アランを元の町まで送っていく役目は、ダルクになった。
これは、残存魔力量の兼ね合いである。
マーラは魔法を侵入者相手に使用したせいで魔力がかなり減っていた。通常は一つか二つの魔法で済むところが、五つも無駄打ちさせられたのだ。
そうでなくともエルフは繊弱で、更にはダルクは遅参のため戦闘に参加していない。
彼に送迎役が回ってきたのは、順当なところだろう。
空飛ぶじゅうたん――なんてものに乗り、最初は顔いっぱいに驚きと興奮を浮かべていたアランも、しばらくすると口をつぐんで夜景を見るようになった。
その横顔に、ダルクは値踏みの目線を注ぐ。
リーダーである少女から、「くれぐれもよろしく」と念押しされている相手で、彼女が好きになった相手だ。
――あいつ、面食いじゃないのか?
ダルクの目にうつるアランは、善良そうで平凡そうな、要するに美男でも醜男でもない特徴のない男にしか見えなかった。
とても彼女の心を唯一射止めた相手とは思えない普通さだ。
そういえば、とダルクはこれまで出会ってきた人間を思い返すが、彼女は繊弱な美形であるエルフ族に対しても、骨太で男性的な美形である魔王に対しても、特に容貌に気を引かれた様子はなかった。
容姿でもなく、才知でもなく、彼女はただこの男を好きになったのだろう。
視線を転じれば、夜の闇に包まれつつある世界は、ほんのわずかな光さえもないように見える。
背後に取り残してきたサンローランの町を除けば、この高度で明かりが見えるほどに密集した灯明を掲げる人族の町は、ほとんどないのだ。
……異種族の町と違って。
少女は思いっきり感情的に聖光教会を嫌っているが(自分でもそう言った)、実際問題、人族の未来を考えるのなら、あの教会の教義は叩きつぶした方がいい。
イキナリ人族の魔法適性値が上がるはずもなく、イキナリ何かの特殊技能が宿るはずもなく……、この先を考えても、相互扶助の未来こそが最も合理的なことは間違いないのだから。
「……あなたは、彼女のパーティの方……なんですよね?」
突然話しかけられて、ダルクはやや驚いてアランを見る。
「ああ、そうだ」
アランはダルクに頭を下げる。
「僕が言う筋じゃないかもしれませんが……その、彼女のこと、よろしくお願いします。僕が彼女と会ったとき、彼女は、とても傷ついていました。きっと、ひどいことを、言われたんだと思います」
知っている。
その場に居合わせた。
苦労して、命の危険と貞操の危険をかいくぐって必死になって「貧しい村が自立できる手段」を取ってきたのに、罵倒され、文句を言われ、勇者なのに魔王に負けたのかと嘲笑され、そして、助けたかった子どもはあっさり死んでいて、その子どもの兄弟のこれまた子どもには、お前のせいで姉が死んだと糾弾された。
……こうして思い出すだけでふつふつと腹の底から怒りが込み上げてくる。
いっぺん、しめておけばよかった。あのクソガキ。
冒険者にとって、なにが一番嬉しいか、励みになるか。
業腹ながら、ダルクも認めている――助けた人から、感謝の言葉を捧げられたときだ。
涙ながらに感謝される、あのときばかりは、嫌々やらされている冒険者稼業も悪くないと思う。
その言葉がなくても、まあ、代金を貰っての仕事であれば割り切れる。不愉快なことがあっても、それで生計を立てているのだから、仕事なのだから、と。
しかし、どうしようもないのが先日のあのような一件だ。
料金はビタいち、貰っていない。
かかった経費はもちろんすべて持ち出し。
挙句の果てに貰うものが罵詈雑言では本当にやっていられない。
表面上は平気そうにしていたが、彼女だって傷つかないはずがない。
落ち込み、沈んだ彼女にダルクたちは何もできず――目の前のこの若造はやってのけた。そういうことだ。
「僕は、彼女の側にいられませんから……、支えになれるのは、身近にいる、あなたがたですから。彼女を、お願いします」
ダルクは、今までとは違った目でアランを見た。
お前なんぞに言われなくとも、とも思ったが、それはあまりに大人げないというものだろう。事実、彼は、ダルクたちが何もできなかった彼女の鬱屈を晴らしてくれたのだから。
ダルクは頷いた。
「わかった」
アランを送り届け、夜空を飛翔しながらダルクは考えていた。
自分に、一体何ができるだろうか?
