魔王が帰っていったあと、少女はたったひとりで、マーラの部屋を訪ねた。
「ねえ、マーラ。魔剣は、神器だった。魔族は、神によって領土を定められ、国を守るための神器まで与えられた。……正直、なんてえこひいきされてるんだろうって思うけど、まあそれはいいとして。十二の魔剣は、全て炎神の作ったものなのかしら?」
ぴくり、とマーラは眉を上げた。
「私たち人族は、守護神を持たないわ。私のこの剣は、神器なのに、私のことを主人と認めてくれた。……私が、炎神の寵愛を受けている人間だから? それとも、そういうのに関係なく、一定以上の技量があれば、この剣は主人として認めてくれるのかしら?」
「それは……わかりません」
長命で、長命であるがゆえに記憶と知識の保存と伝承にすぐれたエルフ族。
だが、むろん知らないことはある。
彼女が手に持つ魔剣は、数奇な運命をたどって彼女の元へやってきた。
ある日水棲種族から、依頼があったのだ。海の中に異物があり、その異物が周辺の環境に影響を及ぼしている、なんとかしてくれという漠然としている上に難易度の高い依頼で、受けたときには水棲の魔物が住みついたのかと想定された。
――となると、水中での戦闘を想定し、水中での呼吸手段や攻撃手段を用意しなければならない。
珍しく人族以外から依頼を受けたその冒険者ギルドではお手上げ状態で、巡り巡って、竜族やエルフ族と関係のある彼女にならできるんじゃないか、とラグーザ冒険者ギルドまでお鉢が廻って来たのだった。
少女はエルフたちと討議をかさね、複数の魔法道具を使えば水中戦闘も可能ではないか、という結論を得て、依頼を受諾することにした。
当の水棲種族たちはほとほと困り果てていて、万策尽きて仕方なく人族経営の冒険者ギルドなるものに依頼した、という事情もある。
切実に困り、涙を流す彼らを見捨てるのは心が痛み、できるかぎりの事をしてみようという気持ちが自然に湧いたのだ。
初の水中戦闘である。困難が予想され、最低でも二回の戦闘を想定した。一回は偵察戦で、相手を視認しその正体を確かめて、二回目以降で討伐をはかることになった。
その際も、決して無理はせず、少しでも危うい場面があったら逃げる、ということを念頭に置いたうえである。
水中戦闘に必要な道具の用意に相当の費用と時間をかけ、入念な準備の末もぐった少女たちが見たものは、予想していたものとはまるでちがう光景だった。
水中で、その剣は揺らめいていた。
周囲の磁場と、水流と、空間すら歪めて、その剣はそこにあった。
剣があるがゆえに、水の流れが変わった。
水の流れが変わったがゆえに、獲物である魚はその海域から去った。
そして、剣があるがゆえに、その周囲に近づくことすらできず、その剣が堰となって、水棲種族は二つに分断されてしまっていた。
娘に、息子に、妻に、夫に、恋人に会いたいという願いを阻んでいたのが、その一本の剣だったのだ。
後から総括してしまえば――よくある異種族間の誤解であった。
突然付き合いもない水棲種族の訪問に動転し、詳細な事情確認を怠った冒険者ギルド側も悪ければ、充分な説明のない(彼らは説明したつもりだったが、明らかに不十分である)水棲種族も悪かった。
少女の所属するラグーザ冒険者ギルドにまわってきた時には既に依頼内容にはっきり「水棲の魔物の退治」と明記されていたことも誤解を推進した。
現地に赴いた少女たちは、最初からそういう先入観の下で動いていたし、水棲種族側も、不十分な(彼らの尺度では充分な)説明をしただけだった。
そんな種々の要因が積み重なり、出来上がってしまった誤解だった。
その剣は、海底の堆積した白砂の上に、直立して突き立っていた。斜めにかしぐ様子もなく、威風堂々たる武人の立ち姿のように、まっすぐに。
……いったい、誰がこんなところに魔剣を突き刺したのか。
それともすべては偶然のたまもので、難破船の積み荷にでも含まれていたこの剣がここへ流れ着いたのか。
わからないままに、少女は吸い寄せられるようにその剣に手を伸ばした。
背後で、マーラが警告の声を発したが、その時の少女の耳には届かなかった。
コリュウには聞こえていたが、その時は何故か、止める気にならなかった。
魅入られるようにその剣の柄に手をかけた瞬間、脳裏で声が響いた。
――あなたは、僕の主人になってくれますか?
「……ええ。私が、あなたの主人になるわ」
水中ではあるが、喋ることはできた。声で連携をとるので、喋れないと戦いにくいから声が出るよう準備したのだ。
少女は柄を握り、引き抜いた。何の邪魔も入らなかった。歪んだ空間は彼女の手を拒絶することなく、刀身は彼女の手に委ねられることを受け入れた。
――そうして、この剣は彼女の物となった。
少女が魔剣の声を聞いたのは、今のところそれが最初で最後である。
しかし、その一度の経験は深く心と記憶に刻まれている。
マーラとコリュウにもその声については話してある。
「あなたの聞いた声からいって、魔剣には、知性があります。間違いないでしょう。……器物にすぎない剣がどうやって知性を獲得したのか、と思っていましたが、神器だということで謎の大部分は解消しました」
この世界において、神とは空想上の存在ではなく、実存しているものである。
そして、神について、人は多くの事を知りえない。
ただ、多くの、人にはできない力を持っている存在だ、ということのみを知る。
だから、神が関わる事例については誰もが「神様だからそれぐらいできるだろう」「神様だから仕方ない」で思考停止するのが普通であった。
マーラと少女もその例に洩れず、「神器か。じゃあ不思議な事があっても当然だな」で終わりだった。
現在、魔族に与えられた十二の魔剣のうち、魔族の領土にそのまま継承されているのが五本。
それ以外は散逸している。
少女が見つけたのはそんな所在地がわからなかったうちの一本である。
「魔族の地に継承されているのは、残り、五本……か。マーラ、私が今回の仕事を成功させれば、六本になるわね?」
「半分、もどりますね」
「あの話、ほんとうかしら? 魔族の国は、巨大な結界の礎なのだと……」
球形の世界をぐるりと輪切りにするように等間隔に配置された魔族の国。
それはあまりにも整然と、うつくしく配置されたものであり、その領土は恒久ともいえるほど古くからあった。
そのため、その「整然さ」は、まるで魔法陣のようだという密やかな噂が昔からあったのだ。
大規模な魔法を使う時に描く魔法陣。まるで――魔族の国をそれに見立て、配置したかのような。
正直、よくできたヨタ話だと思っていた。昨日までは。
だが、今となっては、笑うことは、できそうもない。
「神さまは、魔族に、国と、至宝と、魔剣を作って与えた。世界をぐるりと取り囲む、十二の国をね。……ねえ、マーラ。お願い。知っているのなら教えてちょうだい。魔族は……この世界の礎なの? 礎石であり、決して崩れてはいけない要なの?」
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