚愕に目を見開く。
「あなた……」
「魔剣は何でも切れる―――わけではないと、あなたも知っているでしょう?」
少年は、藍色のオーラを帯びた剣で一撃を防ぎ跳ね返したのだ。
「戦士なの?」
戦士系の下級スキル、「硬化」。
下級スキルだが、ものは使いようとはよく言ったもので、そのスキルを徹底的に強化することで、魔剣にすら負けない強度を得た戦士が、かつていた。
そう、魔剣のアドバンテージは決して絶対のものではない。知恵と努力で、それに追いつき、しのごうとする人々の研鑽は、魔剣の所有者を絶対無敵の地位に安穏とさせないのだ。
人族の飽くなき探求心と努力。
そうした煌めきを、少女は人族のひとりとして、誇りに思う。
「いえ。職業としては、宿主と同じ魔法戦士です。補助系魔法の重ね掛けを徹底すれば、魔剣にも負けない強度になりますよ。宿主は補助系が苦手ですが、私は別にそうではありませんから。
今証明したように、私の反射速度はあなたと伍する。剣の有利もない。そして、あなたは、私を殺せない。どっちが不利でしょうね?」
「―――」
少女は、感情を排した目で少年を見る。
その背後で、マーラは、コリュウに目配せした。
前衛が食い止めている間に、後衛が仕掛けるのがセオリーだ。
先ほどから、問答の最中も含め、少女は充分すぎるほどの時間を稼いでくれた。その時間を使って、マーラは合計五つの魔法を紡いだ。
捕縛系、毒系、攻撃系、精神操作系、時間操作系。
しかし、どういうわけか、そのどの魔法も通じないのだ。
魔法が効かない。
エルフならば卒倒してもおかしくない事態だが、豊富な実戦経験によって、彼は何とか動揺を最小限に食い止めた。それができたのは、相似の経験があったためだ。
動揺を押し殺し、焦燥とともに対策を探る。
どれほど信じがたくても事態を受け入れろ。魔法は通じない。では他に自分に何ができる? これまでの全てを思い出せ!
捕縛は、難しい。だが、どうしても捕らえたい。だが、その手段が……。
マーラから鋭い声が飛ぶ。
「神を呼びだして、どうするのです!」
答えないだろうと思ったが、予想外に、少年はすんなり口を割った。
「我が種族に掛けられた呪いを、解呪したいだけです」
「え―――」
よく似た話を、聞いたことがあった。割合最近。
『呪い』とは、神の怒りにふれて起きた現象の総称である。
「まさか、あなた、竜族?」
少年は怪訝な顔になる。
「いえ? ちがいますが」
その率直な答えに、少女も思い違いを悟る。
少年は、自分の体を撫でる。慈しむように。
「我が種族は、その昔、神の怒りに触れて、肉体を奪われてしまったのです」
それが、「呪い」。
「私たち一族の願いは、その呪いを解きたい。そして、その呪いを解くために、空の大神を降臨させたいのです」
少女は少年から目を離さず、背後に声をかけた。
「マーラ。空の大神とやらを呼ぶために、空の精霊族が必要なの?」
「……ええ。空の大神は、現世ではなく、こことは違う世界、神界にいます。現世に召喚する魔法は、空の精霊族の、占有魔法です」
少年はにこやかに言う。
「私の目的は、そういうことです。見逃してくれませんか」
「そうね、協力してもいいわ。ただし―――その子を解放しなさい。話は、それからよ」
「それはできません」
「じゃあ、私も協力はできないわね。……どうして、最初に、頭を下げて頼まなかったの?」
最後の言葉を、どこか悲しげに彼女は言った。
「最初から、頭を下げ、事情を話し、協力してくれと頼んだのなら、応じる余地はあった。でもあなたは、何の罪もない彼女に暴力をふるい、その子の体を占領している! それでもなお協力を求めるのならば、あなたから譲りなさい」
「それはできません。だって、私の方が優位ですから。上にいるのに、譲歩などできませんよ。そうでしょう? 甘い、甘い、大地の勇者」
何の罪もない子どもを、彼女は殺せない。
殺したところで何の解決にもならないというのに、殺せない。それは、人としての人倫の問題だった。
少女は、表情を殺した顔で少年を見つめている。さすがに、対処にあぐねた。
「―――なら、これはどうですか?」
声がしたのは、そのときだった。
決然とした表情で、マーラは、気絶したままのアランに氷の刃を突きつけていた。
「……宿主の強い感情は、あなたも引き継ぐ。だから親しい人間ほど、あなたの憑依に気づかない。けれど、宿主にとって大切な人間は、あなたにとっても大切なのでしょう?」
「…! やめろ! アランは関係ない!」
度を失った表情で、少年は叫ぶ。
従者も少女もコリュウも……その場にいた全員が、それで気づいた。
マーラは、彼らがこの区画に入った時から、すべてを見ていた。
こんなにも早く駆けつける事ができたのは、そのためだ。
マーラは見ていたのだ。
少年がアランの身柄を大切に扱っているところも、すべて。
マーラが厳しい顔で言う。
「―――大人しくしてください。そうすれば、彼に傷はつけません」
平常心を一度は揺らされた少年だが、立ち直りも早かった。
「……馬鹿馬鹿しい。あなたたちが、彼に危害を加えるはずがない。私を殺せないように、彼のことも殺せない。殺せないとわかっている人質に、価値なんてない。そうでしょう? 正義の味方の勇者どの?」
少年は嘲笑うと、間合いを開けた。
背後にそびえる大樹に駆け寄り、それを少女は追う。
『脚』を本気で使って一息にまわりこんだ。
「待ちなさい!」
空気が、まだ遠い大樹の梢の葉を揺らすほどの速度だった。
大樹との間に割り込まれた少年は、足を止めざるを得ない。
「……一枝、欲しいだけなんです。邪魔しないでくれませんか?」
「奪えたとしても、この場所から逃げられるとでも思っているの?」
少年はにっこりと笑った。
「思っていますよ」
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