「つ……っ!」
心臓がずきんと痛んで、少年は動きを止めた。
何らかの身体的要因の痛みでない事は明らかだった。
拒絶反応だ。
宿主である少年が、かれを、拒絶し始めている。
かれはサンローランから半里も離れていない山中にいた。持てる手管、欺瞞を駆使して逃げのびた。だが、それを自分の力だと思うほど、自惚れてはいない。……見逃してくれたのだ。
あれぐらいの足どめで彼女が来ず、飛竜も追撃に来なかったのは、そういうことだ。
「……くそ。
宿主の意に真っ向から相反する行動をとらせてくれて……」
勇者一行が思うよりよほど、アランと真っ向から対立したのは痛手になっていた。
人間は、自分の心に複数の人格を飼っている。
たとえば気が進まない仕事があるとき、『やろう』という声と『さぼってしまえ』という声が共存しているのが人だ。
そのため、人は囁く声がひとつ増えても、
異物の存在に気づかない。
認識できず、認識できないから抵抗もせず、かれは影響力を広げていく。
そして最終的に体を乗っ取るのだが……、『宿主が絶対にしない行為』を真正面から行うと、さすがに宿主も異物の存在に気づき、抵抗を始める。
ティルトはアランが好きだった。
かれの心に宿ったぐらいにそれは強い好意で、戦闘能力では圧倒的に下のくせに、ティルトの保護者を自認して折々叱ったり諭したりして優しく見守ってくれる彼を、種族はちがうけれども、兄のように思っていた。
だから、『傷つけないために戦場から引き離す』ことなら、するだろう。
でも、『アランの意志に真っ向から反する』行為をしたことで、宿主は自分をかえりみた。
なんで自分は、こんなことをやっているんだ? と。
なんで自分はアランを悲しませ、傷つけてまでやっているんだ? え? え? ――え?
異物の存在に気づいた宿主が、抵抗を始めた。
出て行け! とさかんに訴えている。
肉体の操作権は、かれが掌握しているが――。
「……せっかくここまで馴染ませたのに……」
乗り移るのなら、生の意志も、生きようという意欲も失った廃人のような人間が、いちばんいい。
それなら乗り移った次の瞬間から、我が物顔で自由に肉体を使える。
そうでないのなら、少しずつ乗っ取るしかなく、時間がかかる。
この少年を宿主にしたのは偶然ではなく、彼女に関わりのある人間の側にいて、かつ適度な距離があったからだ。
彼女の身近にいる人間に取りつくのは、彼女にすぐにバレてしまう。かといって遠いと、意味がない。
適度な距離にいたのが、この少年だった。
しかし、魔族の貴族の体は思いのほか、使い勝手が良かった。
魔力も高いし、筋力も高い。捨てるのは惜しかったが、早晩、使えなくなるだろう。
かれの戦闘能力は宿主に大きく準拠する。
魔力がない人族の体に乗り移りでもしたら魔法も使えないし、肉体に由来する力、筋力も大きく落ちる。
上がるのは反射速度ぐらいだ。さっきの打ち合いでも、彼女が本気で力を込めたら剣ごと骨が折れてた。
成長期の少年のからだを傷つけないようにということで、彼女がセーブしてくれたおかげだ。
「……元気そうだったな……」
想起し、かれの顔には幸せそうな微笑みが浮かぶ。
炎神の寵児。神の寵愛を受けた彼女。
ずっと会いたかった。会いに行かなかったのは、彼女の迷惑になるかもしれないからと、現実を突きつけられるのが怖かったからだ。
期待は半分裏切られ、半分は応えられた。
――憶えてない、と。
何の心のやましさもなく言い放つ彼女の姿が、苦しかった。
でも、同時に、嬉しかった。
「……ちゃんと、わかってくれた……」
かれが、かれであることを。
炎神なら、この呪いを解けるかもしれない。
呪いは、神にしか解けない。常識だ。
でも、神に、別の神の呪いは、解けるのか?
それは、神ならぬ身には答えの出ない問いだった。
空の大神の呪いは、炎神にも解けるかもしれない。
ここは、炎神の大陸。大陸の中央に炎神の御座(みくら)がある、炎神の勢力範囲だ。
だから、炎神ならひょっとして解けるかもしれない……。そして、寵児である彼女から炎神に頼んで、試してもらえばひょっとして――。
けれど、かれは否定する。
……今の彼女は、かれのことを完全に忘れている。頼んでも、断られるだけだろう。
かれは青黒い魔族の手を見つめた。
「……ごめん。もうすぐ、解放してあげるから……」
少年はよろよろと立ちあがる。
人がいる人里へ、行かなければならない。新しい器をさがすのだ。最寄りの町、サンローランは駄目だ。
自分ではあの入口のチェックは通過できない。嘘を見抜く、シンプルにして強力な検査。今ティルトに交代したらそれきり二度と体の支配権は取り戻せなくなる。
何より、もう結界担当のエルフに個体認識されているだろう。
かれは、器が無い状態では長く持たない。
何としても、新しい体がほしい。
できれば、自殺志願者でしかも自殺を遂げた直後で、生命活動は停止していない体がいいのだが、さすがにそこまで都合のいい体はそうそう転がっていない。
目の前で両親を魔物に殺されてショックで心神喪失状態の体なんてものがあれば、とてもいいのだけれど――。
ここは人族の国。圧倒的に人族が多い。人族以外の種族で、そんな都合のいい体は見つからないだろう。
人族の体は、イヤだ。
今いる魔族の貴族の少年の体より、筋力も魔力も格段に落ちることは間違いない。全ての魔法が使用不可になるのは嫌すぎる。
なんとか、人族以外の体で、乗り移る体が欲しい――……。
よろめきながら、かれは山を下った。
新しい器を見つけるために。
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