その町にスゾンを置いて、一行は北北西に進んだ。
旅は至極順調で、予定より少し早目に、炎神の御座(みくら)の外縁部――砂漠に辿りついた。
「……なんだか、意外と、栄えているな」
意外そうな顔で言うのは、ダルクである。
フィアルも同感なのか、口には出さなくても似たような表情で辺りを見回している。
炎神の御座は、くっきりとした境界線がある。黒土が、ある一線を越えると、さらさらとした薄い茶色の砂に変わるのだ。
この砂から先が炎神の御座であり、炎神の支配領域である。そこに、乾燥した日干し煉瓦を積んだ家屋がたくさん連なり、町が形成されていた。
その家屋に視界が遮られ、広大な砂漠は見通すことができない。
視点を上に上げると、ずっと遠くに、雄大にして標高の高さも随一の火山が見えるだけだ。
少女はダルクに説明した。
「炎神の御座は、砂漠地帯で、暮らしにくいけれど、ひとつとても重大な長所があるの」
「……なんだ?」
「ここは、炎の精霊力が極めて高いの。高すぎるほどにね。そうすると、逆に、魔物が出なくなるのよ。生活の不便を補ってあまりあるメリットだと思わない?」
魔物が、いない。
対策も何も必要ない。出ないのだから。
魔物に村人を殺されることもなく、対策に費用を恒常的に使うこともない。
「ふつうの魔物は炎神の神威をおそれて近寄らない。ふつうじゃない精霊力が
凝ってできる魔物のうち、炎以外の魔物はあまりに強い炎の精霊力の満ちた土地に力を相殺されて消えてしまう。そして、炎の精霊力が凝ってできる魔物は、ここでは発生しないの。炎の精霊力は、凝る前に流れていく。あの火山へね」
あまりに急流の川は、厳寒期でも凍らないのと同じである。
そもそも精霊力の流れが滞り、凝ることで生まれるのだから、炎神のおひざ元であり精霊力の流れが直轄されているここでは、凝りようもない。
「ただ、もちろんデメリットもあるわ。水を入手するのが、とても難しいの。だから、この町に住むのは、水をさほど必要としない種族よ」
ダルクは辺りを見回すが、人通りは、まったくない。
「いまは真昼だもの。みんな家の中で休んでいるわ。数十分もこんなところでいたら日射病になるもの」
「……ああ、なるほど」
天空のぎらつく太陽と、地面からの熱気に、ダルクは頷いた。マーラは下げていたフードをかぶって頭を隠し、ダルクもそれにならう。
町を通り抜けると、視界は砂の海とそこここに点在する石の柱が見渡すかぎりを占めるようになった。
そして、はたと止まる。
「……ひょっとしなくても、あそこまで歩いていくのか……?」
遠方にそびえる山を指差す。
少女は苦笑した。
「まさか。マーラが倒れちゃうわよ。……というわけなので、どうか御迎えをお願いします」
反応は、劇的だった。
砂と岩ばかりの景色の中に、突然鮮やかな朱色の生き物が大地から生まれたのだ。
フィアルがつぶやく。
「――炎属性の精霊生物の最上級ですか」
美しい朱色の鳥は、少女の掌に甘えるように顔をこすりつけた。
炎神の寵愛により、炎属性全て無効にする少女は目を細めてそれを受け入れ、自分からも撫で撫でする。……はたから見ると、業火の中に自分から手を突っ込む変態である。
「ひさしぶり。フェニクス。悪いけど、乗せてってくれる? えーと、この二人は……自力で行ける?」
「――オイ」
魔王が険しい顔で突っ込みを入れる。
少女は真面目に困った顔をした。
「私、火除けの布をダルクとマーラのぶんは用意したんだけど、魔王のぶんは用意してないし……」
「それぐらいなんとかするわ! 乗せてってくれ。……ってフェニクス?」
「うん。フェニックスだからフェニクス。いい名前でしょ?」
「…………今更おまえのネーミングセンスに何か言おうとかは思わんが……、炎神が使いを寄こしてくれたのか?」
「うん。そう。――あ、言い忘れたけど、私、炎神の寵愛受けているから」
「……知ってるが?」
「だから、私の言動全部炎神につつぬけだから」
――一拍置いて、その意味に気づいた魔王の表情は
見物だった。
青黒い魔族の顔が、青ざめた。額に手を当て、真剣に思い悩む様子である。しまいにはうずくまってしまった。
「……魔王さま?」
フィアルが怪訝そうにする。少女はひらひらと手を振った。
「いま、かれ、真剣に命の危機に瀕しているから。かくかくしかじかで」
「…………そ、それは……」
全員が同情の顔になった。
ダルクは炎神に会ったことはないが、相手はカミサマである。魔王より強いだろう。ご進物とか言っていたし。なのに、その相手のことを「くそばばあ」と言っていたことが筒抜けで、その相手に会わなければならないとは……。
少女はうずくまってしまった魔王の隣にしゃがみこんで、ニコニコと話しかける。
「どうするー? ここで待ってるー? 年に一回進物するって言ってたよねー。ってことは、ここで待っていれば、そのときまでは延命できると思うんだよねー。でもついてくると、下手すると拝謁したその場で殺されちゃうかもー」
さんざん寝技で痛めつけられた意趣返しなどではない。たぶん。恐らく。きっと。
「……クリス」
「はい、なんでしょう」
炎神のお気に入りである少女は微笑んで返す。
「……たのむ、俺が殺されないよう口添えしてくれ……」
「奇跡の水を一個」
絶妙のタイミングで言われ、束の間、魔王は絶句した。
しばし言葉を失った後、かくりと首を折る。
「……わかった。条件を呑む」
少女は手を打って喜んだ。
「やったー。じゃ、約束ね」
これにぎょっとしたのがフィアルだ。
素早く魔王の隣にまわると、小声で囁いた。
「……あれを知っているのですか?」
魔王は普通の声で返した。
「ああ、こいつらは全員知っている。そもそも、こいつらがいたからユニコーンとの通商が再開できたんだ」
フィアルの懸念は当然で、参の国――ゼトランド王国の機密事項である。本来、勇者とはいえ外部の冒険者が知っていいことではない。
少女は声をかける。
「私の口は固いから、その点では安心してもらっていいわよ。もちろん、仲間もね」
少女はフィアルの囁きを拾っていた。声とは音。音とは空気の振動。気配察知の能力の応用で、空気の振動を感じ取るのである。もっとも、ここまで使いこなしている人間は少ないが。
そんなこととはつゆ知らないフィアルは更に声を小さくした。
「……でも、ユニコーンの住まいには、無垢な乙女だけが入れるのでは……」
聞き取った少女は顔をひきつらせた。
そりゃあこんな稼業をしている以上、当然のようにそう思われていることは知っているが!