この間だって、結局何もできなかった。
心ない言葉を言われて少女が落ち込むのはよくあることで、少女ももう、慣れている様子で、落ち込んでいても仕事をこなしつつ十日ほど過ぎれば元通りにしている。
だから、前回も、気分転換になる仕事をやらせつつ時間が過ぎるのを待てば、彼女は自分で立ち直ると……。
ダルクははっとした。急に目の前が開けた気がした。
――そうやって、彼女が自分の中で整理していたどす黒いものが少しずつ積もり積もって箍を外しかけたとき、アランに出会ったのだ。
自分は何もせず、「いつもの事だからいつも通りに勝手に立ち直る」と放置していた。
自分は放置し、アランは手を差し伸べた。
……その、差だ。
――こんなことで、いいはずがない。
マーラにも、さんざん言われた。コリュウも、パルも、言葉には出さないまでも同じことを思っている様子だということは見ればわかった。
――とっとと言っていればいいのに、とんびに油揚げをさらわれた間抜け。
言葉より明瞭な眼差しだった。
ダルクは決心した。
言おう。言わなければならない。
冒険者として勝るところを作ってからとか、もうすこし確かなものを築き上げてきてからとか、関係がきまずくなるとか、これまで自分に言い訳してきた理由はいろいろあるが全部破棄だ。
そんなことを考えていたら、数年たっても言えやしない。
冒険者としての自分と彼女の立ち位置とか、そういうことを考えたら、自分は、劣等感と男としてのつまらないプライドでまたがんじがらめになって何もできなくなってしまう。
言わなきゃ駄目だ……今。
ダルクはサンローランの町に帰着すると、膨らんだ勇気を抱えたまま、彼女の部屋に急いだ。
もう夜もどっぷりと深まり、とても女性の部屋を訪れる時刻ではないが、これは明日に回すわけにはいかないのだ。
この決意が冷めないうちに、少しでも早く。
――情けない自分は、明日になったらもうこの勇気は気化して跡形もなくなってしまうだろうから。
少女の部屋の前に立ち、部屋をノックすると、扉の開く音がして、コリュウが現れた。
「……なに? ダルク」
眠そうな顔をしている。
「夜中にすまん。ほんの少しでいいんだ。クリスに会わせてくれ」
コリュウは首を傾げた。
「明日じゃだめ?」
「今じゃないと駄目だ」
強硬に言い張る。
時間を置いたら、穴をあけられた風船のごとくになってしまう自分の情けなさは、自分がよく知っている。
自分の弱気にもっともらしい理由を付けて、それで自尊心を守って、――でも実際はただの怯懦だ。
もう、繰り返したくないのに、きっとそうなってしまう。わかるのだ。
コリュウは不審そうに、それでも引っ込み――眠そうな顔で少女が出てきた。
寝ていた姿そのままで、服は寝間着、髪はぼさぼさ、目は眠そうに瞬きを繰り返している。
寝起きを共にしていればそうした面の恥じらいなど日常の繁忙にどこかにいってしまうもので、ダルクも、少女のそういう「ゆるい」姿など見慣れている。
さあ、とダルクは腹部の下に力を込めて、勇気を絞り出した。
一時とはいえ、吹きあげることのできた勇気。さっきのあの決意を思い出せ。
念じて、ダルクは猪突猛進の決意のまま口を開いた。
「俺は」
そのまま一息に言葉を続ければよかったのに、ダルクはそこで止まってしまった。
告げようとする一瞬、鮮やかに心に蘇ったのだ。
どうして、彼女を好きになったのか。その出会いの瞬間を。
人族の世界では、魔法の使い手は引っ張りだこだ。
ダルクは誰の目にもわかる青黒い肌によって差別され、そして、誰の目にも魔族の血を引いているとわかるその容姿によって、最低限の生存場所を得た。
魔法を使えるから、ダルクは生き延びることができたのだ。
母にはうそをつき、自らの手を汚し、金を持ち帰り、倫理観などとうに擦り切れた頃に、『彼女』は現れた。
