魔王は手の中の小さな鏡を見下ろし、やや思案する様子だったが、やがて言った。
「今晩泊めてくれ」
少女は眉を跳ね上げる。
「……まさか、戻れないとか?」
「それはないが、魔力がな……。無理な移動をしたから、だいぶ減った」
「――ああ、そっか。うん。わかった。狭いし、いいベッドでもないけど、いい?」
少女はあっさり頷く。
「泊めてもらう身で贅沢を言うほど腐っておらん」
少女はてきぱきと魔王を泊める算段をする。来客用の部屋に案内し、しまってある寝具を取り出してセットする。
少女が物わかりよく頷いたのには、わけがある。
魔王は、いつ何時、挑戦を受けるか判らない身だ。
大幅に魔力が減った状態で魔王城に戻れば、挑戦を受けたとき心もとない。命にかかわるのだ。
むろん、奇跡の水を飲めば補えるが……、そんなことで使うのは勿体無いではないか。
また、少女としては、魔王にはデッカイ借りがある。負けたのにこうしてぬくぬく生活していられるのは、魔王さまが寛大にも見逃してくれたおかげである。
それを思えば一晩泊めるぐらい、何でもないことだった。
翌日、魔王は尋ねた。
「いつ、炎神のところに出発するんだ?」
少女が作った朝食を食べつつの質問である。同じ食卓にはメンバーが揃っていて、不在がちなパルもいる、珍しい全員集合の席だった。
「準備に二三日はいるから、その後かな」
「移動手段は?」
「空を飛ぶつもり」
「じゃあ、往復で半月ぐらいか……?」
「いつも旅程には余裕を持たせるわ。だから往復でひと月ぐらいかな」
エルフ族に無理をさせるとてきめんに倒れるため、旅程にはたっぷりゆとりをもつことにしている。
魔王はじっと考えこみ、おもむろに顔を上げて言った。
「日取りが決まったら教えてくれ。俺も行く」
「――は?」
居合わせた仲間全員の手が止まった。
「一緒に行く……ってあなた王様でしょうが。仕事はどうするのよ?」
「準備に二三日かかるんだろう? その間に調整する。それに、炎神への拝謁は公務の一環だ」
少女は素早くマーラに視線を送った。
――そうなの?
――わかりません。
「俺は、十二人の魔族の代表のひとりだ。魔族を守護してくれる神に進物するとともに、挨拶に行く義務がある。なら、お前と一緒に行くのがいいだろう」
少女は微妙に複雑な顔になった。
……それぞれの種族が、守護してくれる神を持つ中で、人族だけがそれを持たない。その現実を思ったのだ。
「それにな、俺様が一緒にいくと、いろいろお前たちにとっても便利だぞ」
世界で最強の一角を占める人物は、エルフ族に目を向ける。
「飛行呪文は魔力の消耗が激しい。俺と二交代で行けば、かなり楽なはずだ」
「あー……ダルクも使えるようになったので、三交代ですけどね。でも、実際、二交代より三交代の方が楽なことは確かですねえ」
マーラはどうやら魔王の同行に、賛成寄りのようである。
少女はダルクを見た。ダルクは無言であるが、不満げだ。
パルはというと、面白がっている顔だ。
最後に、少女は肩の上のコリュウを見た。
コリュウは視線に気づいて、ん?と見返してくる。その表情からして、賛成でも反対でもない、中立らしい。
賛成一、反対一、中立二。
となれば、後はリーダーの彼女が決める事だが……。
「――もし会敵したらどうするの? 私の指示に従ってくれる?」
「いいや。俺は俺で戦う。お前たちはお前たちで戦え。稚拙な連携は事故の元だ」
「そうね、その方がいい。じゃ、私たちはできるかぎり宿を取るけど、時には野営することもあるわ。あなたはそれに、耐えられる?」
「見損なうな。魔王になるほどの魔族は皆、ダンジョンの常連者だ。俺様も若い頃はしょっちゅうダンジョンで魔物狩りをしていた。野宿など日常茶飯事だったぞ」
「お供の人とか、ぞろぞろ一緒にくる?」
「もちろん一人でいい。うざったい。だいいち、俺とお前がいて何が危険だ?」
少女は念押しする。
「顔洗ったり身支度したり、身の回りのこと、自分でできるわよね?」
「……お前は俺のことを一体何だと……ああ、そういえば、お前は人族の王族とも付き合いがあったんだったな」
少女はその記憶を思い出して、うんざりという顔になった。
「自分で服を着れもしない人と一緒に数日いてごらんなさいよ。予防線も張りたくなるわ。あんなの二度とこりごり。侍従の仕事とか、私できないし、する気もないわ」
魔王は同情いっぱいの顔になった。
人族の王族の役立たずぶりは、巷間に広く知られたところである。
「安心しろ。俺も若い頃はお前と同じ冒険者だった。自分のことは自分でできる」
そこまで聞いて、少女はうーん、と考えこんだ。
魔王が同行することに、実務的な負担はないように思える。
むしろ、魔法使いたちの負担が減るだろう。
――体の弱いマーラの負担が減る。
結局のところ、彼女の選択を決めたのはその一点だった。
これまで何につけ、彼女はエルフのマーラの体調を最優先に考えてきた。また、そうでなければ繊弱なエルフと一緒に冒険なんてできないのだ。
「わかったわ。一緒に行きましょう。……あ、そうだ、炎神とは面識あるのよね?」
「年に一度、進物しているからな」
「……その、それは、他の十二の国の王も?」
「いや。この大陸にある国だけだ。二の国と参の国と四の国、この三カ国の魔王だけだな」
彼女は短く、そう、と呟いた。
そのとき、その場で彼女が示した反応は、それだけだった。
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