魔王はじろりとフィアルを睨んで拳骨を落とした。
「こいつは、ユニコーンにあった。それ以上言葉が必要か?」
「……いえ」
魔族の主従は、少女に会話を聞かれているとは思っていないだろう。
少女は微妙に不機嫌になりつつ、フェニクスの背に、火除けの布を広げてまずはマーラに手を差し伸べる。
フェニクスの体は高密度の炎の精霊力で出来ていて、うかつに触ったらやけどする。
少女はその腕力を十全に使ってマーラを完全に宙に浮かせ、慎重に火除けの布の上にのせた。同様に、ダルクも。
コリュウは、少女の肩に乗るので問題ない。
そこまでして魔王を振り返る。
「さあ魔王。どうするの?」
「こうする」
魔王は竜鱗の盾を取り出した。
「げ……っ」
「竜の鱗は炎に高い耐性があるから、到着までの間ぐらい、なんとかなるだろう。多少のやけどなら俺様が治せるしな。……どうした?」
少女は目をキラキラさせて叫んだ。
「――ほ、ほしいっ!」
「こらこらこらこら!」
予想外の言葉に魔王が唖然とするなか、ダルクが必死に制止に入った。
「どこに装備するんだ、どこに!」
「片手剣だから盾装備できるもん!」
「いくらすると思ってるんだ! どう見たって国宝級の装備だろうが!」
「だって竜の鱗だよ!? ばらして鱗にして再加工すればマーラの装備にできるじゃない!」
これにはダルクも――そして背後でダルクを応援していたマーラもちょっとひるんだ。
ひ弱な彼を、何かにつけ少女が気遣ってくれているのは知っているので。
「……とにかく。いくらすると思ってるんだ。あきらめろ」
「ううう、あれだけの数のまとまった竜の鱗なんていくらお金出しても手に入らないのに~」
未練がましい様子ではあったが、少女は落ち着いた。
それでもちらちらと火の鳥に乗りこんだ魔族の主従の方をながめている。
コリュウなんぞ目じゃない、生後二百年はすぎた立派な竜の鱗をふんだんに使った一級品である。竜を一頭殺せば素材で一生遊んで暮らせる、と言われた時代のものだろう。いまでは、竜にいわれなく戦いを仕掛けて殺害すれば、竜族協会に一生追われる。
鳥に乗って向かう最中もダルクの説教は続いた。
「いまうちがあれを買える財政状況かどうか、よーくその空っぽの頭を振り絞って考えろ!」
「……ううう、そこは、ほら、魔剣と交換とか」
「魔剣と交換ならいつでものってやるぞ?」
と、こちらは完全に面白がっている魔王の言葉である。
「あるいは、お前が俺と結婚するのならただでくれてやるが?」
「あ、そっちはパス」
一言の下に却下して、少女は魔剣と交換、魔剣と交換……とぶつぶつ言っている。
「……おい。修復した魔剣を売って、借金をぜんぶチャラにして綺麗な体になるんだろう? その予定だっただろう? 頼むから気の迷いを起こすなよ!」
最後は悲鳴と懇願の入り混じった絶叫である。
この少女が、装備品に湯水のように金をつぎ込みまくることを知らないメンバーはいない。
そのおかげで今まで数々の戦いを生き残ってこれたことも確かだが、そのために大借金を抱えている事もまた事実である。
「お金……魔剣……借金……新装備……」
ブツブツつぶやく声が怖い。怖すぎる。
ダルクとマーラは深いため息をついて顔を見合わせ、天を仰いだ。
――心はひとつであることを、お互い確信してしまった。
少女が葛藤している間に火の鳥は砂漠地帯を抜け、山のふもとの岩石地帯も抜け、高度をぐんぐん上げた。
やがて、火の鳥はカルデラ状に陥没した山頂にたどり着く。
そこには炎神が待っていた。
高品質装備に目がないのは彼女の悪癖です。
また、閑話で内緒話が彼女の耳に入ったのは、こんなわけです。
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