悪いものは悪い。
いけないことはいけないんだと、正面からダルクを叱ったのは、彼女が初めてだった。
その彼女自身は、弱さゆえに際限なく醜くなれる人間に、幾度となく傷つけられてきたからこそ、その言葉は重みを持った。
犯罪者として、彼女に繋がれ、それを否応なく側で見させられたダルクは、ある日とうとうたまりかねて、口を出した。
ダルクの目には、彼女は、貧乏くじばかり引かせられている、自分が利用されていることにもわかっていない要領の悪い人間としか思えなかった。
それがひとりなら勝手にしろで終わりだが、生憎と、彼女が死んだらダルクも自動的に死ぬ。彼女とは一蓮托生の鎖で繋がれた身である。
何度言ったか判らない。
もうやめろと。
でも、彼女はやめなかった。
無数のつぶてを浴びながらも、前に立ち続ける姿に――いつしか、敬意まじりの賞賛を、抱くようになった。
馬鹿で、馬鹿で、馬鹿だが――馬鹿もここまで突き詰めればあっぱれだ。そして、馬鹿の生き方にも、ひとつの価値はあると、そんな考えをするようになった。
嫌なこともあるけれど、人から感謝されることは、たしかに……気持ちがいいなと、そう思うようになったのだ。
「俺は」
ダルクは、深呼吸する。
勢いだけで、前のめりになっていた自分を、立て直す。
あの魔王は言った。ダルクの目の前で、はっきりと、クリスに。
あの時胸に押し寄せた全身が燃えるような焦燥。
彼女が返事をするまでの、途方もなく長かった時間。
……自分がいないところで、再び、それが再現されたという。
このまま、この状態でいれば、この関係は維持できる。でもそれは、この関係以上に進む資格を持たない、ということだ。
マーラも、言葉を変えて、同じことを言った。
言えば、今の心地良い関係は崩れるだろう。
言わなければ、今のままでいられる。
――けれど、言わなければ、すべては蚊帳の外。何も知らないうちに、自分は部外者としてのけ者にされて、終わるだけなのだ。
勝負に参加するための第一関門。勝負に参加する資格を得るかどうか。
それが、告白という行為なのだ。
ダルクは、まっすぐ、少女を見つめた。
ここまで突撃した空疎な勢いだけでの言葉ではなく、心から、告げる。
「俺は、お前が好きだ」
空気が凝固した。
肌がぴりぴりする緊張の中、答えを待っていると――少女はにへら、と笑った。
「……うん、私もだよー」
その瞬間、ダルクが呆気に取られてしまっても、責められる人間はいるまい。
「……え?」
「ありがとー。お休みー」
ぱたん。
扉が閉められる寸前、ダルクは確かに見た。
コリュウが、世にも気の毒そうな顔でこちらを見たのを。
しばらく、反応できずにその場に立ちつくしていると、ぽん、と肩を叩かれた。
振りかえると……そこにはいつの間に起き出したのか、マーラが立っていた。
「彼女の鈍さを忘れていたのと、寝ぼけている時に突撃したのが敗因ですが……、頑張りましたね」
その顔を見た瞬間――、
力が抜けて、ダルクはその場にへたり込んでしまったのだった。
◆ ◆ ◆
翌朝。
少女は昨夜遅くにあったことを、綺麗さっぱり忘れていた。
おかげでダルクは著しく機嫌が悪くなり、その原因に心当たりのない少女は戸惑い、助けを求めるものの、さすがにマーラもコリュウもフォローできず……、原因不明のダルクの不機嫌は数日つづく事になった。
しかし、不発であってもきちんと本人に対して言ったという意味は大きく、後日それが大きな意味になるのだが――それが明らかになるのは、だいぶ後のことだった。
これにて、第二章はおしまいです。
こんなに長くなったのは、一重に私の力量不足ゆえです。すみませんでした。
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