「……すみません」
扉を開いて入ってきたのは、マーラだった。
魔王との通信に使ったのと同種の、しかし別の鏡を持っている。
「結界内に、突然空間を接続して侵入者があったので、結界担当のエルフから連絡があったんですよ。で、すみませんが、クリス」
マーラが少女に鏡を渡した。通話に必要な魔力は、彼が支払った。
それを受け取ると、鏡の中には顔見知りの森の精霊族がいた。
少女はぺこぺこと頭を下げる。
「あ、すみません。侵入者は、怪しい人じゃなくて私の知り合いの人で、……はい、問題ありません。すみません、事前に言っておかなくて……」
魔王は、謝る少女の脇から手を伸ばした。
「あ……っ」
あまりにも鮮やかに、不意をつかれ、彼女は呆気なく鏡を奪われてしまう。
第一級の戦士である彼女が反応もできなかった。
魔王は鏡を前に、堂々と挨拶した。
「古き森の民よ。そなたたちの棲み処に断りもなく侵入したことを詫びる。
俺は魔族の代表にして頂に立つ者。参の国の王、オーバルナイト・エデン」
鏡の向こうが、しん、となったのが判った。
いくらなんでも、一国の王、それも魔族の王のひとりが来たとは思っていなかったのだろう。
人族の、できてはたかだか百数十年で潰れる泡沫国家の王ではない。遥か太古より続く十二の魔族の国である。
グレードとしては、人族の大国とも同格以上、といえるだろう。
「俺に森の民への害意はなく、早急に退去することを約束する。ので、どうか、大地の勇者をあまり責めないでほしい」
魔王は言うだけ言って、鏡を少女に返した。
少女がびくびくしながら覗くと、鏡の向こうで、エルフは渋面のような、困ったような、複雑な顔をしていた。
双方、何とも言えない沈黙が数秒流れ、エルフが口を開く。
「……今の御方の御身分は、自称の通りですか?」
「はい……」
「では、勇者さま。あなたが魔王殿の身元保証人になるということで、いいでしょうか?」
「はい」
「では、そのように皆に伝えますので」
鏡の通信は、そこで切れた。
少女はほっとする。
「悪かったな。結界内に空間を繋げて突然侵入者がやってきたら、それは連絡が来て当然だ」
「……というより、そもそもどうやって移動したの?」
今更ながら、少女は尋ねる。
通常空間にある二点の空間をつなげ、距離をゼロにする――この魔法は見たことがあるが、あらかじめ設置したゲートをくぐっていた。
「鏡を媒体に、空間を繋げた。そもそも会話するために小さく空間を繋げてあるからな。それを広げただけだ。簡単だ」
「……クリス。簡単じゃないですからね、信じないように。広げただけって、……、そんな高等技術を『だけ』と言わないでください」
頭痛をこらえながらマーラは言い、魔王はふふんと顔をそびやかした。
「当たり前だ。俺様を誰だと思っている」
魔族は謙遜しない。
自分の力をいっさい謙遜しない態度は逆に小気味いいほどである。
少女は素直に羨望した。
飛行魔法が使える彼女たちですら何日もかかるあの遠距離を、魔王は一瞬で移動したのだ。
遠距離の通話ができるのも、魔力。
遠距離を一瞬で移動できるのも、魔力。
魔力があれば、さまざまな恩恵がある。その絶大な効果は、魔力をまるで持たずに生まれた標準的な人族である少女にとって、羨望に値した。
「いいなあ、才能あって……」
こればっかりは、生まれ持った素質が全てを決める。
少女は一般的な人族として、魔力をまるで持たずに生まれた。
魔力なく生まれた人間は、一生、魔力なく過ごすのだ。
――が、その呟きを聞いたエルフと魔王はうろんな顔で少女を見た。
魔王は眉をひそめてマーラに尋ねる。
「……おい。これは本気で言っているのか?」
「……困ったことに、本気です」
本当に困ったことに、この少女には、自分が、天才だという自覚が、まったくないのだった。
魔王はあまりそういう言葉を安易に使いたくないのだが、それでも、この少女が天才の名に値する珍しい人間だということは――それぐらいは、わかる。
彼女の実績が、雄弁に語っている。
その才を前にすれば、魔力がどうのというのは些事にすぎない。
自覚がないのも困ったものである。
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