ミーティングの席で、仲間からの視線をひしひしと感じながら、少女は口を開く。
「アランとは――お別れしました」
「……別れたの?」
意外そうな顔で言ったのは、コリュウだ。
「冒険者辞めて結婚しようって言われたけど……無理だよー。無理だって。だって、私自身が冒険者でいることを望んでるんだから」
逃げたいと思っても、結局のところ、逃げられやしないのだ。
それに――。
あの少年を思う時、胸がざらりとするのを感じる。
剣を交えたとき、体を駆け抜けたあの感覚を、どう言えばいいだろう?
――私は、彼を、知っている。
それは、体の奥深くから湧き出る確信だった。
若者が己の恋を永遠と確信するようなそんな虚ろなものではなく、芯のある確信、といえばいいだろうか。
そんなはずはないと、記憶にないと、自分でも否定しようとしても、どこからかどんどんと泉のように湧き出てくる。
それは、恐怖と紙一重の感覚だった。
その正体を確かめるまでは、恋愛をやっていられる心のゆとりはない。
「それに、あの子を捕まえるまでは、とてもじゃないけど冒険者を辞められないわ」
たしかに……と、一同は納得した顔になる。
見分けがつかず、人を操る憑依者なんてものがいるのに、現状で唯一見分けがつくと立証された人物を、戦場から引き下ろせるはずもない。
勇者なら見分けられるという言葉すら、こちらを混乱させるための虚偽でない確証はないのだから。
彼女の持つ他の要素が引き金となって見分けがつき、それを敵が隠すために虚偽を伝えた、なんていかにもありえる話ではないか。
好きだから、一緒にいよう。
そんな甘く単純な方式が通じるほど、彼女が置かれた立場は楽じゃないのだ。
◆ ◆ ◆
その日の晩、ふたりで寝台に入り、眠りにつく前に、コリュウは少女に尋ねた。
「どうして見逃したの?」
「……うん……」
寝間着姿の少女は、あいまいに、頷く。
コリュウは気づいているだろうと思っていた。というより、気づいているから、合わせて見逃してくれたんだろうと。
「マーラも、きっと気づいたよ。中の上、ぐらいで、クリスと僕が見逃すなんて、捕らえられないなんて、ありえないもの」
「……隠せないなあ……」
長年生死をともにし、機微をよく知る仲間の鋭さに、少女は苦笑する。
明確に、言葉に出して言われたわけじゃない。
でも、剣筋が、言った。戦い方が、気配が、言った。
全神経を張り詰める戦いの場で、そうした気配はすみやかに伝わる。
クリスが望んでいることを察知して、コリュウはわざと見逃したのである。
コリュウにとって、いちばんはクリスだ。
そのクリスが、彼が捕まることを望んでいなかった。
――理由はわからないけれど、クリスがそれを望むのなら。
そう思ってコリュウは見逃した。
世界最速の飛竜が、誰かをやすやすと逃すなんて、そうでなければありえない。
「知り合いなの?」
少女はあっさりかぶりを振る。
「ううん。覚えはないわ。でも……なんとなく、その……捕まるのが、嫌だったの」
彼が捕らえられたら、新種の魔物として、徹底した調査が行われるだろう。
それを思うと、どうしてか胸がざらついた。
クリスは手を伸ばし、自分の頭の少し先で、ちょこんと座るコリュウを撫でる。
「ごめんね、コリュウ。自分でも、なんだか理由がわからないの……。漠然とした、不安があって……、それが、その正体が、よくわからないんだけど、……彼を捕まえてしまったら、よくない事が起きるような気が、どうしてもして……」
明確な、論理的な理由がないだけに、そういうあいまいなものになってしまう。
言葉にできないもどかしさと、自分でもわからないでいる不安に囚われている彼女の頬に、コリュウは頭をこすりつけた。
「……きっと、クリスのなにかの
技能が、何かを察したんだよ。勇者の恩寵か、なにかが。だから、理由は今は見えないだけで、いずれきっと見える。捕まえなくて、よかったと思う日が、くるよ。きっと」
コリュウは無条件でクリスを信じている。
彼女がそういうのなら、きっと、意味はいずれ出てくるのだ。
盤上のゲームの達人は、その時は意味が判らない一手を、先を読んで打つのだという。
そして、その意味が誰の目にも明らかになったその時には、もう、勝敗はついているのだと。
今日、彼女がかれを見逃したのは、きっとそういうことだ。
無条件に、コリュウはクリスを信じる。
このときも、そうだった。
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